「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第二章

2018/02/15

「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第二章
“シーチン”修一 2.0

【措置入院」精神病棟の日々(93)】現役時代、仕事上でついた嘘で最大のものは、こんな風だった。

上場企業の販促課長がこう言ってきた。

「今度な、商品発表会で1時間ほどのプロモーションビデオを流すことになったんやが、修ちゃん、作れる?」
「あっ、ビデオ、もう?得意中の得意”ですわ、任せてくださいよ」

「できるんやな?」
「しっかりやらせてもらいます」

大体、テレビも見ないしビデオも見ない、映画もまず見ないから「得意中の得意」は大ウソ、ハッタリである。しかし泡沫零細企業とは言え経営者としては「できません」なんて言えない。それは課長も十分承知していて、小生にチャンスをくれたのだ、やってみなはれ、と。

もし小生がしくじったら課長の大失態になる。だから「できるんやな?」と確認したわけだ。小生がドジっても「修一クンができます、得意ですと言ったさかいに頼んだんやけど・・・もう出入り禁止にしますわ」と、まあ、上司の部長に対して多少の言い訳にはなるさかいに。

で、小生は小さなオツムをクルクル回して「どないしよ」と駅でオシッコをしながら考えるわけや。心なしかチンチンもうなだれている。「どないしたもんかいな・・・雑誌作るみたいなもんで、シナリオ/構成/面割、台本/セリフ/記事/コピーを作って、映像/写真を添える・・・ここまでは雑誌と同じや・・・あとはナレーション、音楽をくっつければええんやないか・・・それならできるで。そうや、前の会社の後輩の岩谷がテレビ朝日映像に転職したっと言っておったな、あいつは中学の後輩でもあるから電話しよ」

なにやらチンチンも元気になったようだ。

「お、岩谷君か、修一や」
「あ、修一さん、お久し振りです」

「――と、いうわけでな、力貸してほしいねん」
「バッチリ、任せてください」
「よっしゃ、じゃあ細かいことは一杯やりながらってことで」
「じゃあ、プロデューサーとディレクターも連れていきまっさかい、7時に『鳥一』に予約入れておきますわ」

てなことで恵比寿のテレビ朝日映像のスタジオで3年ほど一緒に仕事をした。「ここが『徹子の部屋』かいな。ずいぶん辛気臭いけど、照明が入るとええんやろな。あの子、ニューヨークで充電して帰ってきたとき、オッパイプリントのTシャツ着てみなを笑わせていたな・・・おお、ここがウルトラマンの編集室か。β版をデジカル化しているんやろか、地味な仕事やな」

徹子じゃなくて徹夜が当たり前のような仕事で、48時間ぶっ通しでやったこともあったが、「ハイ」な気分になったりするのはおかしかった。「始発まだやから僕の車で送っていきますわ、同じ方面やさかいに」「そうか、助かるわ」・・・居眠り運転されて怖かったこともある。

一仕事してディレクターとおしゃべりしたりする。彼はフェラーリとホラー映画が大好きだった。

「徹夜明けで風呂入って昼めし食ってさ、ちょっとテレビ見たりするじゃん、なんかゴミみたいな番組ばかりで、あれどないなってるんや」
「だって修一さん、昼過ぎから夕方まで、普通の人はテレビ見ませんで、仕事してますよ。普通じゃない人が見てるんですわ。呆け老人とか、犬とか。あの時間帯の担当なんて誰もやる気ないですわ、適当に昔の映画とかドラマの再放送を流しておけば十分ですよ」

では午後6時とか7時以降は見るに値するか。「8時だよ、全員集合!」は集合する価値があるのか。9時以降はどうか、大の男が見るべきものはあるのか。変な女がキャスターを務める「クローズアップ現代」を見れば現代が分かるのか。リベラル≒アカモドキということは分かるが、一度分かれば十分ではないか。

テレビ会社の社長はまずテレビは見ていない(検査入院して自社の番組を見て、あまりにもの低俗さに驚いた、という話がある)。ビジネスマンでテレビを見るのはごく稀で、ほとんど話題にも上がらない。商売に関係する番組は見ることもあるが、新聞を含めて必要な情報は大体広報がコピーして持ってくるから、自分でナマで見ることはない。休日でもあまり見ないだろう、ゴルフぐらいか。

ゴルフを見ていたって「スポンサーはどこや」、ライバル社が協賛していれば「宣伝部は何やってるんや」と気になったりして・・・月月火水木金金、24時間戦うのはトップにとって日常茶飯事だ。戦死は名誉。閑話休題。

テレビは女子供のオモチャ、ということ。意味のある情報はテレビではなく、商談やら会議やら、接待や懇親会やら、リークその他の手段で得るのがビジネスマンだ。テレビや広告などの業界人はともかく、テレビを見て賢くなった人を小生は寡聞にして知らない。「テレビは古稀を過ぎてから」でええんでね?

テレビは見るものではなく「稼ぐための手段や」とワルやスネ夫どもは思っている。見るのではなく「出る」、機械やソフトを「創る」、モノ・サービスを「売る」手段だと思っている。博打で家は建たないが、胴元になればカネも女も酒も手に入る。盆の下は宝の山や。

賭ける客は鴨葱。競馬、競輪、競艇、パチンコ・・・胴元が一番儲かることになっているんやで。宝くじなんてほとんど詐欺、犯罪的や。テレビで一番儲けているのはテレビ局、30歳で年収1300万円、こういう真実、リアルはテレビを見ても分からんで。

ただ、80%くらいの人=消費者はテレビを見る、その影響力は大きいのだが、昔から「まじめな話は暗くなる」から、視聴率を稼ぐためには「面白い、楽しい、愉快」な番組にならざるを得ない。視聴率が高ければええんや、アホな番組でもな。スポンサーの社長としてはCMもゴールデンタイムに集中的に流したいが、どーでもいい時間帯の枠まで抱き合わせで買わされたりするのかもしれない。公取に叩かれるから今はないだろうが(それとも巧妙になったのか)。

広報担当者は当然ながら自社の広報に努めるのだが、記者と仲良くしていないとまずい。記者はいいネタをもらうために広報と仲良くしていないとまずい。利害が合ってウィンウィンや。広報は他社の動向、行政の動き、本音なども記者から得る。記者も同様に広報からネタを仕入れる。

「いいネタあるんやけど、昼飯一緒にどうや」
「じゃあ11時45分頃に鴨川で待ってますわ、あそこ個室やさかい」

「――てなことでな、日経さんだけにリークしてんのやから、明日の朝刊のトップ、とは言わんが1面に載せてほしいんや」
「できるだけやってみますわ。役員さんに取材できますかね」
「うん、大谷常務と池谷部長には日経さんが取材に行くかもしれんとは伝えてあるさかい」

かくしてスクープになり、他社は慌てて広報に電話する。釣り針に引っかかるわけや、「11時に記者会見します」。で、その日の夕刊には後追い記事が出て広報はニンマリ。さらに役員連中も取材に応じさせるから、翌日の朝刊もそのニュースの続きが載る。広報は上司、役員から褒められるわけ。スクープした記者もデスク、編集長から褒められるという仕組み。

警察とヤクザ、警察と朝鮮総連、総連と日共/リベラル/マスコミも「持ちつ持たれつ」のウィンウィン関係ではないか。

「シーチン、おまえ、こんなところで何してんのや」
「あ、〇暴のダンナ、久し振りです。町会から学童の登下校の見守りを頼まれたもんやさかい」

「お前、誘拐すなよ・・・暇そうやな、シノギはどうや」
「暴排でもうダメですわ、任侠のビジネスモデルは崩壊しましたで」

「お前んとこのシマのミカジメ料もダメか」
「ダンナ、ダメにしたんはダンナじゃないでっか」

「わしやてしとうてしたわけやないで、しょうもないわい、東大出のクソガキみたいなのが署長に来て厳命されればやらざるを得ん。裏社会のネタをもらうにはヤクザとも上手くやらんといかん、ヤクザがおるから俺らも食える、天下り先もある、取り締まりもほどほどが大事やと、そう言っても通じる相手やないんや。何しろお受験階級、文化資産階級やさかい、どろどろした世間の裏、人情の機微なんぞ、いくら説明したところで分からんからな」

「ダンナも大変やな・・・なんか、仕事ないですかいな、用心棒とか・・・まともな履歴書を書けるわけもないんで、苦労しますわ。カミサンからも就職しろ、いつまでヒモでいる気やと、きつーく言われてまっさかい」
「いや、俺もなこの春に定年退職でな、どないしようかと迷っているんやが・・・お前、大松ホールの用心棒はどないや」

「本社は目黒ですやろ、総連幹部の金さんが経営しているとかで、ちょっと遠いですなあ・・・あそこ、小鉄会系碑文谷一家のシマのはずやが・・・」
「うん、傘下の中川組やったんやがこの前オヤジが死んでな、舎弟は皆そっくり警備会社へ移って、大松ホールもそこが出入りしてるんやが、半グレがのさばっても以前のようにボコボコにできんさかいな、ちゃんとした用心棒を探しているそうや。どや、紹介したるで」

「ハハ・・・ちゃんとした用心棒・・・まあ、カミサンに相談してみますわ。あ、そうや、住吉会のヒットマンの沢渡さん、府中から出たそうですわ、20年ぶりに娑婆に出ても帰る組がないんやから気の毒で・・・昔の仲間が奉加帳を回してカネを集め、今は綱島でラーメン屋をやっているとか。確かドンパチ家って言うらしいですわ」
「チャカの達人がラーメン屋・・・時代は変わるわな、もう俺らの時代やないんやろなあ」

「ダンナはどこに就職するつもりなんですや」
「まだ決めてはおらんのやけど、金融業、保険業、私鉄、警備会社、建設会社、パチンコ屋あたりかなあとは思うとるが・・・先輩もおるしな。セガサミーとかゲーム/ソフト会社の総務あたりの口を探しているんやが、任天堂とかが?おいでやす京都へ”と呼んでくれるんならすっ飛んでいくんやが・・・待遇ええとこは競争が激しいさかい、苦労するで」

「退職金もあるんですやろ、ノンビリやったらええやないですか。暇つぶしにうちらみたいな極道の社会復帰を応援するNGOを創るとか・・・・」
「競艇のアガリで笹川さんがやってはるが・・・金欠の庶民はそうもいかんのや、住宅ローンの残りを返すとバアサンと二人暮らしでもカツカツやで。再就職せざるを得んのや・・・そうそう六角組と貴田組の小競り合いな、なんか知っとるか」

「何や“シッテルカドウカソレイケ”とかいうサーカス興行で蒙古組につくかどうかのけったいなデイリみたいですが、ネタがあったら連絡しますわ」
「頼むで、じゃあまたな」

「信頼関係」とは言うものの、持ちつ持たれつ、阿吽の呼吸。馴れ合い、相互依存、癒着、腐敗、二重スパイとかにはなりやすい。ゾルゲ事件は大したものだった、ゾルゲはロシアでは今でも英雄だ。騙された近衛文麿は・・・ま、血縁の細川護熙を見れば分かるだろう、いい人だけどバカ殿様・・・

北朝鮮による拉致犯罪は1977年あたりから始まった。戦後の南北の経済、シノギはどんな具合だったのだろう。

日本のタガが外れた半島は「仁義なき戦い」でマッカーサーもお手上げ、「この際、原爆を」と提案したらクビを斬られて大統領の夢も消えた。スカシッペで「あの戦争は日本の自衛戦争だった」と議会証言したが話題にもならず、「老兵は去るのみ」と隠居し、最高機密を持ったままご逝去。全部ばらせば日本では称賛されるが、米国では完全に無視され、マッカーシーの二の舞になってしまうからそうはいかない。「不都合な真実」はマスコミ≒アカモドキの「報道しない自由」で隠蔽されるのは世界一緒だ。

朝鮮戦争の休戦/1953年以降は南北とも焦土の中から国造りに励んだが、南は米国の、北はソ連・中共の援助頼りで、復興はなかなか進まず、それでも北は鉱物資源が豊富で重工業インフラも残っていた分、南よりはかなりマシだった。

<朝鮮戦争で大被害を蒙った北朝鮮は、ソ連や東欧諸国、中国からの援助を受けつつ(民需ではなく軍需のために)重工業中心の産業復興を進めていく。(ソ連、中共などからの)援助効果もあって3カ年計画(1954〜56)は順調に遂行され、計画を上回る速さで戦後復興していく>(WIKI)

それに比べて南はだいぶ遅れ、世界最貧国とさえ言われたものだ。

<南北に分裂したとき、南朝鮮には工業としては紡績工場とソウルを中心とした軽工業しかなかった。頼みの農業も日本、満州から大量の人が引き揚げてきたこと、肥料工場が北にしか無かったことから肥料不足になり、食料品まで不足した。日本統治時代は日本に農産物を売り、その金で消費材を買っていたのが、その農産物すら不足する事態となったのである。更には北朝鮮からの送電を絶たれ、韓国の国民の命を守ったのは、一にも二にもアメリカの援助であった。

韓国のように資源のない国で、国を興すには貿易に頼るしかないはずである。しかし李承晩は独立前最大の貿易国であった日本との国交回復を拒否し、物乞いと強請(ゆすり)に徹したのである。1961年に朴大統領が政権を取ったとき、韓国は北朝鮮やフィリピンより貧しかった>(ネット「戦後の韓国」から)

共産圏のリーダーは横綱・ソ連がダントツ、三役が不在で前頭筆頭・中共が続く。「競争的共存の課題 国民生活の比較」(岩波)によると、1957年は共産圏にとって多分、最高の年だった。ソ連はトップを走る米国の背が見えるまで発展した。大陸間弾道弾の完成(8/26)、人工衛星の成功(10/4)、小型水爆弾頭の完成(10/6)は世界に大ショックを与えた(まるで今の北そっくり)。

ソ連に頭が上がらない毛沢東はスターリンが死んで機嫌がよかったのだろう、「東風が西風を圧倒している」(11月)とはしゃぎ、モスクワ宣言は「社会主義は資本主義より優位だ」と誇った(11月)。

1917年のロシア暴力革命から40年、WW2大戦に勝利してから12年、死屍累々、血だらけになりながらの「快挙」に、共産圏のみならず世界中のアカやアカモドキの誰もが「世界は共産主義へ向かう」と美酒に酔いしれたのだ。

現実は残酷なもので、ソ連は共産連峰の最高峰に赤旗を立てて万歳三唱したが、雲が晴れたら西側連山のはるかに高い峰々がそびえていた。ソ連に用意されていた道は下山路だけで、33年後にはソ連自体が消えてしまったのだ。

毛沢東ははしゃぎすぎて1958〜61年にかけて「大躍進」という農工業の大増産政策を進め、米英を追い越すんだと意気込んだ。結果はさんざんで、経済の大混乱により1000万〜4000万人の餓死者が出た。「毛沢東は生涯でただ一度の自己批判を行って、国家主席を辞任した」(WIKI)。

当時は共産圏が落ち目になるとは誰も思わなかった。アカい人々は相変わらず「やったね、GJ!」と1950年代末〜60年代まではどうにか夢の余韻というかウオツカや老酒の酔いは残っており、日本では60年にアンポハンタイ、キシヲタオセのデモが盛んだった。

この中で「在日朝鮮人の北朝鮮送還事業」が進められた。いろいろな理由があるのだろうが、情報不足のためだろう、「北は大発展している、共産主義の夢をかなえ、この世の天国だ」という見方が日本では急速に広まった。マスコミ記者の多くは元々がマルクスボーイあがりでアカに同情的(当時はそれがインテリの一般的な初期設定)で、たとえ現地取材したところで北の宣伝に乙女のごとく騙されるだけだから、記事は「この世の天国」のオンパレードになったろう。

在日朝鮮人は大体が貧しく(日本全体が食うことだけでも大変だった、小生は今でもサツマイモとカボチャにはうんざりする)、たとえ大学を出ても就職先はパチンコ店といった辛い、悲しい事情もあった。そういう時に「この世の天国に帰国しよう」という熱狂が起き、小泉純一郎の父、小泉純也議員(クリカラモンモンの代議士、小泉又次郎の女婿)は先頭に立って「朝鮮人はかわいそうだ、北へ帰してやろう」と国会で、あるいは街頭で情熱的かつ人道的に訴えたのだ。

純也は小泉家に婿入りしたのだが、生い立ちが貧しく、大変な苦労人であったから、在日への同情心が強かったのだろう。ただ、それだけではなく、選挙の事情もあったようだ。

<小泉純也は1950年代末、在日朝鮮人の帰還事業に中心的な役割を果たした。当時、自民党の国会議員でありながら「在日朝鮮人の帰国協力会」の代表委員に就任し、在日朝鮮人の北朝鮮送還のため積極的に活動した。

国際政治経済情報誌「インサイドライン」編集長・歳川隆雄は、小泉純也が在日朝鮮人の北朝鮮送還に積極的だった理由について「当時、純也の選挙区である神奈川2区に、多数の在日朝鮮人が居住している川崎市が含まれていたためと推定している」とし、「冷戦の真最中だった当時、自民党議員の身分で社会党や共産党と超党派の会合を開くこと自体が異例だった」と述べた。

また歳川は「純也が、1930年代に朝鮮総督府で事務官として働いたこともあった」と述べた>(WIKI)

小生の街は今は神奈川9区で、純ちゃんというか小泉家の選挙区(横須賀)とは違うが、かつては小泉純也の選挙区であったわけだ。「彼はなぜに在日朝鮮人の帰還事業に燃えていたのだろう」というのは長い間の疑問だったのだが、前回書いたように川崎市民は概ね“難民キャンプ”のような朝鮮人の不法占拠、粗末なバラックを「どうにかしてほしい」と思っていたのだろう。小泉純也にも陳情したはずだ。

彼にすれば「それなら“この世の楽園、天国”である北へ帰ってもらうのがいいだろう、在日もハッピー、川崎市民もハッピーだ」となる。義父・又次郎の侠客気質、任侠道の影響もあって猪突猛進したのだろう(単細胞の純ちゃんもその血をひいている)。

当時は北がまさかの「この世の地獄」だとは誰一人想像もしていなかったのだ。韓国でもごく一部の情報通しか知らなかった。それなのに情報通は沈黙し、隠していた。彼らにとってそれは実に大きな「不都合な真実」だったからだ。報道しない自由、公表しない自由・・・不作為がやがては大きな不幸になる。

久し振りに快晴で温かく、屋上の鉢に水遣り。もうすぐ白梅も開花するだろう、心せわしい季節になる。

たくましく 優しき男に 触れもせで 悲しからずや セクハラ説く君(修一)

「亀戸に物凄い美人が出る!」・・・独占はあかんとちゃうか、公取にゲンコツ食らうで、皆でシェアするのが今のやり方や。「どや、君、僕と共鳴せえへんか、松葉くずし、僕得意なんや、今ならお試し期間中やで・・・」、これってセクハラ? 日々問題が蓄積される発狂亭“リバースボストンクラブ”雀庵の病棟日記から。

【2016/12/11】日曜、快晴。産経から。*山口直子「いま再びの『風塵抄』」。

<(司馬は)平成5年にこんなことを書いていた。「中国文明は偉大だが、古来“私”の文化であり続けた」と。皇帝も大官(官吏)も庶民も私であり、その“私”を壮麗な倫理体系にしたのが儒教であった」という。孫文はそれを嘆き「天下為公」(天下をもって公となす)と書いたそうだ。「彼は中国の近代化を志すにあたって、中国人の“私”について、ときに恐怖し、ときに絶望していた」

いま隣の国で起きている事柄の根っこにあるものはこれかと、今さらながらに合点がいった>

支那、儒教・・・親に孝、君に忠・・・それも私利私欲、幇利幇欲(幇=支援、互助会とか仲間内の利欲)のためであり、古代から今日まで独裁王朝が続き、天下国家を憂える人はごく少数だ。憂国の士は国家転覆罪で殺されるから、何清漣女史が嘆くようにリーダーがいないのだ。女史も身の危険を察知して米国へ逃れた。

軍閥も所詮は私利私欲なら、今の中共独裁体制で軍事費が伸び、蓄財も増えていけば満足なのだろう。ソ連が崩壊したくらいの財政破綻、大不況、あるいは敗戦、暴動、腐敗摘発拡大といった大ショックがない限り、支那は変わらないだろう。

*関厚夫記者「信長最期の言葉『言語道断』深まる謎」によると、最期の言葉は「是非に及ばず」とか「是非もなし」あたりで、小生もそう思っていた。「敵は光秀か・・・しょうがない、今さらジタバタしてもどうにもならん」という意味だと思っていたのだが、信長が内心では見切りをつけた幕府の足利義昭将軍が光秀に襲撃させた、それに対して信長が「義昭、光秀は言語道断、けしからん」という意味で「是非――」と言ったのだという説が多数派だそうだ。

当時の本能寺は広大な敷地にあったため、信長は「猿にこの顛末を伝えよ」とお側衆の何人かを逃がし、それが「是非――」や最後の戦いの様子を伝えたのではないか。秀吉は毛利方の間諜を捕らえる前に信長の最後を知り、感銘し、泣いたはずだ。そういう侠気が全軍を奮い立たせ、1日に70キロを疾駆する驚異の「中国大返し」になったのだろう。

奇跡の君主は希代の名優でもある。歴史に名を刻む人は「今、俺は歴史の中にいる」と強烈に自覚しているのではないか。「今、俺は精神病院にいる」、絵にならんな。

*田村秀男記者「日米緊密、米中緊張の時代 通貨と安保政策は一体で」。

<通貨を縄張りにする財務省は親中派が多数を占め、外交、安保を仕切る外務省は経済音痴で、ワシントンの意向次第だ。中共の通貨、貿易を原動力として軍事的脅威をアジアにまき散らす仕掛けに関し、日本の官僚は気に留めなかった。

安倍政権はこの機を逃してはならない。通貨と安保を一体にした対中戦略でトランプ政権と足並みをそろえるチャンスである>

まことに正論だ。が、官僚の多くは発達障害、リベラル≒アカモドキだから八方美人的で、政権がよほど強く出ないと動かない。気に入らない政策でも反対はできないから、サボタージュで抵抗する。ロシアのことわざには「馬と女は殴って調教しろ」というのがあるそうだ。レーニン、スターリンは殴るどころか殺しまくって人民を恐れさせ、イエスマンにした。日本の官僚も信賞必罰で調教しないとまともにならないのではないか。(つづく)2018/2/15










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創刊日:2017-02-04  
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