「措置入院」精神病棟の日々(65)

2017/10/16

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「措置入院」精神病棟の日々(65)
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“シーチン”修一 2.0

パスカル曰く「人間は考える葦である」。考えるから人間であり、考えなければ、わが庭園に朝夕飛来するスズメのように「餌と繁殖」という本能だけしかない「ただの動物」だ。

なぜ「人間は考える葦」なのか。ネットにはこうあった。

<(人間は)自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。

「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです>

デカルト曰く「我思う、故に我在り」。これも「考えるから自分があり、だからこそ人間なのだ」ということだろう。
  
古人は「針の穴からも世界が見える」と言ったが、棋士や学者、医者、芸術家、政治家、軍人、運動選手、職人、料理人などなど、一流の人は哲学者や思索者、求道者などの威厳を備え、それぞれの分野を通して「人間とは何か」を思い続けているような印象を受ける。

畢竟、学問=サイエンスは真実に迫るもので、円周率のように永遠に「解」を求め続けるのが人間なのだろう。

それが快適か、苦痛か、楽しいか、辛いか・・・いろいろだろうが、「真実に迫る」営為はエキサイティングで、人間として生まれた醍醐味を実感できるのだと思う。

それがどうした?と言われると、「いや別に・・・まあ、人間はいろいろだから・・・ただ、いろいろ勉強したり、知っていると世の中のこと、人間、世間とかがよく見えてくることはあるね、まあ、大したことではないけれど・・・」と小生なら答えるだろう。

埼玉大学で教鞭をとっていた〇原君は言葉を飾らない人だが、大学へ進学したいという息子にこう言ったそうだ。

「お前、勉強もせんしバカだから大学行ったって意味ないよ。金がかかるだけ迷惑だから、さっさと働らけ」

高校や大学などの高等教育を受けても、必ずしもロバが馬になるわけではなく、恐らく8割ほどの学生はほとんど何も学ばないだろう。優秀な若者が勉強するのなら意味はあるかもしれないが、「勉強もせんバカ」が通学したところでモラトリアムで遊び暮らすだけだろう。サークル、飲み会、ゲーム、漫画、バイト、恋愛・・・就職試験のためにちょろっと勉強するくらい、というのが実態ではないか。

世の中の仕事の多くは中2坊主でこなせる。仕事を通じて、つまり修業の中で知識や技術を学べば、大体3年で使いものになり、6年もやれば立派な戦力、10年なら独立もできる腕前になる。少子高齢化でいずこの職場も人手不足のようだが、義務教育を終えたら仕事に就くようにしたらいい。必要なら職業訓練所で基本を学べばいいのではないか。

さて、考え、学ばないと人生をしくじる場合が多いのではないか。たとえばレディ・ダイアナ。欧州の貴族の婚姻は基本的に政略結婚だった。日本でも特に戦国時代は結婚は両家の安保条約みたいなもので、そこには結婚する本人の意思とか恋愛感情が入り込む余地はなかった。

相互に利益があれば姻戚関係を結ぶ。それが当然で、それを無視して恋愛感情で男女が結婚することは邪道であり、「野合」とか「犬や猫じゃあるまいし」と不道徳なものとして軽蔑された。

小生が結婚したのは1979年だったが、母の友人(建設会社の女社長)の導きによる。小生ら当事者はとりあえず同棲し、機会を見て挙式すればいいと思っていたが、それを両親に伝えると父は激怒し、「結婚は両家の結びつきで、お前は関係ない!」と言われた。

当時はまだそういうルールが辛うじて生きていた。そこまで言われたら「そういうものか」と黙るしかない。

欧州の貴族の場合、夫婦の愛情とか操は昔からあまり関係なかったようで、「とにかくは両家の紐帯を確かなものにするために子供を作る」ことが最優先事項のようだった。そこに恋愛感情があるかどうかはほとんど関係なかったのではないか。会社の合併、M&A みたいなものだったようだ。打算、政略が最優先だったろう。

恋愛したければ皇太子も皇太子妃も愛人を作っても良かった。「最近、元気がないじゃない。恋人でも作ったらどう?」、こうした会話が夫婦で当たり前という世界だった。社交界は出会いの場、宗教と政治の話は険悪な雰囲気になるので野暮、御法度だから、最大の話題は恋愛沙汰だったろう。

清朝皇太子の溥儀の挙式には最初から第二夫人も雛壇にいたそうだ。とにかく皇統の血をつないでいくのが多分、皇太子の最大の役目だったから、後宮3000人といった、ほとんど種馬のような皇帝や皇太子もいたらしい。40人以上の子をもうけた徳川将軍もいたが、縁戚関係を求めて有力者はこれぞという美女を大奥に送り込んだのだろう。

この辺の事情は「源氏物語」でも描かれている。皇帝などが一人の夫人(側室)に夢中になると、宮廷、後宮の秩序は乱れ、結局は政争になってしまったりする。一夫多妻が当たり前という大変な世界なのだ。(明治帝、大正帝も側室腹。側室がないと皇統は途絶える危険性が高い。大正デモクラシーにかぶれたのか、貞明皇后は側室を許さなかった。浅慮というしかない)

レディ・ダイアナは実家や周囲からそういう事情を知らされていなかったのだろう、結婚はお互いに貞淑であるべきだ、恋愛関係にあるべきだと思い込んでいた。母親が不倫で追放されたことはダイアナの潔癖症を強めたのかもしれない。

一方でチャールズ皇太子は側室、第二夫人、第三夫人が当たり前という価値観で生きてきた。レディ・ダイアナが夢想していたような一夫一婦の夫婦関係が破綻するのは当たり前だ。

レディ・ダイアナはまさに「無知の涙」だった。「皇室とはこういうものだ、自分はチャールズではなく英国と結婚するのだ、英国のための礎になるのだ」と教育というか訓導を受けていれば、あのあまりにも悲惨な最期にはならなかったのではないかと惜しまれる。

やはり人間は学びが必要だ。いい師、いい人、いい本、いい体験から学び、自分のものとして昇華する方がいい。快適とか面白さ、楽しさばかりを追いかけるばかりだと取り返しのつかない穴に落ちる可能性は高まるのではないか。むずかしいことだけれど。

混じりっ気なしの純なのか清濁併せ?む怪人なのかは知らないが、「今日も元気に発狂している」発狂亭雀庵の病棟日記から。

【2016/12/24】*このところホールが開放される6:30から、紅茶を飲みながら産経を読み始め、7:00の服薬、7:20〜の朝食を挟んで面白い記事を転写し、さっさと読み終えて次の人のために棚に戻す。

そして自分の感想を付け加えていると9:00になり、30〜40分運動する。その頃にはベランダの鍵が開くので、日射しをいっぱいに浴びながらの気持ち良い運動になる。昨日は左右とも片足立ち40秒ができるようになり、腹筋と腰筋運動も始めた。

作業療法がない時には10:00におやつ(菓子などがあれば)、そしてベッドで読書。11:30薬、12:00昼食、12:20〜読書・・・判で押したようなデイリールーティーン。イワン・デニーソビッチのように坦々とこなしていく。

3日、3週間、3か月、300日、3年・・・デニーソビッチは懲役8年+永久流刑のソルジェニーツィンそのものだった。「あれこれ考えてもどうしようもない、少しでも快適に暮らせるように知恵を働かせて日々を送るしかない」と達観、諦観した。「閏年が4回あったので4日のおまけつきだった」。

(修一:手紙でスターリンを「ご主人」と書いたことが「反ソプロパガンダ」「敵対的組織の設立」とされ懲役10年! 中共は今も師匠でありタニマチだったスターリンの教えを守っている!)

KGBのスパイとしてソ連共産党独裁を支えたプーチンは今なおスターリンを尊敬しているが、スターリンによってひどい目に遭ったソルジェニーツィンの晩年を見舞った。一見ミスマッチの感があるが、トルストイ的な「偉大なる祖国への愛」は共通しており、ソルジェニーツィンは「恩讐の彼方」という気持ちだったのだろうか。ロシア正教が絆になっていたのかもしれない。

*11:00、ナース来、「年末年始は医師も薬剤師もいないので外泊してください。後で書類を持ってきます」とのこと。里心がつくし、ウェルカンバックとはならないだろうから帰宅するつもりはないが・・・帰宅していかに過ごすのか・・・受信トレイの掃除でもするか・・・どうなるものやら・・・

*11:30、ナース“マンティス”来、「そろそろ髭剃りを。いつも男前にしていなきゃダメよ」。女は男を見ると余計な節介を焼くが、もうこれは本能で、小生も諦めるしかない。夫婦の仲、男女の仲は諦めが肝心だ。ならぬ堪忍、するが堪忍、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶ・・・これが男道だ。

*15:00、Dr.面接、曰く――

「家族に、どういう夫、父を望むのか聞くのもいいが、自分がどういう風になりたいのか、どういう家庭にしたいのか、を考えなさい。この世はグレーゾーンで、明確な指針があるわけではないけど、自分の負担が100、相手が0では長続きしない。60対40とか、70対30とか、自分の主張、希望と相手のそれを塩梅することが大事だ。(佐吉のような)一方的な隷属では長続きしない。

修一さんは干渉されるのが嫌だと言うが、奥さんがアル中になったら声をかけるだろ? これは干渉ではない、思いやりだ。気遣い、思いやりと干渉は違う」

気遣い、思いやり・・・うーん、如何にせん。人生は死ぬまで障害物競走か・・・(つづく)2017/10/16









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創刊日:2017-02-04  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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