「措置入院」精神病棟の日々(79)

2017/12/29

================
「措置入院」精神病棟の日々(79)
================
“シーチン”修一 2.0

12/24はXマスパーティで賑やかだった。毛沢東曰く「政権は銃口から生まれる」、古人からの教えは「子供はピストルから生まれる」・・・

ヨセフが鍬を担いであぜ道を畑に向かっていると従妹のヘレンが急ぎ足でやってきた。吐く息が白い。

「おはよ、ヨセフ、あんた足が速いな、もう鋤起こしかいな」
「まあな、日が沈むのが早いさかい、早起きせにゃならん」

「早起きね・・・あんた早起きし過ぎ、手も速過ぎるんやないんか、マリアちゃん、『ヘレン、どないしよう、うちジャムパンが4か月もないんや』言うて嘆いておったで」
「ジャムパン? なんやそれ」

「月のもん、生理のことや。あんたも多少は知っとるやろ」
「まあ・・・しっかし“ジャムパン”言うんはえげつない感じやなあ・・・マリアから生理が3か月ないさかい、一緒に産婆さんに行ってくれる?と言われておってたんやが、もう4か月もないんか・・・どないしたらええんか、うちも決断つかんで困っとるところや」

「“ジャムパン”はなあ、マリアちゃんが言い出したんや、おもろい言い方やなあてうちの村の若い子はあのことをみんな“ジャムパン”言うんや。“ジャムパン”はどうでもよろしが、4か月もないっちゅうことは確実にヤヤコができているっていうことやで。どないするんや」

「許婚や言うても挙式前にハラボテやとまずいのは分かっておるんやが・・・」
「伯父さん・・・あんたのお父ちゃんに相談したらどうや、伯父さんは頭がいいし、篤農家としても有名やさかい、長老を説得してくれるんやないか」

「そやなあ・・・それしかあらへんか・・・」
・・・

「というわけでなあ、父ちゃん、わてどないしたらええんやろ」
「今さらあれこれグチったところで仕方ないわい・・・お前来年18で赤紙やろ、わての親友、お前もよう知ってるメロスが軍に顔が効くさかい、来年早々に挙式して、すぐに徴兵、1年間の遠洋航海で村を離れる、というんはどうや。赤ん坊はカアチャンかバアチャンに預けておけばええやら」

「大丈夫やろか」
「人の口に戸は立てらへんから悪く言うもんもあるやろが・・・そやなあ、『赤ん坊は神様の子や、それで処女のマリアが見もごったんや』ということにしておけばええやろ。この辺の人は信心深いさかい、宮司さんに『この子は神の子や、天照大神の弟の須佐之男命の子や』言うてもらったらええやろ。たっぷり寄進すればちゃんと言うてくれはるわ。なーに、宮司も今は偉そうにしておるが、わしの幼馴染やさかい問題はないわ」

「父ちゃん、ほんまに助かったわ、これからはちゃんと親孝行しますわ」
「親孝行なんぞええから、マリアと赤ん坊のために必死で働くことや。ええか、お前は神の子と聖母を預かったんやで。わしは一篤農家で終わるやろうが、それでも必死でやらないかん、怠け心を押さえ込んでいるんや。お前もな、必死で神の子と聖母を守り抜くんやで。そうすることで2人の名もお前の名も歴史に刻まれるんや。人のやらんことをやる、それをやり通す、それでなければ生まれた甲斐がないやろうて。まあ、父ちゃんとしてはそういう生き方をしたいと思ってるんやが、お前も自分の信じた道を一途に生きたらよかろうとは思うがな」

「わて、やってみますわ・・・マリアと赤ん坊がもしかしたら世界を変えるかも知れまへんなあ、なんやワクワクしてきましたわ」

・・・

ま、瓢箪から駒、かくしてキリスト教は繁栄し、ついでイスラム教、その他もろもろの宗教も生まれて繁栄(あるいは消滅)し、それを信じている信徒は世界を覆ったのである。

宗教(含:〇〇主義)を絶対的価値観と信じる信徒は幸福になったり不幸になったり、社会を前進させたり後退、沈滞させたり、平和を得たり戦争をもたらしたりしたから、宗教は概ね功罪相半ばなのだろう。

幕末/維新当時に来日したフランス軍将校のスエンソンは、浅草寺の賑わいに驚き、「日本では神社仏閣などの宗教施設は観光地であり、日本人には真の意味で宗教心はない」(「江戸幕末滞在記」)と腰を抜かすほど驚いているが、大方の日本人にとってはそんなものだろう、イワシの頭も信心から、と。

フランス革命で政教分離、世俗主義なり、スエンソンによるとXマスでも軍隊としてはまったく行事がないので、内輪で飲み会をするそうだ。今、「海に浮かぶ教会」として世界中から観光客を呼び寄せているモンサンミッシェルも革命後は永らく倉庫だったという。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、となったようだ。

小生の菩提寺が庫裏の新築で1億円の寄付を募ったが、1億4000万円集まった。小生も10万円寄進したが、小生は檀家ではあっても信者ではない。先祖代々この寺に墓を持っていたから、「いつもお世話になっています」という感謝の気持から寄進したに過ぎない。他の檀家もそうだろうと思う。宗教心はたとえなくとも歴史、伝統を重んじるのが日本の善男善女で、あっという間に1億4000万円。地元のヂヂババは金持でケチで質素だが、使うときは使うのだ。

大体、自分自身さえ信じていない小生にとって社会も他者も自分さえも胡散臭い存在である。曹洞宗の寺の長男坊が札ビラをひけらかし、真っ白のベンツを乗り回して遊び歩いているのを見ていたから、今は住職になって偉そうなこと(「住職なのにベンツを乗り回すなんて許せない!」だと)を言っていても小生には「バカが何言ってやがる」としか感じない。悲観論者というか、自分と社会に愛想をつかした変人なのだ、小学生の昔から。

横浜市立大学の学友“Sam”から以下のメールをいただいた。

<その後リハビリはどうですか?

以前行った自動車部OB会でのメンバーから、かつての部誌のコピーデータが送られてきました。中のごく一部ですが、君の書いた自己紹介のページの部分だけ送ります>

そこにはこうあった。

<僕が自動車部に入ったのは、遠征がしたいためといっても過言ではありません。大学へ入ったら一生懸命に勉強しようと思っていましたが、市大では興味の持てるような授業が見つからないので、せめてアルバイトとクラブ活動で暇をつぶそうと思っています。

高校の時は応援団に入っていて、大変窮屈な思いをしましたが、大学のクラブは何か落ち着きがあって、というより甘く暇でとても楽です。

高校の時は雨が降っている日はたとえ試験の日でもサボったものでしたが、大学では少しでも眠い日は休むことにしています。僕は静かに読書できさえすれば満足ですから、バリケード封鎖で授業ができなくても苦になりません。まったくのノンポリで、全共闘の連中はやりたいだけやればいいと思っています。

「他人に迷惑をかけない」というのが僕の主義ですが、これは実際にはなかなか難しいことだと最近、しみじみ思います。人生なんてつまらぬものですから、せいぜい楽しく過ごしたいとは思うものの、こんな生き方は「仕方がない」と思いつつも「嫌だ」とも思います。それが僕の本性です>

18歳の自分と半世紀ぶりに出会って、複雑な気持ちである。厭世的でありながらも何か光明を模索して揺れている。「人生とは何か」「生きる意味は何か」「どう生きるべきか」・・・ま、永遠のテーマで解があるわけではないだろう。「栴檀は双葉より芳し」とは逆に「漆は双葉より危うし」、油断していると手や顔がかぶれるぜ、小生は子供の頃から怪しい奴なのだ。

せいぜい「ファーブルのように老いて貧しくても誇り高く毅然として最期を迎えたい」と最近は思っている。が、今朝はKと娘2人が義母の見舞いで奄美へ旅立った。孫も旦那の実家で正月を過ごす。今わが家には誰もいない、小生一人だけ、久し振りに静かな年末年始を迎えられる。ものすごい解放感、まったく塞翁が馬。人生、捨てたものじゃない、いい晦日、いい正月になりそうだ。皆さん、良いお年を!

料理を含めて飽きもせずに作業療法にいそしむ発狂亭雀庵の病棟日記から。

【2017/1/14】13:00〜14:20、荻野川沿いの未舗装路を下流に向かって散歩。2つの町内会が「どんど焼き」をやっていた。懐かしいなあ。「どんど」は「火や水の勢いが盛んな様子」という意味だ。

*14:20〜15:20、長男が末っ子とともに来。圏央道の「幸手IC」から2時間ほどのようだ。消防官の長男は現場勤務から事務に異動したため、かなりの減収の上に、夫婦とも夜勤などもある変則勤務のため、子供2人を保育園から引き取って家でケアするお手伝いさんを雇わにゃいかんとか。悩ましい問題だ。

*15:30、Dr.面談、「快復しつつあるね」と喜んでもらった。16日にはKと面談するとか。

*16:00、風呂。ちょっと喉が痛い、風邪か? うがいを2回し、コーヒー、紅茶を飲む。

【1/15】*昨日は寒波だっというが、昨日、息子が「埼玉は朝方に雪が降った」と言っていたっけ。住民によるとこの辺では丹沢山系が北からの寒気団をブロックしているそうで、そのために農業が発展したのだろう。

*13:20〜14:20、荻野川沿いに散歩。この辺りには源氏河原、源氏橋、清源村など源氏ゆかりの地名が多い。清源は「清和源氏」のことだろう。

壇ノ浦で敗れた平氏は九州や南西諸島に逃れたようだが、奄美諸島も平家落人伝説があるのかもしれない。古い日本語のようなもの(原語?)が多いし、Kが生まれ育った奄美本島の瀬戸内町には平家を祀った神社もあるとか。Kの叔父さんの名は「和麻呂」で、平家由来ではないのか。時代が時代ならKは「姫」と呼ばれていたかもしれない。

【1/16】*9:30、同室の“コンチャン”退院。その準備で夕べは一晩中ゴソゴソやっており、小生は熟睡できなかったが、彼はとてもうれしそうだ。拍手で見送ると皆もつられて拍手した。退院といっても唯一の家族は85歳ほどの父親だけだから、“コンチャン”は生活保護で介護施設に転院するだけなのだろうが、病棟よりはノビノビできるのではないか。

*13:00、K来。あーだこーだの後ろ向きの話なので、渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」の一説を読んでもらった。

<(相手への)信頼は98%、あとの2%は相手が間違った時の許しのためにとっておく。この世に完璧な人間などいない。心に2%のゆとりがあれば、相手の間違いを許すことができる>

「2%か・・・」、Kは少しは気持ちが和らいだようだ。

Dr.、カウンセラー、ナース同席でK面談、その後小生も呼ばれたが、「自信がないし不安もあるが、悪くなる前に家族に相談するようにしていく」と言っておいた。自分で自分をまったく信用していない、いつ自爆するか分かったものではない。老いても心はハラハラ時計、怪人20面相・・・

面談後、Kと二人で荻野川沿いを1時間散歩。退院後、しばらくは月1回通院することになりそうだが、Kが運転してくれるらしい。(小生は母の介護のために車を運転していたが、母が老衰で亡くなってからすぐに動体視力&反射神経の衰えを痛感したのでまったく運転していない)

散歩中に「奄美に平家落人伝説はあるの?」と問うと、K曰く「西郷さんもそうだけれど、奄美は元々が流人の島だから平氏が逃げてきてもおかしくない」。

源氏と平氏は皇室、公家を巻き込み100年間も覇権争いをしたが、源氏による平家殲滅戦は熾烈を極めたようだ。なぜなのか・・・清盛が憐憫の情で幼い頼朝、義経を処刑せずに追放しただけにしたから平家は殲滅された。恩を仇で返されたわけだ。頼朝はその轍を踏まぬために平氏を皆殺しにし、平氏的な価値観(貴族>武士)を持つ義経さえ殺したのだろう。

戦争は過酷だが、戦争が新時代の幕を開ける。雨降って地固まる、か。小生の晩年は悠々自適どころか逼塞、流刑、隔離あたりになりそうだ。他者から見れば自業自得だろうが、異常な人、キチ〇イが歴史を先導してきたのではないか。(つづく)2017/12/29










規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2017-02-04  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。