「措置入院」精神病棟の日々(33)

2017/05/04

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「措置入院」精神病棟の日々(33)
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“シーチン”修一 2.0

GWで子・孫たちはあちこちへ(乳母、スポンサーの?)“春琴”カミサンを伴って出掛けているが、毎日が大型連休、シルバーウィークの小生は炊事がかなり軽減されたのでとても助かる。

で、ゴロゴロしているかというと、相変わらず修繕や創意工夫で何かと忙しい。「老後の生活で大事なのはキョウイクとキョウヨウだ」そうで、「今日行くところがある」「今日用事がある」のがいいらしいから、小生はその忠実な実践者だ、いささかやり過ぎだが。

先日、新人の医者に「生活や具合はどうですか」と聞かれたので、「とてもいいですが・・・まあ、猿山のボス猿が私から家内へ移ったということで」と答えておいた。よぼよぼ老人はサルのみか。

春琴の機嫌は良いが、「気持ちは相変わらず揺れているの?」と問診すると、「小さな揺れはあるけど、それはあなたと一緒よ」と言う。まあ徐々に心を許すようになるだろう。逆だったりして・・・

そう言えば、小生のことを「アンタ」「修一」から最近は「あなた」「修一さん」になってきたが、これは小生が春琴にとってインサイダーの人からアウトサイダーの人になりつつあることを示しているのかもしれない。いわゆる「距離を置く」ようになったのかもしれず、それは良いことなのかどうか、今のところはよく分からない。考えすぎると発狂しそうだからスリープにしておこう。

承前「心理検査報告書」から。【 】は小生の感想。

*これからの生活のなかで参考していただきたいこと

人との関わりが負担になると言っても、生活のなかで他者との交流は欠かせないものです。修一さんのこれからの生活のなかで、ご参考にしていただきたいことを数点お伝えいたします。

1)あまり長く同じ対人場面を続けると、主観的で強引な主張が強まっていく傾向があり、場合によっては不安定なこころの状態に陥ることもあります。一度距離をおけば、冷静な状態に戻れる方ですので、適宜距離をとるように心がけましょう。

2)自分だけの静かな時間を持つことで、こころが開放され、そのことが修一さんの良い休息につながるようです。ご自分一人で過ごす時間も、ぜひ大切になさってください。

3)これまでの生活のなかで、ご家族に対しても、知らず知らず強引な主張をするようなことがあり、それがご家族との摩擦になっていた可能性もあるでしょう。

退院までの心理面接のなかで、ご家族や他者とうまく折り合っていくにはどうすればいいか、具体的な対応を担当心理士と一緒に考えてみてはいかがでしょうか。以上のとおりご報告致します。

【「主観的で強引な主張が強まっていく傾向」・・・確かにそうかもしれない。AはBの問題を抱えているから、遅かれ早かれCになる、と予想するというか一種の勘が働くと、証言やら公的データ、歴史などを調べて「AはCになる」と評価、断定し、「だから我々はこうすべきだ」と提案するのが記者である小生の仕事だったから、「主観的で強引な主張」は職業病かもしれない。

これには、熱心な読者から「ナリチュウ記事はよしてくれ、スベ記事にしてくれ」と指摘されたことが大きく影響している。記者は責任や非難を避けるために「成り行きが注目される」=ナリチュウ記事にする傾向がある。逃げ道を用意しているわけだ。ところが読者、特に組織の方向性に関わる人々は「こうすべきだと思う、業界紙にもそうすべきだと書いてある」とレポートを上げたい。だから「こうスベキ」と断定した「スベ記事」を求めるのだ。

(産経が面白いのは阿比留瑠比ボナパルトや曽野綾子のように「スベ記事」が多いからだ。断定を避けたようなリベラル風の記事は小生は嫌いである)

「主観的で強引な主張」を文字でなく、話すとなると簡潔、簡略にするから「強引」とか「妄想」と受け止められやすいから、小生はいつの間にか無口、と言うか、言語障害的になってしまった。これも職業病なのかもしれない。

ところで「エコノミスト」は自称他称を合わせて日本に1000人はいるのではないか。世界経済から市町村自治体の経済まで、それぞれ得意とするエコノミストがいる。株や為替の専門家、各業界の専門家などもいる。ところが1990年のバブル崩壊を予測したエコノミストは「たった一人」という記事を読んだことがあるが、このエコノミストは完全に無視されたようだ。キチ○イ的バカ、と相手にされなかったのだろう。

キチ○イ的バカと、キチ○イ的発明家/実業家/政治家/思想家/芸術家・・・ゴッホは発狂して耳をそぎ落とし、やがて無名のまま死んでしまったが、世界でたった一人、弟だけは兄ゴッホの才を評価していた。もっともゴッホの作品は弟のベッドの下に放置されていたそうだが・・・

誰がどう豹変するか、「主観的で強引な主張」がやがては正論となるかもしれない。キチ○イの小生としてはそれを望むが、どうなるものやら。西郷翁曰く「金も地位も名誉も要らないという人は始末に困る」、それそのもののセゴドンは不平士族とともに自裁し、そして惜しまれ、やがて「西郷星」として庶民の敬愛のまなざしを浴びた。

誰が星になるのか・・・誰にも分からないのだろう】(つづく)2017/5/4






「措置入院」精神病棟の日々(33)
“シーチン”修一 2.0

GWで子・孫たちはあちこちへ(乳母、スポンサーの?)“春琴”カミサンを伴って出掛けているが、毎日が大型連休、シルバーウィークの小生は炊事がかなり軽減されたのでとても助かる。

で、ゴロゴロしているかというと、相変わらず修繕や創意工夫で何かと忙しい。「老後の生活で大事なのはキョウイクとキョウヨウだ」そうで、「今日行くところがある」「今日用事がある」のがいいらしいから、小生はその忠実な実践者だ、いささかやり過ぎだが。

先日、新人の医者に「生活や具合はどうですか」と聞かれたので、「とてもいいですが・・・まあ、猿山のボス猿が私から家内へ移ったということで」と答えておいた。よぼよぼ老人はサルのみか。

春琴の機嫌は良いが、「気持ちは相変わらず揺れているの?」と問診すると、「小さな揺れはあるけど、それはあなたと一緒よ」と言う。まあ徐々に心を許すようになるだろう。逆だったりして・・・

そう言えば、小生のことを「アンタ」「修一」から最近は「あなた」「修一さん」になってきたが、これは小生が春琴にとってインサイダーの人からアウトサイダーの人になりつつあることを示しているのかもしれない。いわゆる「距離を置く」ようになったのかもしれず、それは良いことなのかどうか、今のところはよく分からない。考えすぎると発狂しそうだからスリープにしておこう。

承前「心理検査報告書」から。【 】は小生の感想。

*これからの生活のなかで参考していただきたいこと

人との関わりが負担になると言っても、生活のなかで他者との交流は欠かせないものです。修一さんのこれからの生活のなかで、ご参考にしていただきたいことを数点お伝えいたします。

1)あまり長く同じ対人場面を続けると、主観的で強引な主張が強まっていく傾向があり、場合によっては不安定なこころの状態に陥ることもあります。一度距離をおけば、冷静な状態に戻れる方ですので、適宜距離をとるように心がけましょう。

2)自分だけの静かな時間を持つことで、こころが開放され、そのことが修一さんの良い休息につながるようです。ご自分一人で過ごす時間も、ぜひ大切になさってください。

3)これまでの生活のなかで、ご家族に対しても、知らず知らず強引な主張をするようなことがあり、それがご家族との摩擦になっていた可能性もあるでしょう。

退院までの心理面接のなかで、ご家族や他者とうまく折り合っていくにはどうすればいいか、具体的な対応を担当心理士と一緒に考えてみてはいかがでしょうか。以上のとおりご報告致します。

【「主観的で強引な主張が強まっていく傾向」・・・確かにそうかもしれない。AはBの問題を抱えているから、遅かれ早かれCになる、と予想するというか一種の勘が働くと、証言やら公的データ、歴史などを調べて「AはCになる」と評価、断定し、「だから我々はこうすべきだ」と提案するのが記者である小生の仕事だったから、「主観的で強引な主張」は職業病かもしれない。

これには、熱心な読者から「ナリチュウ記事はよしてくれ、スベ記事にしてくれ」と指摘されたことが大きく影響している。記者は責任や非難を避けるために「成り行きが注目される」=ナリチュウ記事にする傾向がある。逃げ道を用意しているわけだ。ところが読者、特に組織の方向性に関わる人々は「こうすべきだと思う、業界紙にもそうすべきだと書いてある」とレポートを上げたい。だから「こうスベキ」と断定した「スベ記事」を求めるのだ。

(産経が面白いのは阿比留瑠比ボナパルトや曽野綾子のように「スベ記事」が多いからだ。断定を避けたようなリベラル風の記事は小生は嫌いである)

「主観的で強引な主張」を文字でなく、話すとなると簡潔、簡略にするから「強引」とか「妄想」と受け止められやすいから、小生はいつの間にか無口、と言うか、言語障害的になってしまった。これも職業病なのかもしれない。

ところで「エコノミスト」は自称他称を合わせて日本に1000人はいるのではないか。世界経済から市町村自治体の経済まで、それぞれ得意とするエコノミストがいる。株や為替の専門家、各業界の専門家などもいる。ところが1990年のバブル崩壊を予測したエコノミストは「たった一人」という記事を読んだことがあるが、このエコノミストは完全に無視されたようだ。キチ○イ的バカ、と相手にされなかったのだろう。

キチ○イ的バカと、キチ○イ的発明家/実業家/政治家/思想家/芸術家・・・ゴッホは発狂して耳をそぎ落とし、やがて無名のまま死んでしまったが、世界でたった一人、弟だけは兄ゴッホの才を評価していた。もっともゴッホの作品は弟のベッドの下に放置されていたそうだが・・・

誰がどう豹変するか、「主観的で強引な主張」がやがては正論となるかもしれない。キチ○イの小生としてはそれを望むが、どうなるものやら。西郷翁曰く「金も地位も名誉も要らないという人は始末に困る」、それそのもののセゴドンは不平士族とともに自裁し、そして惜しまれ、やがて「西郷星」として庶民の敬愛のまなざしを浴びた。

誰が星になるのか・・・誰にも分からないのだろう】(つづく)2017/5/4






「措置入院」精神病棟の日々(33)
“シーチン”修一 2.0

GWで子・孫たちはあちこちへ(乳母、スポンサーの?)“春琴”カミサンを伴って出掛けているが、毎日が大型連休、シルバーウィークの小生は炊事がかなり軽減されたのでとても助かる。

で、ゴロゴロしているかというと、相変わらず修繕や創意工夫で何かと忙しい。「老後の生活で大事なのはキョウイクとキョウヨウだ」そうで、「今日行くところがある」「今日用事がある」のがいいらしいから、小生はその忠実な実践者だ、いささかやり過ぎだが。

先日、新人の医者に「生活や具合はどうですか」と聞かれたので、「とてもいいですが・・・まあ、猿山のボス猿が私から家内へ移ったということで」と答えておいた。よぼよぼ老人はサルのみか。

春琴の機嫌は良いが、「気持ちは相変わらず揺れているの?」と問診すると、「小さな揺れはあるけど、それはあなたと一緒よ」と言う。まあ徐々に心を許すようになるだろう。逆だったりして・・・

そう言えば、小生のことを「アンタ」「修一」から最近は「あなた」「修一さん」になってきたが、これは小生が春琴にとってインサイダーの人からアウトサイダーの人になりつつあることを示しているのかもしれない。いわゆる「距離を置く」ようになったのかもしれず、それは良いことなのかどうか、今のところはよく分からない。考えすぎると発狂しそうだからスリープにしておこう。

承前「心理検査報告書」から。【 】は小生の感想。

*これからの生活のなかで参考していただきたいこと

人との関わりが負担になると言っても、生活のなかで他者との交流は欠かせないものです。修一さんのこれからの生活のなかで、ご参考にしていただきたいことを数点お伝えいたします。

1)あまり長く同じ対人場面を続けると、主観的で強引な主張が強まっていく傾向があり、場合によっては不安定なこころの状態に陥ることもあります。一度距離をおけば、冷静な状態に戻れる方ですので、適宜距離をとるように心がけましょう。

2)自分だけの静かな時間を持つことで、こころが開放され、そのことが修一さんの良い休息につながるようです。ご自分一人で過ごす時間も、ぜひ大切になさってください。

3)これまでの生活のなかで、ご家族に対しても、知らず知らず強引な主張をするようなことがあり、それがご家族との摩擦になっていた可能性もあるでしょう。

退院までの心理面接のなかで、ご家族や他者とうまく折り合っていくにはどうすればいいか、具体的な対応を担当心理士と一緒に考えてみてはいかがでしょうか。以上のとおりご報告致します。

【「主観的で強引な主張が強まっていく傾向」・・・確かにそうかもしれない。AはBの問題を抱えているから、遅かれ早かれCになる、と予想するというか一種の勘が働くと、証言やら公的データ、歴史などを調べて「AはCになる」と評価、断定し、「だから我々はこうすべきだ」と提案するのが記者である小生の仕事だったから、「主観的で強引な主張」は職業病かもしれない。

これには、熱心な読者から「ナリチュウ記事はよしてくれ、スベ記事にしてくれ」と指摘されたことが大きく影響している。記者は責任や非難を避けるために「成り行きが注目される」=ナリチュウ記事にする傾向がある。逃げ道を用意しているわけだ。ところが読者、特に組織の方向性に関わる人々は「こうすべきだと思う、業界紙にもそうすべきだと書いてある」とレポートを上げたい。だから「こうスベキ」と断定した「スベ記事」を求めるのだ。

(産経が面白いのは阿比留瑠比ボナパルトや曽野綾子のように「スベ記事」が多いからだ。断定を避けたようなリベラル風の記事は小生は嫌いである)

「主観的で強引な主張」を文字でなく、話すとなると簡潔、簡略にするから「強引」とか「妄想」と受け止められやすいから、小生はいつの間にか無口、と言うか、言語障害的になってしまった。これも職業病なのかもしれない。

ところで「エコノミスト」は自称他称を合わせて日本に1000人はいるのではないか。世界経済から市町村自治体の経済まで、それぞれ得意とするエコノミストがいる。株や為替の専門家、各業界の専門家などもいる。ところが1990年のバブル崩壊を予測したエコノミストは「たった一人」という記事を読んだことがあるが、このエコノミストは完全に無視されたようだ。キチ○イ的バカ、と相手にされなかったのだろう。

キチ○イ的バカと、キチ○イ的発明家/実業家/政治家/思想家/芸術家・・・ゴッホは発狂して耳をそぎ落とし、やがて無名のまま死んでしまったが、世界でたった一人、弟だけは兄ゴッホの才を評価していた。もっともゴッホの作品は弟のベッドの下に放置されていたそうだが・・・

誰がどう豹変するか、「主観的で強引な主張」がやがては正論となるかもしれない。キチ○イの小生としてはそれを望むが、どうなるものやら。西郷翁曰く「金も地位も名誉も要らないという人は始末に困る」、それそのもののセゴドンは不平士族とともに自裁し、そして惜しまれ、やがて「西郷星」として庶民の敬愛のまなざしを浴びた。

誰が星になるのか・・・誰にも分からないのだろう】(つづく)2017/5/4






“シーチン”修一 2.0

GWで子・孫たちはあちこちへ(乳母、スポンサーの?)“春琴”カミサンを伴って出掛けているが、毎日が大型連休、シルバーウィークの小生は炊事がかなり軽減されたのでとても助かる。

で、ゴロゴロしているかというと、相変わらず修繕や創意工夫で何かと忙しい。「老後の生活で大事なのはキョウイクとキョウヨウだ」そうで、「今日行くところがある」「今日用事がある」のがいいらしいから、小生はその忠実な実践者だ、いささかやり過ぎだが。

先日、新人の医者に「生活や具合はどうですか」と聞かれたので、「とてもいいですが・・・まあ、猿山のボス猿が私から家内へ移ったということで」と答えておいた。よぼよぼ老人はサルのみか。

春琴の機嫌は良いが、「気持ちは相変わらず揺れているの?」と問診すると、「小さな揺れはあるけど、それはあなたと一緒よ」と言う。まあ徐々に心を許すようになるだろう。逆だったりして・・・

そう言えば、小生のことを「アンタ」「修一」から最近は「あなた」「修一さん」になってきたが、これは小生が春琴にとってインサイダーの人からアウトサイダーの人になりつつあることを示しているのかもしれない。いわゆる「距離を置く」ようになったのかもしれず、それは良いことなのかどうか、今のところはよく分からない。考えすぎると発狂しそうだからスリープにしておこう。

承前「心理検査報告書」から。【 】は小生の感想。

*これからの生活のなかで参考していただきたいこと

人との関わりが負担になると言っても、生活のなかで他者との交流は欠かせないものです。修一さんのこれからの生活のなかで、ご参考にしていただきたいことを数点お伝えいたします。

1)あまり長く同じ対人場面を続けると、主観的で強引な主張が強まっていく傾向があり、場合によっては不安定なこころの状態に陥ることもあります。一度距離をおけば、冷静な状態に戻れる方ですので、適宜距離をとるように心がけましょう。

2)自分だけの静かな時間を持つことで、こころが開放され、そのことが修一さんの良い休息につながるようです。ご自分一人で過ごす時間も、ぜひ大切になさってください。

3)これまでの生活のなかで、ご家族に対しても、知らず知らず強引な主張をするようなことがあり、それがご家族との摩擦になっていた可能性もあるでしょう。

退院までの心理面接のなかで、ご家族や他者とうまく折り合っていくにはどうすればいいか、具体的な対応を担当心理士と一緒に考えてみてはいかがでしょうか。以上のとおりご報告致します。

【「主観的で強引な主張が強まっていく傾向」・・・確かにそうかもしれない。AはBの問題を抱えているから、遅かれ早かれCになる、と予想するというか一種の勘が働くと、証言やら公的データ、歴史などを調べて「AはCになる」と評価、断定し、「だから我々はこうすべきだ」と提案するのが記者である小生の仕事だったから、「主観的で強引な主張」は職業病かもしれない。

これには、熱心な読者から「ナリチュウ記事はよしてくれ、スベ記事にしてくれ」と指摘されたことが大きく影響している。記者は責任や非難を避けるために「成り行きが注目される」=ナリチュウ記事にする傾向がある。逃げ道を用意しているわけだ。ところが読者、特に組織の方向性に関わる人々は「こうすべきだと思う、業界紙にもそうすべきだと書いてある」とレポートを上げたい。だから「こうスベキ」と断定した「スベ記事」を求めるのだ。

(産経が面白いのは阿比留瑠比ボナパルトや曽野綾子のように「スベ記事」が多いからだ。断定を避けたようなリベラル風の記事は小生は嫌いである)

「主観的で強引な主張」を文字でなく、話すとなると簡潔、簡略にするから「強引」とか「妄想」と受け止められやすいから、小生はいつの間にか無口、と言うか、言語障害的になってしまった。これも職業病なのかもしれない。

ところで「エコノミスト」は自称他称を合わせて日本に1000人はいるのではないか。世界経済から市町村自治体の経済まで、それぞれ得意とするエコノミストがいる。株や為替の専門家、各業界の専門家などもいる。ところが1990年のバブル崩壊を予測したエコノミストは「たった一人」という記事を読んだことがあるが、このエコノミストは完全に無視されたようだ。キチ○イ的バカ、と相手にされなかったのだろう。

キチ○イ的バカと、キチ○イ的発明家/実業家/政治家/思想家/芸術家・・・ゴッホは発狂して耳をそぎ落とし、やがて無名のまま死んでしまったが、世界でたった一人、弟だけは兄ゴッホの才を評価していた。もっともゴッホの作品は弟のベッドの下に放置されていたそうだが・・・

誰がどう豹変するか、「主観的で強引な主張」がやがては正論となるかもしれない。キチ○イの小生としてはそれを望むが、どうなるものやら。西郷翁曰く「金も地位も名誉も要らないという人は始末に困る」、それそのもののセゴドンは不平士族とともに自裁し、そして惜しまれ、やがて「西郷星」として庶民の敬愛のまなざしを浴びた。

誰が星になるのか・・・誰にも分からないのだろう】(つづく)2017/5/4






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創刊日:2017-02-04  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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