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12月3日号 是の堅滿菩薩次に當に作佛すべし 【比喩品第三】(七十一〜七十八行)

2018/12/03

12月3日号 是の堅滿菩薩次に當に作佛すべし 【比喩品第三】(七十一〜七十八行)
 
★★ きょうのヒント!
 
その1:
 
釈迦の舍利弗への授記内容である華光佛の寿命が十二小劫であることと、華光如來が堅満菩薩へ授記して滅
度した後の正法三十二小劫・像法三十二小劫の間、住する関係はどういう意味なのでしょうか?
 
その2:
 
華光如來が授記するという堅満菩薩は、恐らく如來の十號を具足してないと思われる多陀阿伽度・阿羅訶・
三藐三佛陀という號の佛になるというのはどういう意味なのでしょうか?
 
 
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■第12-3日  Vol.306
 
 是の堅滿菩薩次に當に作佛すべし
 
  【比喩品第三】(七十一〜七十八行)
  
 
■■今日の一偈一句
  
 
 舍利弗、華光佛は壽十二小劫ならん。王子と爲て未だ作佛せざる時をば除く。其の國の人民は壽八小劫な
 
 
 らん。華光如來十二小劫を過ぎて、堅滿菩薩に阿耨多羅三藐三菩提の記を授け、諸 の比丘に告げん、是
 
 
 の堅滿菩薩次に當に作佛すべし、號を華足安行・多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三佛陀といわん。其の佛の國
 
 
 土も亦復是の如くならんと。舍利弗、是の華光佛の滅度の後、正法世に住すること三十二小劫、像法世に
 
 
 住すること亦三十二小劫ならん。爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく
 
    
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■■■  今 日 の 解 読 !  (苦)
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舍利弗よ、華光佛は寿命十二小劫となる。ただしその寿命は王子として未だ作佛せざる時を除外する。その
 
国の人民は寿命八小劫となる。華光如來はその十二小劫を過ぎて、堅滿菩薩に阿耨多羅三藐三菩提の記を授
 
け、諸々の比丘に告げるであろう、この堅滿菩薩は我の次にまさに作佛する、號を華足安行・多陀阿伽度・
 
阿羅訶・三藐三佛陀という。その佛の国土もまたまた同じようになると。舍利弗よ、この華光佛の滅度の後
 
、正法世に住すること三十二小劫、像法世に住することまた三十二小劫となる。その時に世尊は、重ねてこ
 
の義を宣べようと欲して、偈を説いて述べられた
  
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___________________
 
■■■■ 今 日 の 振 返 り !(脱)
___________________
 
次第と通常の佛と佛陀の違いが見え出してきたように思えて、熱くワクワクしてきているのですが、重要な
ヒントとなるものはどうやら十界の段階構成にあるのではないでしょうか?
 
私は或る人から佛と神はどちらが上なのか?という質問を近日得ました。
私は今まで当然、佛よりも神が断然早くから存在し、宇宙全体を先ず創造し支配した一番上の存在だろうと
考えていたのですが、どうやら少し考えが変わり始めました。
 
それは、たとえ神が全宇宙を造った真実の創造主及び支配者だとしても、現実の宇宙全体規模の実態からす
れば、どこまでも完璧な支配組織の維持は有り得ず、案外、佛あるいは佛道修行者のような存在が完璧な真
実の状態を知らずにも打ち破って、たとえ一時的にも抜け出て何食わぬ上層支配をできているということも
自然に有り得るように思えてきたのです。
 
そして、恐らく宇宙の最初の真実とはすべての物事が五分と五分の完璧な平均化された確率が存在し、いわ
ゆるその状態が佛教で言う「空」や「無」であると思えるのです。
たとえば、それは宇宙の存在自体が有なのか無なのかが五分五分という位、また生きるか死ぬかの確率も五
分五分というものが無の状態、つまりこれが最初の状態といった概念ではないかと思えるのです。
 
その最初の無の状態に対し、何らかの指向達成上、有へ変えたいというエネルギーが別に発生するなら、そ
れが神に対する佛などの存在の必要性だと思うのです。
それは、神が元々の無空な状態へ単純に戻そうという正統なエネルギーだけを動かしているなら、生じてし
まっている均衡バランスの崩れた有のエネルギーに対し、ゆっくり時間をかけて調整するための神との協議
が必要になるという考えが恐らく佛法なのでしょう。
 
なお、如來とは、この世が最初の無の状態から最善のプラスであろうと最悪のマイナスであろうと有の状態
への変化が支配的に進み過ぎた時、救済にやって来るといわれますが、これに対し佛陀とは、無が優勢な状
態である時こそこの世に存在すると考えられるのではないでしょうか?
 
 
今回も読んでいただき、誠にありがとうございました。
末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたします。
 
 (ぶっけん成安田)
 
▽▲▽  ご予告: 明4日AM6時発行
 ▽  
 ▲  
▲▽▲  〜 其の父、子を見て愍んで之を怪しむ 〜
 
  【信解品第四】(五十三〜五十八行) 
 
  です! それではまた(^^♪  
  
  
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創刊日:2018-03-08  
最終発行日:  
発行周期:日刊、月々28回(1日から28日)  
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