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「情報と中小企業」メールニュース

中小企業の経営者・技術者と行政関係者の方を対象に、中小企業の経営戦略、情報ネットワーク、技術、産学連携、支援制度等の情報を提供していきます。今月の一言、トピックス、今月のレポート等から構成。

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「情報と中小企業」メールニュースNo.085

2007/07/05

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   中小企業の経営・技術開発支援情報
   経営/情報/技術/連携/特許/支援等

   「情報と中小企業」メールニュース
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★2007/07/05 No.085    発行:降旗清司
★毎月第1木曜日発行
★issf(情報と中小企業)<http://www31.ocn.ne.jp/~issf/
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情報と中小企業  情報と中小企業  情報と中小企業
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もくじ
[今月の一言]
伝統技術と現代技術の融合
[今月のレポート]
日本人とは何か
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  ■今月の一言■
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伝統技術と現代技術の融合

1.IH土鍋

日経ものづくりの2007年1月号に、「温故知新、最先端としての伝統
技術」特集が載っている。「土鍋が高級炊飯器に、絹が燃料電池の電
極に、金糸銀糸が携帯電話機の透明導電性フィルタに。何百年、何千
年と継承されてきた伝統技術が今、最先端の分野で最先端の技術とし
て鮮やかに蘇る。先を行く現代の技術者たちが、伝統技術のポテンシ
ャルの高さに気づき始めたからだ。伝統技術が悠久の時を生き抜いて
きたのは時代時代のニーズに合わせて革新を積み重ねてきた結果で、
そこには今に通じる「宝」がある」

見出しでこのように解説し、現代技術と伝統技術の融合は、日本のも
のづくりが現在抱える大きな二つの課題を解決する糸口となると強調
している。第一の課題は、高付加価値化。そのために伝統文化を活用
しようと考えたのが、新日本様式を提唱する経産省であるとして、「付
加価値の評価が「価格から質の時代」を経て「質から品位の時代」に移
行しているのに、日本製品が対応しきれていない(ネオ・ジャパネスク
(新日本様式)・ブランド推進懇談会報告書(2006年7月))」と、日本の
ものづくりにも原因があるとの指摘を紹介している。

第二の課題は、地域活性化。グローバル化が今後ますます進展する中
で、重要なのは、本物志向の傾向が強まっている消費者ニーズに応え
て、差異化された新しい商品や新しいサービスを創造し評価すること。
中小企業庁ではそのためにいま一度、伝統技術に代表される足元の
地域資源に目を向けようと考えている。このように解説して、モデルケ
ースとして、伝統技術/文化を商品に橋渡しするプロデューサーをして
いる、デザイナーの喜多氏、島田氏を紹介している。喜多氏は、美濃
の和紙や有田の陶磁器といった伝統商品に現代の生活スタイルにあ
ったデザインを持ち込み、新たな市場を開拓している。島田氏は、京都
の代表的伝統産業である清水焼をモダンなワインクーラーに、友禅染
をアロハシャツにと、斬新なアイデアで伝統技術/文化に新風を吹き
込む。

事例編では、「土鍋を炊飯器に」「塗りから金属溶射へ」「墨を導電塗料
に」「漆をコーティング材に」など9件を紹介している。

「土鍋を炊飯器に」は、タイガー魔法瓶が2006年9月に発売した炊飯
器「土鍋IH炊飯ジャー「炊き立て」」発売後の2ヶ月半の累計で出荷台
数は3万5000台を超えたとのこと。この炊飯器の最大の特徴は内釜
に土鍋を採用していること。土鍋は蓄熱性が高く、遠赤外線効果もあ
るため、ご飯を美味しく炊ける道具として知られていたが、これらの土
鍋をそのまま持ってきても、炊飯器では利用できない。同社が手がけ
る炊飯器は電気製品であり、火力の強さを考えるとIH(電磁誘導加熱)
方式に対応できることが条件となった。

IHに反応する発熱体として底面に銀の薄膜、塗料、ニッケル合金系の
メッキで覆うなどの試作品を作ったが、寸法のバラツキや耐久性などに
問題があった。このような状況の中、2004年春に「MIKASA」ブランドの
洋食器で知られるミヤオカンパニーリミテドに出会う。同社は電磁調理
用の土鍋の生産を開始しており、家電メーカーとの取引もあるため工
業製品の生産体制が整っていた。そこで銀の薄膜を張り付ける技術を
共同で開発した。

開発した製品は、土鍋釜の底面および底面と側面にのつなぎ部分に
発熱体を張り付けてIHに対応、土鍋の側面には4本の電熱線ヒータ
ーを配置して、側面からも加熱した。また、内部の温度を予測するため
の温度センサの数を、四つに増やした。土鍋は蓄熱性が良いだけに、
熱伝導率が悪かったからだ。

特許公開公報等で調べると、IH土鍋は、誘電性無機物質を主原料とし
て形成された鍋本体と、鍋本体の少なくとも底部に、銀などを含有する
発熱層と、この発熱層を被覆するガラスフリットまたは釉薬とを含有す
る保護層などで構成されている。発熱層は、所望の形状に形成した薄
膜を、耐熱性のセラミック系接着剤等により鍋本体の底面に貼り付け
ることにより形成するほか、スクリーン印刷法、溶射法、あるいは、陶
磁器加飾技法の一つである転写印刷法により鍋本体の底面に直接に
形成することもできるようである。

なお溶射とは、高温で金属・セラミックスを燃焼ガスなどで溶かし、高速
で叩き付けることにより粒子間を物理的に密着、積層し溶融皮膜を形
成する技術である。産業部品の表面にコーティングを施し、部分的に
必要な特性を持たせる。また低温溶射は、各種金属・樹脂フィルムの
様な高温に弱い物体に対して、融点が低い粉体材料を溶融する技術
で、低温で基材を損傷することなく、溶融皮膜を形成することができる。

2.漆と金属溶射

金属溶射といえば「塗りから金属溶射へ」では、松下ネットワークマー
ケティングは2006年12月、外装(前面)に漆素材を使った特殊な塗
装を施したデジタルカメラ「LUMIX」の「漆」モデル(「古今」「いぶし銀」
「古木乾漆」「玉虫」「黒銀乾漆」)を発売した。塗装に関して協力したの
が、坂本乙造商店とのこと。古今と玉虫ではチタン粉末による蒔絵(漆
が乾かないうちに金や銀などの金属粉を「蒔く」ことで器面に定着させ
る技法)を採用し、古木乾漆では仏像造りなどに使われている乾漆技
法を漆と金属溶射で再現。黒銀乾漆は、黒漆と金属溶射によってコー
ティングし、磨き上げるというように、漆塗りの技法を生かしつつ、現在
の塗装技術を取り入れることで工業製品へ適用している。なお乾漆造
とは、東洋における彫像制作の技法のひとつで、麻布を漆で張り重ね
たり、漆と木粉を練り合わせたものを盛り上げて像を形づくる技法。

坂本乙造商店は「航空機内装用FRPに関する金属溶射と漆芸技術を
組み合わせた耐火性を持つ美観表面処理」で、2005年8月の「第1回
ものづくり日本大賞」に選ばれたが、授賞式の言葉を引用すると、「金
属の防錆処理のために開発された金属溶射事態は簡単な技術なので
すが、航空機内装の最も難しい点は、地上の1気圧と上空の0.7気圧
を無数に繰り返すためにほとんどの塗装品が層間剥離を起こしてしまう
ことにあります。まして金属溶射のような厚膜はなおさらです。それを永
年培った「精密な漆塗装技術」でカバーすることになった訳です。金属
の付着量をg単位で変えながら剥離と戦いました」とのこと。

漆の組成は、フェノール性化合物でアルコール可溶分のウルシオール
が60から70%、水が20〜30%、ゴム質、含窒素物、酸化酵素(ラッカ
ーゼ)などで、主成分であるウルシオールの中に水の粒子が分散し、
乳化した状態になっている。精製工程ではこれを攪拌してウルシオー
ルと糖タンパクなどの結合を促し、放射熱によって水分を減らす。その
後の保湿性は高く、それが、あの独特の艶を生み出す。

漆を母材に塗り、適度な湿度と漆気を与えると、ラッカーゼを触媒にウ
ルシオールの酸化が進み、酸化したウルシオールは細かい網の目状
の高分子となって固化する。事例の一つである「漆をコーティング材に
」で、キーボードなどにも漆塗りしている大徹漆器工房が「守るべきこと、
つまり変えてはいけないこともある」として、「漆は東北産、これを「天目
黒目(天日を使った精製方法)」で精製する」としているのは興味深い。

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 ■今月のレポート■
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日本人とは何か

1.本書の構成

日本人はなぜ、明治維新を成功させることができ、スムーズに近代化
ができたのか。また戦後はなぜ、奇跡の経済復興を遂げ、民主主義
をも抵抗なく受け入れることが出来たのか-―そんな素朴な疑問に答
えるべく、著者は、神代から幕末までの日本人の意識と行動をたどっ
ていくことで、その秘密を解き明かそうとする。本書(山本七平著、詳
伝社発行)は、著者他界の二年前(1989年)に上下二巻で刊行された
著書を、今回一巻にまとめて再刊したものである。

著者は、プロローグ「「「大勢三転考」の日本」――伊達千広が描いた
歴史観」のなかの「日本人の模倣と独創性」で、東アジアの最後進民
族であった古代の日本人が、中国から模倣しなかった「独創」の事例
として、かな文字、女帝、武士、それに幕府、武家法、町人文化、為替、
小切手、さらに、侘茶の茶の湯、和歌、俳句、浮世絵、歌舞伎をあげ
ている。また、山片蟠桃(やまがたばんとう)、海保青陵(かいほせいり
ょう)、富永仲基(なかとも)、本多利明のようなタイプの学者も韓国の
ような科挙の下ではいなく、伊達千広の「体勢三転考」などもこの時代
の東アジアにはない歴史観だとしている。

伊達千広は紀州藩士、有名な陸奥宗光の父であり、彼が嘉永(かえい)
元年(1848年)に執筆したのが「体勢三転考」。彼はあるがままに日本
の歴史を見、徳川時代に至るまでを「骨(かばね)の代」「職(つかさ)の
代」「名(な)の代」と三つに区分した。今の言葉になおせば「氏族制の
時代」「律令制の時代」「幕府制の時代」ということになろう。このように
政治形態の変化に基づいて歴史を区分し、その変化の理由を記して
も、これに是非善悪の判断を加えないという歴史記述の方法をとった。
本書はこの「体勢三転考」の基準で記しつつ日本文化の特性を解き明
かそうとしている。

本書の構成は、プロローグに続く第一部「「骨の代」から「職の代」へ」
が、1章「日本人とは何か」、2章「文字の創造」、3章「律令制の成立」、
4章「神話と伝説の世界」、5章「仏教の伝来」、6章「<民主主義>の
奇妙な発生」。第二部「「職の代」から「名の代」へ」が、7章「武家と一
夫一婦制」、8章「武家革命と日本式法治国家の成立」、9章「武家法
の特徴」、10章「エコノミック・アニマルの出現」、11章「下克上と集団主
義の発生」、12章「貨幣と契約と組織」。第三部「名の代・西欧の衝撃」
が、13章「土一揆・一向宗・キリシタン」、14章「貿易・植民地化・奴隷・
典礼問題、15章「オランダ人とイギリス人」、16章「「鎖国」は果たして
あったのか」、17章「キリシタン思想の影響」。

そして、第四部 伊達千広の現代が、18章「家康の創出した体制」、19
章「幕藩体制の下で」、20章「タテ社会と下克上」、21章「五公五民と
藩の経営」、22章「幕藩体制下の経済」、23章「江戸時代の技術」、24
章「江戸時代の民衆生活」、25章「江戸時代の思想」、26章「現代日本
人の原型」、27章「現代日本国の原型」。最後のエピローグ「明治維新
の出発点」では、「なぜ日本は明治維新に成功したのか」を取り上げて
いる。

1章のなかの「「骨の代」の氏族体制とは」で、「骨」は大体氏族の首長
もしくは中心的人物をいうと定義し、この氏族が土地・人民を所有して
半独立国のようになっており、その中でおそらく最大の氏族が天皇で
あり、他の氏族と違う点はおそらく祭儀権をもっていたことであろう。
祭儀権を持つのは女王で、その弟か夫が諸氏族の争いを調整するの
が統治で、古代の国に見られた宗教連合に似たものであったと思わ
れるとしている。この、女帝が祭儀権をもち、皇太子その他が統治権
を行使するといった形態は、推古女帝と聖徳太子、皇極女帝と中大兄
皇子、その他の例に見られる。

2.江戸時代の技術と明治維新

6章の「<民主主義>の奇妙な発生」で、多数決は「数の論理」ではな
く「神意」の現われとして、「古代の人びとは、将来に対してどういう決
定を行ってよいかわからぬ重大な時には、その集団の全員が神に祈
って神意を問うた。そして評決する。すると多数決に神意が現われる
と信じたのである」と紹介しているのが興味深い。この「多数決の神意
」が適切なものであれば、明治維新や戦後の復興のように、国民が一
丸になって産業振興に一丸となって進むが、「多数決の神意」が間違
っていると、先の大戦のような勝つ見込みのない大戦に猛進してしまう
危険があるとしている。

先の大戦が国民まで巻き込んだ多数決の神意によって選択されたと
いうより、軍部の独走によって引き起こされたとみられるが、当時はマ
スコミを含めて多くが、時流にあわせて型にはまった意見を示したとみ
られるのは、このようなDNAがあるからなのであろうか。世論が暴走
しかけたとき、それに冷水を浴びせて、理性の目覚めを促し、多数の
暴力を抑制しようと努める。このような「新しい民主主義」の逞しさを取
り込んでいきたいものである。

エピローグ「明治維新の出発点」のなかの「なぜ日本は明治維新に成
功したのか」で著者は、「日本経済新聞でグレゴリー・クラーク氏が、
「日本は明治維新という「半革命」だけで近代化・工業化へと進み得た
のは、日本の農村共同体の特質にあった」と指摘されているのは卓見
であるとしている。日本の農村の基本構造は、何らかの指導原理で
統合されれば、連合して「百姓の持ちたる国」を形成しうる機能的な共
同体であり、徳川時代になっても、時には遠慮なく百姓一揆を行う強
固に団結した自治体であったことには変わりはない」といっている。
そこに何らかの新しい指導原理をもって、彼らをある方向へと向かわ
せる者が出てくれば、動き出す。

明治維新で、「どうやって産業国家になり、現代の繁栄へと進み得たの
か」を考察するとき、明治維新前を無視して、明治以降だけを見ていき、
「当時の先進国から資金を借り、技術を導入し、巧みな「物まね」で製
品を作り出して輸出して繁栄への道を歩み出した」との視点は必ずし
も間違っていないが、それだけではない。西欧の衝撃を受けた明治は、
政治学者ガエターノ・モスカのいう偉大な国家の指導者のもっとも永続
的で効果的な仕事である「指導者階級を徴集する方法を改善し、組織
を改め、変形する」ことに成功した。そしてその徴集方法、組織替え、
変形には西欧をモデルにした。――法律・制度も、軍隊も、企業も。

著者は、これはその通りだが、最も重要な点は、そういう指導者階級
がいたことと、モスカの指摘する「留保条件(先任者によってすでには
じめられ、進められていたこと)」があったことであると指摘している。そ
して明治の最初期の指導者は、この先任者がそのまま横滑りして来
たが彼らの多くは藩というミニ国家の藩政改革の担当者か推進者で
あったとして、由利公正や渋沢栄一等をあげている。なお、由利公正
は横井小楠の教えを受けて「越前藩札の発行による藩の財政再建」
を行った越前藩士である。その後、新政府の「御用金穀取扱方」になり、
太政官札発行の案を新政府に出して実行した。

一方、明治維新の産業国家の基礎を築いたのは、江戸時代の技術の
蓄積である。このような視点から、22章の「幕藩体制下の経済」で、た
たら製鉄や銅精錬を取り上げているほか、23章「江戸の技術」では、
和時計の技術が精密工業の基礎を作ったと詳しく紹介している。この
時代の一般人は「生活時間」に不定時法を用いていた。「明け六つ」と
「暮れ六つ」で1日を区切り、城の櫓で太鼓を打ったり寺院の鐘を鳴ら
したりしていた。永い間この定め方は人間の感覚によっていたが、この
不定時法に合わせるための和時計(二挺棒天符、割駒式文字盤、節
板取替え、波板式など)が考案された。

明治5年になり定時法を採用するようになり、和時計の技術は不要に
なったが、輸入されたボンボン時計の構造が意外に単純であることが
知り、一度は壊滅した和時計も洋式時計として再生し、たちまちアメリ
カ製を国内や周辺国から駆逐した。また、徳川時代の時計師は、時計
だけでなく、さまざまなものを造っている。消防ポンプやピストン、さま
ざまな自動機械や「からくり」も造った。このように歴史を振り返って、
「職人たちは欧米の多くの図を見たとき、すぐにその構造を理解し、同
時に同じものを自前の技術で造る能力を持っていたのである」と指摘
し、この蓄積がなければ、今日の日本はなかったであろうと強調して
いる。

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