「措置入院」精神病棟の日々(73)

2017/11/09

================
「措置入院」精神病棟の日々(73)
================
“シーチン”修一 2.0

秋晴れなのに11/4あたりから精神状態がすこぶる悪くなった。氷雨。

心がざわつく、粟立つ、鳥肌が立つようで、目まい、嘔吐感、ふらつきで気持ちが悪い、気持ちが揺れる。ときどき物音がするのは幻聴かもしれない。以前から時々目の前にモヤがたち、白内障が進んでいるのかなあと思っていたが、幻覚かもしれない。

幻聴、幻覚はだいたい心が不安の時に起きる。これはすぐに収まるからいいが、今の心の揺れは、初めての経験だ。このまま発狂するんじゃないか、発狂寸前、自傷、他傷一歩手前のようという、「何とも言えない恐怖」だった。絶叫マシンなんていうレベルではない。

不安の色は「黒」だ。ゴッホが自死する1か月前あたりに描いた「黒い鳥のいる麦畑」のような、「何とも言えない暗い感じ」だ。

精神病者ならではのスリル、恐怖、“醍醐味”で、「もういいから他の画面に移りたいなあ」と思っても、そうはいかない。つくづく「ああ、俺は精神病だなあ」と実感するのだが、こういう気分はキチ〇イにしか分からないだろうから記録するのもそれなりに意味があるのではないか。

そういえば病院で女の子が「引きこもらないと死んじゃう、引きこもりたい」と訴え、翌日に大発狂していた。

「ああ、俺も引きこもらないと大変なことになりそうだ」とわが3Fの隔離室、実は冬に備えて花の鉢を室内に取り込んだので天国みたいに花いっぱい(80鉢ほど)、見方によっては狂気じみたサナトリウム、リトリート、シェルターと化した部屋に避難した。ドアには「精神が不安定なので、話しかけないでください」と紙を貼っておいた。

チャップリンの「殺人狂時代」で、主人公はバラの花園を愛していた。仕事=殺人の心を癒していたのかもしれない。

精神病患者の多くは引きこもり志向があるだろう。果物のモモや絹ごし豆腐、薄皮マンジュウ、ガラス玩具のビードロのように、ちょっとした刺激で心身が壊れてしまいやすいのだ。神経過敏というか、「心の花粉アレルギー」のようなものか。「累卵の危うさ」「積み木崩し」で、心神耗弱、心神喪失、発狂で、一気にどん底へ沈みかねない。

ぽたぽたと水が溜まって、ある時、ある一滴で堰を越え、やがて大きな堤を崩していく・・・そんな感じか。スリル満点、ぞくぞくする。三峡ダムと“シーチン”、決壊するのはどっちが先? これは難問だが、被害の大きさから言えば三峡ダムの圧勝で、上海も潰滅、中共独裁も崩壊する・・・

が、毛沢東曰く「そもそもわが国は人口が多すぎる(当時6億人)、核戦争で半分いなくなっても全然問題ない」。習近平には絶対言えないセリフで、毛沢東はスケールが違う。「人間の殺し方は120あるが、半分は俺が発明した」、狂気もここまでくるとゲージツだ。毛沢東が太陽なら小生は微生物、いやはや・・・

微生物でも傷つきたくないのなら三十六計逃げるに如かずで、遁世、引きこもり、世捨て人になるしかない。家族から見離され、社会からも忘れられ、静かに消えていく、というのが精神病者の理想ではないか。

統合失調症などのような犯罪者気質の患者は老化によって大人しくなっていくそうだが、小生はその委細は知らない。死刑囚でも医療刑務所で最期、老衰死を迎える人も多いだろう。

凶悪犯 老いてしまえば 手厚い介護(修一)

ナンカナーという感じはするが、「殺人狂時代」の主人公は処刑を目前にこうウソブクのだ。

"One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify"、「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する」。

誰が言ったのか、「正義と思えば何でもできる」「奴は敵だ、敵を殺せ」。人間の本性というか、原風景はこんなものだったのかもしれない。だから「和を以て貴しとなす」「万機公論に決すべし」と時の指導者は民を訓導したのだろう。日本人は概ねその教えを大事にしていると思う。

ところで、この1年ほど「“リベラル”はなぜ保守派や愛国者に暴力を振るうのか」を折に触れて考えてきたのだが、なんとなく分かってきた。原因はキリスト教である。聖書の教えにもとるから、楽しく幸福に暮らしていたソドムとゴモラの人々は街ごとに無差別大量逆殺されたわけだ(旧約聖書)。

新約聖書では「キリストは親子喧嘩、きょうだい喧嘩など、平和ではなく争いをもたらすために来た」とある。つまりキリスト教以外は認めない(異教徒との結婚はダメ、絶対!)、キリスト教に従わないソドムとゴモラのような奴らは虐殺して当然だ、ということになる。

一神教はおおむねそういうものだろう。イスラム教の場合はコーランに「キリスト教徒と友達になってはいけない」とあるそうだが、過激派になると、異教徒よりも悪いのは無神論者らしい。テロでは犯人と同宗派のイスラム教徒も多数死ぬのだが、「天国へ連れていくのだからいいんだ」という発想なのかもしれない。

“リベラル”はいつも地球市民とか、LGBT差別反対、移民と地球にやさしい社会、などと叫んでおり、アカはかねてから格差反対、貧困をなくすために革命、改革、革新を、と繰り返している。

アカの総本山であるソ連が自滅したため、さすがに「暴力革命で共産党/プロレタリア独裁を!」とは言わないが、アカは昔から善人風“リベラル”を装う。今は本当(本来)のリベラルは大体保守党支持で、“リベラル”≒アカは改革派とか民主派とか環境派を名乗ることが多いようだ。

“リベラル”≒アカがどう名乗ろうと「自分たちは絶対正義であり、反対者は絶対悪で、叩き潰して当然」というのが彼らの初期設定である。だから彼らはトランプ支持者を暴力で攻撃し、ドイツではAfD(ドイツのための選択肢)を叩きまくり、日本では在特会を目の敵にしている。

朝日、毎日、東京(中日)などのマスコミを含めて日本の“リベラル”≒アカの現在の最大の攻撃目標は安倍政権である。“リベラル”≒アカは多かれ少なかれ中共や北朝鮮、キューバ、イスラム過激派≒“アラブの冬嵐”を支持しており、立憲民主党のスポンサーであり陰の主役であろうJR総連≒革マル派は毎年、「南京大虐殺博物館」詣でをしていた(今は知らないが)。

キチ〇イにも強、中、弱があり、“リベラル”≒アカでは超弩級の人も少なくない、「安倍を叩っ斬る!」と叫んだ法政大教授山口二郎や、相模原、座間の大量殺戮犯はレッドブック入りの希少種。産経は「怖い絵展」の次は「怖いデスマスク展」を主催してはどうか。山口や松本“オウム”智津夫などのライブマスクも添えて。

豪州メルボルンの「監獄博物館」で超有名な(日本なら石川五右衛門)強盗殺人死刑囚のデスマスクを見たが、どういうわけかまつ毛が一本ついていてすごい迫力だった。死刑台体験、世界の死刑、牢屋、責め道具の変遷などの展示もいい。犯罪予防にもなるのではないか。小生は綽名が「ホトケ」という府中刑務所の鬼所長を演じたいなあ《山本夏彦翁が育てた安部譲二が書いていた》。

小生は千葉刑務所独居房で「おい、3202番、正座しとらんか、正座を!」と看守からしばしば叱られたものだが、なんと大正時代の「房内心得」が使われていた! トラッドどころかマッドだ。

監獄を模した民泊はどうか、スタッフは看守の制服で。ミニスカの可愛い獄卒なんてエエンデナイカ。「お客様は2泊3日の留置コースですね。御用の際は“担当さーん”と呼んでくださいね」とか。閑話休題。

日米をはじめ先進国のマスコミの8〜9割は“リベラル”≒アカ/アカモドキのようだが、いずこの国民も「“リベラル”は政権党や保守派を批判してきれいごとを言うが、どういう国にしたいのかが具体的に分からないし、政策論、経済論も不明で、国政を任せるわけにはいかない」と考えるようになってきたのではないか。

それならマスコミも変わって良さそうなものだが、記者は確信犯であり、「自分(たち)“リベラル”≒アカこそが正義で、それに反する奴らは許せない」という主義主張を変えることができない。

小生の場合は20歳でお縄を頂戴してから独房でいろいろな本を読んだことで除染の端緒を得、さらに50歳からの闘病生活で歴史を学んだことによりそこそこ除染できたが、朝日などの記者は今さら除染する気はないし、除染すれば記事が採用されることはまずないから記者生命が終りになってしまう。

朝日の経営者は「このままでは読者が離れるばかりだから、少しずつ右に舵を切っていかないと」と思っているだろうが、朝日では「経営陣は制作現場に介入しない」のが慣行になっているから、現場がそれなりに除染されるまでには10年、20年はかかってしまう。上から下まで今の現場が定年退職するのを待っていれば、その前に朝日は部数減、広告減で消滅してしまう。

「この際だから身売りしたいなあ、誰か買ってくれないかなあ、SBの孫さんならいいんじゃないか」と経営陣が思ったところで、創業家や社員が結構株を持っているからなかなか転進はできないだろう。

売上は減る一方で、先はちっとも見えないから、朝日のみならず新聞経営者は引きこもりたいだろう。紙媒体でニュースを知るとかガソリン自動車で移動するというのは今の小生ら60歳代でお仕舞になるに違いない。

無理すれば 倒産社長の 名を残す まず引きこもり 静かな晩年(修一) 

自称「引きこもり師、委細面談」発狂亭雀庵の病棟日記から。

【2017/1/5】*10:00〜11:00、オートバイ塗装。派手にしたいが、なかなか難しい。

*15:45〜16:35、“ピーコック”による心理面接、厳しい教育的指導。

“ピーコック”「『個人主義で行きたい』と言ってはいけません。奥様も娘さんも怒っているんです。女性は感情的で難しいけれど、“仮面夫婦じゃなくて、ちゃんとした夫婦、家族でありたい”としっかり伝えるべきです」

小生「もうどうしていいのか分かりません。とりあえず家庭内別居で様子を見、もしかしたら情況が改善するかもしれませんし・・・僕が何を言っても拒絶反応するだろうから、第三者からアドバイスしてもらうしかありません」

どうなるものやら、どうすべきなのか、暗中模索、五里霧中、茫然自失、自信喪失、前途不明、意気消沈、無為無策、自暴自棄・・・思考停止してキングストン弁を開けて自沈したい気分だ。

「知恵の輪」をいじくりまわしたが、どうしても解けないので「もういいや」と放り出した感じ・・・しばらくは考えない方が良さそうだ。「明日にしよう、明日がある・・・」、Gone with the wind でいこう。

【1/6】*「個人主義」はいけないことなのかどうか。

「大辞林」:(1)国家・社会という集団の統制、干渉を少なくし、個人の利益追求を自由に放任することを主張する主義。(2)集団の意志・習慣に対して個人の発展を中心とし、道徳上の責任は個人の良心に基づくとする立場。(3)俗に、利己主義。

「New Concise」:individualism(1)個人主義(国家主義、社会主義に対する)。(2)自由経済主義(統制経済主義に対する)。(3)自己中心主義。(4)個性、個人的特性、個性の発揮。

クリスチャンの渡辺和子氏はこう書いている。

<私は今、大学生に「人格論」という授業を教えています。人間は一人ひとり「人格」「Person」なんだと。自己判断して、その判断に基づいて選択、決断して、それに対しては責任をとる、そういう人が「パーソン」と呼ばれるに値する。

「人格」である限りは、あなたと相手は違いますし、違っていていいのです。相手もあなたと同じ考えを持たないで当然、当たり前。「君は君、我は我也、されど仲良き」という、武者小路実篤さんの言葉があったと思います。そういう気持ちが大事なのです>

小生はウンウンその通りだと思う。「広辞林」には「パーソン」はなかったが、英和辞典には「person:人(他人としての)、人間。personalism:人間主義」とあった。

ところが渡辺氏は、クリスチャンとして生きることを選択し決断したのなら「死ね」と、こう言うのだ。

<何事もリハーサルしておくと、本番で落ち着いていられるようになり、大きな死のリハーサルとして“小さな死”を生きている間にしておくことができます。“小さな死”とは、自分の我がままを抑えて、他人の喜びとなる生き方をすること、面倒なことを面倒くさがらずに笑顔で行うこと、仕返しや口答えを我慢することなど、自己中心的な自分との絶え間ない戦いにおいて実現できるものなのです。

「一粒の麦が地に落ちて死ねば多くの実を結ぶ」ように、私たちの小さな死は命を生むのです」>(この稿次回へ続く)(つづく)2017/11/9








規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2017-02-04  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。