「措置入院」精神病棟の日々(64)

2017/10/15

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「措置入院」精神病棟の日々(64)
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“シーチン”修一 2.0

昭和35(1960)年、川崎市郊外のわが街、というか村に毛の生えたような田舎町のさらに郊外、だだっ広い田畑の中に2階建ての精神病院が建った。当時の小生は小3で、実に純真無垢のイタズラ坊主だった。

国鉄駅前は畑と原っぱに囲まれ、クソガキどもは授業が終わると家にランドセルをほっぽり投げ、冷めたサツマイモを食べながら原っぱに集合、暗くなって母親が「ご飯だよー!」と呼びに来るまで遊びまくっていたのである。

当時は「勉強しろ」などと言う母親はいなかった。親はせいぜい尋常高等小学校卒で、「子供は元気に育てばいい」くらいにしか思っていなかったのではないか。食うだけで精いっぱいで、子供を構う暇もなかったのだろう。

子供にとっては周囲一帯が解放区で、とにかく自由、終日遊びまくっていた。足長蜂の巣を叩き落として幼虫を炒めてオヤツにしたり(ときどき蜂に刺された)、桃畑で落ちた桃を食べたりした(売り物にならないので咎める人はいなかった、が、1週間で皆、食べ飽き、大人は見向きもしなかった)。ザリガニをゆでて食べる子もいたが、それはかなり貧しい母子家庭の子供だった。

精神病院は隣町との境にあり、子供にとっては遠かったが、窓に鉄格子があってちょっとオドロオドロしかったので、冒険感覚で見に行ったのだろう。子供たちはキチ〇イ病院と呼んでいた。

病院が建った土地は、数年間かけて農地改良工事をし、用水路まで完備したばかりだった。ところが1960年あたりから高度経済成長が始まり、農家の子は長男以外は農業を継がなくなっていった。

その頃都内の23区内は住宅が密集し始め、多くの工場が多摩川を越えてわが街界隈にも移転してきたから、農家の次男坊以下の絶好の就業先になったのである。「百姓なんてやってられない」というわけだ。

改良工事を終えたばかりの農地は移転を希望する、あるいは移転を余儀なくされた工場の恰好の受け皿になった。川崎市もここぞとばかりに工場を誘致したのだろう、わが街の駅のすぐそばにも日本安全ガラスの工場と3階建て社宅ができ、多摩川精工も来て、人口は急増していった。

1960年といえば「60年安保」で、ガキどもは「アンポハンタイ、キシヲタオセ!」とスクラムを組んではしゃいでいた。安部氏はヂイチャン、岸信介の膝の上でそれを叫んでたしなめられたそうだ。

それから間もなく60年、ヂイチャンとその弟がやり残したことをやることになるとは、今や話題の神戸製鋼所で汗を流していた安倍氏も予想していなかったろう。

小生もまさか老後をキチ〇イ病院で過ごすことなどまったくの想定外だった。さすがに鉄格子はないが、窓は10センチほどしか開かない。

本シリーズ「精神病棟の日々」は恐ろしく反応がない。書く意味があるのかどうか、としばしば思うのだが、通常の病院がどういうものかは多くの人が入院や見舞いで知っているだろうが、精神病院で実際、どのようなことが行われ、どのような人がいて、どのような日々なのか、こういったことはまず外部に出てこない。

精神病は遺伝的な要素があるから「家の恥」とする見方が強く、家族は秘密にしたがるし、職員は「守秘義務」から口が重いし、患者も思い出したくないとか、そもそも自分が精神病だという認識がない人も多いから、患者自身の体験記もほとんどないようだ。

一方でがんの場合などはソルジェニーツィンの「ガン病棟」や患者による「がん病棟の99日」など多くの出版物がある。この差は何なのか。

裏をとった情報ではないけれど、「病院も患者も院内のことは外に漏らさないように。外部漏洩した患者は全国の病院から治療を拒否される」というのがある。精神病はタブーのようなのだ。

嘘か真か知らないが、ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て「万有引力説」を唱えた。ガリレオは「地動説」を唱えた。彼らはその当時はキチ〇イ扱いされたろう。米国で最後の魔女狩りが行われたのは日本の幕末期だ(「セーラムの魔女狩り」)。イスラム教やヒンズー教では現在も魔女狩りのような事件が起きている。

小生は宗教は一種の狂気だと思っている。ほとんどの日本人は「せっかく長野くんだりまで来たのだからだから善光寺に参拝しよう、ご利益がありそうだ」てなもんである。宗教に淫していないのは、子供の頃から「八百万の神様」が初期設定されているからで、まあ多神教とか無宗教が普通だからだ。

確かオスカー・ワイルドだったか、聖書を丸暗記して出世した僧の話を書いていたが、それは出世のためで、まるっきり信仰心のカケラもないのだ。有名な神社を取材したことがあるが、社務所の幹部は「どうやったら参拝者、お布施が増えるか」が最大の課題のようだった。

商売としての宗教・・・「それをいっちゃーおしまいよ」と寅さんに叱られそうだが、キチ〇イの目から宗教淫者を見れば「バッカジャナイ」と映る。

今年の春から「巫女さんルック」が流行っている。緋色系のロングスカートや幅広のズボンに白やクリーム色のブラウスを着ているが、駅へ向かう人波を眺めていたら、続けて3人の女が巫女さんルックで、小生は「こいつら業界が“これが流行”と唱えれば追随するんだ、バッカジャナイ」と嗤ったものである。

両肩を出してへそまで見せている女を見た時は「これは一種のキチ〇イ、バッカジャナイ」と呆れたものだ。

1日に何時間もテレビを見る女が、大衆小説の文庫本1冊を読むのに半年以上もかかっている。1年に1冊も読まない人も少なくない。そういう人が何をしているかと言うと、ひたすらテレビを見ているかゲームをしている。

(夏彦翁曰く「健康な人は読書をしない。健康は嫌なものである」。斎藤緑雨翁曰く「教育の普及は浮薄の普及也」。ロバは旅をしたところで馬にはならないから、読書をしたところでダメな人はダメかもしれない、キチ〇イはキチ〇イ)

中共や北が大好きだという人もいる。サウジの庶民の最大の娯楽は公開処刑と車の暴走だそうだ。キチ〇イの目から見ると世間はキチ〇イだらけ。「安倍政治にNO!」、「アカモドキにNO!」、どちらが正気か、どちらが狂気か・・・間もなく「AfJ 日本のための選択肢」が決まる。

うつ伏せで休んだら腰痛が緩和し、久し振りに機嫌が良い発狂亭雀庵。ベリーダンスに夢中の姪っ子が奄美からカリスマダンサーの東京公演を見に来るので、今日と明日は料理で忙しくなるだろう。混じりっ気なし「カリスマキチ〇イ」の病棟日記から。

【2016/12/22】*第一次世界大戦前夜、欧州は妖怪=共産主義にすっかり洗脳され、内乱→革命→共産主義社会建設を理想とする人々であふれかえっていた。レーニンは「帝国主義戦争を内乱へ転嫁せよ!」「万国の労働者団結せよ!」と煽りに煽った。

ところが戦争が始まると若者は赤旗を捨てて国旗を掲げて応召し、内乱どころか、毒ガスもOKというルールなき帝国主義戦争へと身を捧げたのである。レーニンはびっくりしただろう。

レーニンが考えた末に到達した結論は、「愛国心は共産主義の最大の敵だ。若者が愛国心を持たぬように、父母、祖父母、ご先祖様がいかにひどいことをしてきたか、自分の国がいかに最低の悪だったかを若者に小さいうちから吹き込まなければならない」というものだった。

いわゆる自虐史観で、第二次大戦後はGHQが日本人洗脳のために、このレーニン方式を大いに利用し(WGIP)、日共などアカや自称リベラルのアカモドキが尖兵となってそれを大いに煽ったのだ。除菌、除染するにはかなりの時間がかかるだろうが、高齢化であと10年でどうにかなるかもしれない、なってほしい、なるだろう。

*9:45、病院保育室の幼児8人が2人の先生に引率されて散歩へ。2Fベランダの小生を見て盛んに手を振るので、こちらも手を振って見送る。

10:00〜11:10、作業療法で木製オートバイの車輪取り付け。細かい作業で、多くの患者が興味津々、見物に来たり、励ましてくれたり。ぐったりした。

12:00、相部屋の“ブリッヂ”が「修一さん、ベッドがぐらぐら揺れるんです、1Fはボイラー室なんでしょうか、どう思います?」。

「微震は感じることがあるけれど・・・先生に相談したらどうですか」「いや・・・修一さんも揺れを感じるのならそれでいいです」

昨日は女の子が「死ね死ねって誰かが言うんです」とナースに訴えていたが、“ブリッヂ”の揺れも妄想だろう、統失のようだ。

昼食はチキンの照り焼き、コーンスープ。23〜25日は3連休なので、今日がXマス料理。明日からは外泊する人が多いだろう。

15:50〜16:30、“ピーコック”による心理面接。カミサン、娘たちと「どういう夫、父、ヂイヂになって欲しいのか、話し合いなさい。どちらか一方が我慢するとかでは問題の解決になりませんから」とアドバイスされた。連休中に誰かが来るだろうから、聞いてみよう。

【12/23】*天皇陛下83歳のお誕生日、快晴、すごい日射し。

*9:20、新館2Fで火災警報。10日ほど前同様に誤作動だったが、今回は消防車、救急車が複数来てしまい、始末書ものだろう。

*9:45、パジャマを洗って部屋に干しておいたらダメ出しをされ、カード式の乾燥機を使うようにナースから教育的指導を受けた。暇なので痴呆を装ったら乾燥機の使い方を懇切丁寧に教えてくれた。「弱者を装う」、これは今後も使える手だな。

*17:00、TVはイヤホン使用が決まりだが、“ムッツリ”は今朝から不使用で、音が耳障りだ。ここは精神病棟であり、直接注意すると逆恨みを買いかねないので、夜勤のナースが挨拶に来た際に「イヤホンを使うように機会を見て注意してほしい」とチクっておいた。それからは静かになったが、夏彦翁は死の床にあってもTVの音を嫌っていたっけ。(つづく)2017/10/15









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創刊日:2017-02-04  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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