「措置入院」精神病棟の日々(49)

2017/06/12

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「措置入院」精神病棟の日々(49)
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“シーチン”修一 2.0

新築以来、33年で初めてガレージ裏の倉庫を掃除した。この空間は、一言で言えば「ホラー」「おぞましい」「魔界」」「ブラックホール」あたりだろう。

埃臭いこともあって皆が息を止めて飛び込み、「不要になったけれど、もしかしたらまた使う機会があるかもしれない、だから捨てられない」というものを放り込み、大急ぎで外へ出てホッとし、大きく呼吸するのだ。

そして、その瞬間に処分品は何だったのか、さらに処分したことさえも忘れるという、精神衛生上は実に素晴らしい空間、まるで解放区、天国だが、現実に掃除するとなると完全武装で目玉だけ出して挑む異次元空間、無間地獄になる。

そうして忘れ去られた物、モノ、臭いは地層をなし、まるでわが家の記憶遺産の堆積だ。父の愛用した工具類、特に鎌とノコギリ、釘箱などは、それだけで民芸館の展示物になりそうだ。鎌は刃先を含めて全長1.5メートル、いかに雑草に悩まされていたかが分かる。除草剤もあった。

家族で、というよりも小生夫婦は憑かれたようにオートキャンプにも出かけ、子供たちは付き合わせられた。BBQセット、炭、練炭、ビーチパラソル、折りたたみ椅子。この椅子はカナダ製で、買ってから30年も経つのにアルミとプラの骨格部分はハンマーで叩いてもビクともしなかった。さすがキャンプ王国の製品で、支那製とは雲泥の差だ。布部分さえ替えれば十分使えるので、これは処分できなかった。

ビーチパラソルは屋上に孫の水遊び用のを設置していたが、“発掘”したビーチパラソルも蘇鉄を挟むように設置した。

息子のビニール製カヌーなどは友だちと川遊びでもしたときに買ったのだろう。ルアーフィッシングの釣り竿は部屋に飾ったが、その隣にはヘミングウェイの「老人と海」を並べてみた。同書は福田恆存先生の訳/解説で、「彼は徹頭徹尾“力”の信奉者だった」というようなことが書かれていた。

小生はヘミングウェイは“マッチョ”“タフガイ”のイメージを持っていたが、マイアミビーチで泳ぎながら「彼の自殺とカリブの海はマッチしないなあ」とずーっと思っていた。

小生は発狂して以来、特に退院してから気分が落ち込むと「ナンカかっこいい死に方はないかなあ、やっぱり三浦重周氏のように皇居、靖国に向かって静かに、ひっそりと自刃するのが美しいかもしれない」などと思うことが多い。

<日学同(日本学生同盟)委員長を経験した三浦重周は、大学卒業後も政治局長という立場で学生を指導してきたが、1977年(昭和52年)4月29日には社会人戦線としての重遠社(じゅうえんしゃ)を結成し・・・2005年(平成17年)12月に郷里新潟で割腹自決。

日学同ではその命日である12月10日を「早雪忌」として毎年追悼会を行っている。三浦が遺した多くの政治・思想論文が二冊の遺稿集にまとめられている>(ウィキ)

「(三浦重周氏の)兄上によると『立派な自刃』だった」と、重周氏の友人である宮崎正弘氏が書いていた。

ヘミングウェイはショットガンで頭を吹き飛ばしていたが、「“力”の信奉者」だから勇気や潔(いさぎよ)さを誇示したかったのかもしれない。それにしてもド派手。小生はただのうつ病だが、彼は躁うつ病(双極性うつ)で、親族もやたらと自殺しているからマイナス遺伝子が大きく影響していそうだ。

「潔さ」・・・ アーネスト・サトウ著「一外交官の見た明治維新」で知ったのだが、攘夷断行の堺事件で自裁した西村左平次(土佐八番隊長)の辞世句「風に散る 露となる身は いとはねど 心にかかる 国のゆく末」などは「これぞ男だ、日本男児だ、武士(もののふ)だ」と感動する。

それに比べて1971年11月の中核派による渋谷暴動で警察官を殺し、46年間も逃げ回った大坂容疑者(小生と同学年だろう)が先ごろ逮捕されたが、「潔さ」とは真逆だ。当時、同じ中核派の小生は同年9月から刑務所にいたが、もし外にいたら小生自身が逃亡者になっていたかもしれない。潔くなくても「同志を裏切れない」という思いだけが支えだったのではないか。

道を間違えたことは同じでも、小生は軌道修正ができた。大坂は修正できないブラックホール、魔界に落ちてしまった。複雑な思いである。閑話休題。

朝5時半から夕方4時半まで、食事も簡単に済ませながら倉庫掃除に取り組み、モップもかけてどうにかすっきりしたが、翌日は農薬処理やゴミの分別、その次の日は父の手製の釘箱(実家は多摩川桃の農家だったので、桃用の木箱を利用していた)の掃除と整理。釘は全部で3〜4キロほどもあり、ほとんど錆びていた。今は釘の需要がないので、園芸用の肥料にするしかなさそうだ。

大坂同様に自裁できず、後進の肥料にもなれない魔界の住人の病棟日記から。

【2016/12/5】*昨日のC、Jのアドバイスを受けて「謝罪と誓い」を推敲しなければならない。「模範解答ではなく、自分らしさ、自分のやったことへの具体的な反省を入れるべきだ」と言う。一辺倒の「迷惑をかけたな」では済まないぞ、それではこちらのメンツが立たない、と日中交渉のような有様だ。

娑婆に生還するには大変なエネルギーが必要で、生還したところで「なかった昔には戻れない」(夏彦翁)、いいことは余りなさそう・・・別世界へ引きこもりたい気分だ。

夕方、推敲完了、清書。

*産経に「ヤルタ密約は違法」とあったが、国土、領土を実効支配されたら、それを取り戻すのはまず無理だ。北方四島はロシアにとって対中、対日の拠点であり、西部(欧州国境)で余程の危機が起きなければ日本に返還することはあり得ない。

軍事力が大きく違うから、印パ紛争のような緊張を作り出すこともできない。第一、日本はロシアから安いエネルギーを買いたがっている。領土交渉の進展はあり得ない。

安倍氏はそれを承知の上で、プーチンにニコニコしているのは対中牽制、さらには対米牽制(日米同盟強化、アジアへのリバランスを!)という狙いがあるはずだ。

*10:00〜11:15、作業療法は木製オートバイ組み立て。実にコンツメの作業だったが、先人の手本をもとに、どうにか形になってきたが、週1だから、あと1か月はかかりそう。

*TVを見ないからニュースネタは産経しかないが、夏の北戴河(ペイタイホ)会議あたりから支那、中共の政治の動きがほとんど聞こえてこない。ということは、来年の党大会へ向けて凄まじい権力闘争をしているのかもしれない。上海閥の瀋陽軍区(現在の北部戦区)の傀儡である北朝鮮も鳴りを潜めている。

北がクネクネ国を併呑することは中共の全派閥が反対するからあり得ないが、韓国を救うもの好きな国があろうはずもなく、結局はIMF管理国になるしかないだろう。

セウォル号沈没、クネ沈没寸前、次は国自体が沈没する。難民モドキの大津波が日本を襲うだろう。古代から半島人は亡国になると日本に移住するが、そう言えば「秦野」は支那初の統一王朝「秦」(統一期間はBC221〜同206のたったの15年天下)が崩壊し、その遺臣が半島経由で移住してきた地だとか。

小生の産地、座間市は秦野市の近くだから、小生にも秦始皇帝の血が流れているかもしれない。リベラルやアカ、宗教を嫌うのは「朕は国家なり」というDNAゆえか。(つづく)2017/6/12






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創刊日:2017-02-04  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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