「措置入院」精神病棟の日々(55)

2017/07/18

================
「措置入院」精神病棟の日々(55)
================
“シーチン”修一 2.0

7/16、今日も暑い。暑いと言っても奄美大島の暑さの比ではない。川崎市の夏、猛暑がオーブンなら、奄美のそれは溶鉱炉だ。何時間も真上に太陽が居座り、目もくらむような日射しを容赦なく浴びせかけ、その上に湿度が高いからサウナと言うか、真夏の銭湯の風呂焚きもかくやと思うほど汗が出る。

午後1時から4時くらいまで道は閑散としている。この炎天下にいるのは知らぬが仏、能天気、不用心な旅行客だけで、シマッチュ(島人)は海辺で遊ぶ本土からの人々を見ながら「今夜は火傷で苦しむだろうねえ」と苦笑するのだ。注意したところで「余計なお世話」と言われるだけだ。

その間、シマッチュは芭蕉などの木陰や高倉の下で昼寝をするのだが、農家や旧家以外は本土の都市部と同様に庭が狭いから、ひたすら家にこもってクーラーの部屋で過ごすのが普通だ。

外で働く仕事は炎天下を避けて早朝から昼休みまでと、午後は3時か4時あたりから7、8時くらいまで働く。スペインと一緒だ。飲み屋は9時ごろから深夜まで賑わい(スペインでのディナーは9時からだった)、その時間にはバスもないから、義父は往復ともタクシーを使っていた。土木会社の社長で、仕事は屋外だから真っ黒に日焼けしていた。

今朝、小生以外の一族は灼熱の奄美へ向かった。奄美は旧盆だから本来は9月前後の法要なのだが、本土も島も7月の「海の日」あたりから夏休み入りで、主に九州、関西、関東で働く子供たちが帰省するため、この時期に法要やら同窓会をするようだ。ちなみに同様の理由で島の成人式は正月に行われる。

(奄美は神道の島で、仏教は戦後に池田教とともにもたらされたから、あまり影響はない)

奄美の義母は昨年米寿を祝ったが、1か月ほど前から入院している。歳が歳だけに本土に暮らす孫や曾孫に会う機会はこれが最後になるかもしれない。入院して以来、筋力が衰えて、今は自力では歩けないという。

老化のスピードは千差万別で、80歳ほどでも現役バリバリの人もいるが、小生の場合は70歳、古稀までがせいぜいだろう。あと3、4年で多少は世の中に貢献できるモノ、仕事を遺したいなあとは思うが・・・

今、連日のようにあれこれ創意工夫で工作し、一昨日はついに庇工事を完了、昨日からは屋上に敷くスノコ作りも始めた。とても面白いが、これは小生にとって一種の“終活”なのだろうなあと最近は思うようになった。

所詮は“日曜大工”のレベルなのだが、ほかにやりたいことがないわけではない。

たとえば芸名“発狂亭雀庵”で「紺屋高尾」など古典落語の人情モノのいくつかを覚え、イヌアッチイケー(NHK)の「真打登場」のトリをとるとか、世話になった精神病院や刑務所に慰問に行くとか、明治に活躍した初代・快楽亭ブラック(英国籍→日本国籍、帰化後の日本名は石井貎刺屈/いしいぶらつく。縁がありそうだ)のように。

小生は世事に疎いし、世間体などは気にしないが、近所の人々のなかには発狂した小生を恐れている人々もいるようで、その気持ちは分かるが、精神病は「同情されない病気」「忌まわしい病気」の筆頭かも知れない。「ただの病気のひとつ、アンタもかかるかもしれないから気を付けた方がいいよ」と思っている小生とはずいぶんと理解に差がある。

生まれつきの知的障害以外の精神病は遺伝やストレスが大きく影響するが、発狂する(自我喪失という感じ)かどうかは科学的に証明できない。レントゲンや血液検査で分かる病気ではないから、一種の揣摩臆測、推測で「この人は○○症の症状が見られる」と判断される。脳波検査でも「そのけがありそうだ」とくらいしか分からず、とても曖昧だ。

発狂とは法的には「心神喪失者、心神耗弱者になること」だろうが、この病気はおそらく完治はしないのだろう。再発狂を小生自身が恐れているのだから、周囲が「こいつ、また発狂して何をしでかすか分かったもんじゃない、怪しい奴、関わらない方がいい」と警戒するのは当然なのだろう。

怪しすぎる老人にはなれても芸人、名人にはなれそうもない“発狂亭雀庵”の病棟日記から。

【2016/12/11】*日曜日の今朝から薬は自己管理になった。自分で保管し、必要な薬を用意してナースステーションに並び、服用するのだが、美女の“バスケ”の薬は多様かつ大量で、まるで薬漬けのよう。

昨日は夕方から悪寒を覚え、腹の調子も今一つで23時に「夜中の洗濯」になってしまった。眠剤の副作用だ。

*土日は外出許可の人は大体外泊する。秋晴れの下、トンビが4、5羽、丹沢山麓を遊弋していたが、彼らが群をなしているのは珍しい。

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」、小鳥は身の回りの日常茶飯事、私欲にしか興味がない、大鳥は天下国家を論ずる、といった意味だろう。オスプレイになれなくても、せめて築城十年、落城三日、国破れて山河あり、「鳴いて血を吐く不如帰」くらいにはなりたいものである。

*産経は今朝も面白かったが、「来週月曜休刊」のチラシの裏に「産経新聞専売所専業社員募集」とあった。わが街では朝日系ASAが産経から受託して配達しているが、産経の敵である朝日に頼らざるを得ないのは非常に危険であり、弱みだ。

多分、朝日としても「よりによって天敵、強敵の産経をなぜ配るのか」という声はあるはずで、受託契約を止める方向なのではないか。こうなると産経は、特に主戦場の首都圏、近畿圏では独自の販売網(専売店など)を強化し、その他の地域ではASA以外の販売店を開拓していくことになるだろう。

中小の販売店はかなり苦しんでいる。若い人は新聞を読まないし、コア読者の団塊世代は消えつつある。配達の主力だった学生もなかなか集まらず、「時間に縛られるし休みも少ない新聞配達よりコンビニの方が割がいい」となっており、万年人不足だ。ドル箱だったチラシの収入も減っている。

こうなると販売店は合従連衡したり、宅配会社の下請けとしてメール便の配達など多角化を進めることも必要だろう。

地方は地元紙やブロック紙が非常に強いが、読売から本質的にアカのナベツネが消えれば、読売の販売網も開放されるかもしれない。自己変革しないと置いてけ堀になるのが世の常だぜ、恒雄さん。

*一口に医者といっても人格、見識は千差万別だろう。外科は切った張ったの世界、内科は薬効と生活改善が仕事で、患者の心理状態や生い立ち、経歴、家族構成などのソフトについてはまったくと言うか、ほとんど気にしないし、知らないだろう。

ところが精神科医は、患者を患者たらしめているソフトを調べ分析して治療する。人間に、よりアプローチする医療だ。

調べたわけではないが、精神科医も作家も究極的には「人間とは何か」がテーマであり、精神科医が作家になるケースは珍しくないのではないか。斉藤茂吉、その息子の“ドクトルマンボー”こと北杜夫、加賀乙彦・・・こんがらった心の糸を解いていくような、知的好奇心をそそる面白い仕事のように思えるのだが・・・(つづく)2017/7/18










規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2017-02-04  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。