政治・経済

必殺クロスカウンター! 政治・経済・社会

政治・経済・社会などについての徒然草

全て表示する >

「措置入院」精神病棟の日々(7)

2017/02/27

「措置入院」精神病棟の日々(7)
“シーチン”修一 2.0

2月17日は春一番が吹いて、生暖かった。散歩へ出かけたら砂が目に入って涙が出たが、大姉と久し振りに会った。大姉の連れ合い、つまり小生の義兄が亡くなってちょうど1年だと言う。

大姉「元気だったの?」
小生「・・・3か月入院していて・・・去年の葬儀の時は元気だったけど」
大姉「そう、とても元気だったわ。杖を引いているから具合が悪いのかなと思ったけれど・・・大事になさいよ、お互いに元気で長生きしましょうね」

大姉は趣味のカラオケを今も続けているという。「子供たちが“運動にもなるから”って勧めてくれるしね」、今年で77歳、喜寿になるが、66歳の小生より頭も体も元気そうで何よりだ。大姉は歌が上手く、「まるでプロのよう」と小姉が誉めていた。書道も達人だし、神奈川中央交通のOLをしていた時は「入社式」とか「第○○期株主総会」なんて墨痕淋漓と書いていたとか。

母は書道の先生をやっていたから、その血を濃厚に受け継いでいるのだろう。4人きょうだいの中で大姉が一番優秀だった。

久し振りに大姉に出会えたのも天国の義兄の導きかもしれない、と散歩から帰宅すると仏壇の両親に手を合わせて報告した。義兄は享年77だったが、いささか早すぎる晩年は入退院を繰り返していた。すい臓がんではいかんともしがたい。元気で長生き・・・難しいものである。

徳冨蘆花の「不如帰」で、新婚ほやほやの浪子は結核を患い、夫が日清戦争で戦地へ赴任している間に義母から追い出され、やがては亡くなってしまうが、当時の結核は不治の病だった。老人なら諦めもつくが、若い人の病気は本当に気の毒である。

さて、小生の収容された3F急性期(閉鎖)精神病棟のホールには小さな本棚があるが、患者15人中、小説や随筆など活字を読むのは小生と38歳のパニック障害の娘さん、通称“パニック”だけであった。

彼女とは読書を通じて話すようになったのだが、変面の“マスクマン”と正反対に顔つきがまったく変わらなかった。「顔面が凍り付いたよう」で、いつも「電気ショック療法は嫌だ、とても体調が悪くなる」と言っていた。

WIKIには「電気ショック療法は、頭部に通電することで人為的にけいれん発作を誘発する治療法。日本国内では、うつ病、躁うつ病、統合失調症などの精神疾患の治療に用いられている」とあるが、この治療を定期的に受けているすべての患者が車椅子で病棟へ帰ってきたし、2人は救急車で搬送されていった。心身への負担が相当大きいのだろう。薬で症状が改善しない場合に採用される療法のようだが、何だか空恐ろしい。

新聞を熱心に読むのは小生だけで(もっともスポーツ、芸術、エンタメはまったく興味がないが)、他の患者にはスポーツ面、TV面、社会面、チラシなどが読まれていた。

この新聞、有り難いことに産経だった。「読売もとって欲しい」という患者の声もあったが、病院では完全に無視され、「ご自分でおとりください」。病院経営者が産経を好きなのかどうかは分からないが、一番安い全国紙だからではないか。

東京(中日)新聞も安いが、熱狂的な左巻の上に熱狂的なドラゴンズ支持だから精神病棟には不向きだし、読売の論調はまあまともだが、これまた熱狂的なジャイアンツ支持だから、プロ野球報道はめちゃくちゃで、読むに堪えない。

ベンツに乗っている病院の理事長は別のチームを応援しているのかもしれない。それならまともな全国紙は産経しかない、と判断したのか。その可能性は高い。

3Fの24床はすべて個室だが、うち身体拘束を伴う隔離室は8床、集中治療室は7床、症状が改善してきた患者向けの個室9床にはTVもあるが、単純計算でTV視聴率は60%ほどしかない。

小生は徐々に病状が改善し、入院から10日間ほどで拘束・拘禁の厳しい3F病棟から、社会復帰を目指す2F病棟へ移された。そこは驚くほどの解放区だった。(つづく)2017/2/27


規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2017-02-04  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
Score!: 非表示   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。