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ヨハネの黙示録

今は終末の時代です。ヨハネの黙示録の御言葉に心を留め、永遠の御国を受け継ぐ幸いな者となりましょう!

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ヨハネの黙示録 NO.18-1

2016/07/31

。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。



         ヨハネの黙示録 NO.18 第22章


。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。

 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神
と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、
いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の
葉は諸国の民をいやした。(1-2節)

。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 


 いのちの水の川(単数形)、それは、永遠から永遠を結び、天と地を結び、
世界の、どんなに離れたところでも、一つの、神の国として、同じ場所に存在
させる、すべて、求める人々の受ける、神の祝福である、イエス・キリスト、彼
から遣わされる聖霊様です。

 これから、聖霊を歓迎しない世界は、大患難時代へと、突入してゆきますか
ら、大荒れです。しかし、聖霊様の流れの中にある人々は、皆、神の祝福と守
り、奇跡の中を歩みます。


 ですから、私たちに必要なことは、聖霊様を歓迎し、そのお方を第一にする、
ということです。

 聖霊様は、どこにでもおられます。教会にもおられますし、家にもおられます。
通りにもおられ、スーパーマーケットにもおられます。役所にもおられ、会社に
もおられ、台所にもおられ、レストランにも、あなたの部屋にもおられます。

 どこにでもおられるのですが、ただ、求める人々の心に来られ、導き、守り、
神の御業を成して下さいます。

 あなたが、いつでも聖霊様を求めるならば、いつでも、どこでも、共にいて、
守り、導いて下さいます。
 
 聖霊様をご一緒しなければ、危険な時代に入ってます。これは、危険が、具
体的に起こっているのですが、実のところ、聖霊様をご一緒しない、そのこと
自体が危険なことなのです。
     

 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しか
し、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わた
しが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ま
す。」(ヨハネ4:13-14)


 世には様々な水があって、一時的な喜びをくれるでしょう。しかし、永遠の命
への水は、ただ、イエス・キリスト様から来ます。聖霊様が欲しいならば、また、
聖霊様の新しい導きと満たしが欲しいならば、伝統や、人々の教えにではなく、
ただ、イエス様のところに来て、聖霊の水をいただき、そして、聖霊様の動き
を再優先させることです。聖霊様を最優先にする人々に、聖霊様は、主権を
現し、新しい、聖霊様の働きと、その道を用意してくださいます。 

 聖霊様は、しばしば、あなたを神学校や、聖霊様を最優先しない教会から取
り去るでしょう。

 聖霊様と共に、イエス様は、教会の上方におられるのですが、そのお方を、
来て下さい、と歓迎しなければ、イエス様は、その教会の牧者、リーダーとな
ることが出来ません。これは、牧者の座を、イエス様に明け渡す、ということで
す。牧者の座をイエス様に明け渡すその時、その教会は、リバイバルに用い
られてゆくのです。



 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくて
もよいように、その水を私に下さい。」イエスは彼女に言われた。「行って、あ
なたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありませ
ん。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたに
は夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないか
らです。あなたが言ったことはほんとうです。 」(ヨハネ4:15-18)



 聖霊を受ける、ということは、夫がイエス様になる、ということです。

 どのような夫も聖霊をくれません。どのような政治家も、どのような指導者も、
どのような教会組織も、どのような牧師も、どのローマ法王も、神父も、どのよ
うな教育も、どのような宗教も、どのような相談役も、どの国も、聖霊様をくれ
ません。

 
 聖霊様を下さるお方は、ただお一人、イエス・キリスト様です。神の器は、聖
霊様の協力者であって、聖霊様を与えるのは、ただ、イエス・キリスト様だけで
す。

 イエス様を夫とするなるならば、聖霊様を溢れるばかりに下さり、いつでも、
どこでも、あなたと共にいて下さり、あらゆる天の恵みで祝福してくださるので
す。

 そう、世界に起こっている、様々な問題は、イエス様以外の人間に答えを求
めることから起こっています。

 あなたの夫を、ただ一人、イエス・キリスト様にする時、聖霊様と共に来られ
るイエス様は、現実のお方となり、守り、教え、導き、伴侶として、人生を共に
して下さり、全ての問題に奇跡的な解決を与えてくれます。

 クリスチャンなのに、政府に解決を求め、国連に解決を求めても、解決され
ないのは、イエス様以外を夫としているからです。しかし、イエス様からの解決
を得ることに心を決め、聖霊を求め、聖霊様が溢れ流れる時、問題が解決さ
れるばかりか、救いの閉ざされていた国々、人々が、聖霊様の溢れるばかり
のお働きで救われ、変えられる奇跡を見るのです。
 
 聖霊様を歓迎しない教会は、イエス様を夫としていないか、何人も夫を持っ
ている淫婦であるのです。全ての、正規ではない夫と縁を切り、ただ、イエス
様、という、聖霊を与える夫へ来て、求める必要があります。



 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、
生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:38)

 ギリシャ語で読むと、生ける水は単数形で、川は複数形です。生ける水とは、
イエス様ご自身のことで、川々とは、聖霊様の流れの様々な恵み、様々な聖
霊の賜物で、その時に応じて、イエス様が、人の思いを遥かに超えて与えて
下さる、天の祝福、天の武器の数々、導きの数々です。聖霊様はお一人です
が、様々な神の能力と恵み、世界中の、全て求める人の、時を同じくして助け
手となり、一人のキリストの体を流れる、キリストの血です。


 「私を信じる」の「を」は、ギリシャ語では「中へと」です。


 そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝
んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
(マタイ2:11)

 東方の博士たちが、星に導かれ、人として誕生したばかりのイエス様の家に
入り、イエス様を礼拝した後、もはや、この世の支配者の声にではなく、神の
導きに従う者となりましたが、それは、イエス様のおられる家の「中へと」入っ
て、彼を礼拝したからです。



 十字架、復活、昇天し、御座におられる、現在のイエス様の家とは、聖霊様
です。イエス様の家の中へと入り、彼を信じ礼拝するならば、聖霊様が、数々
の天の恵みと賜物、新しい導きと、全ての必要を伴った、数々の川をあなた
から流れ出させて下さるのです。
 
 
 誰かが、そんなあなたに挑戦し、敵対する時も、ただ、イエス様の家である、
聖霊様の中に入り求めるのです。すると、イエス様は、あなたの従順を認めて、
新しい聖霊のクラス、終わりの時の戦士のための、新しい聖霊様の油注ぎと
導きを与えて下さるのです。



 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非
常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからで
ある。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。(エゼキエル47:9)



 聖霊様を受け入れない世界は、これから、ますます、殺し合うでしょう。

 しかし、聖霊様の流れに入る人々は、皆、素晴らしい、神の器となって、平
和の中を、永遠に生きます。全ての国、全ての人種、全ての人が、キリストの
再創造に、互いに喜び、神を賛美し、神の最高傑作品である、互いに感謝し、
喜び踊るからです。




神と小羊との御座から出て

 御座は単数形です。
 神であり、小羊である、主なる神は、一人の神だからです。

 新エルサレムが、あなたの心にあるならば、そこに、神の御座があるので
す。その御座から聖霊が流れ、また、その御座は、主権の座でもあります。

 あなたの、心にある、新エルサレムは、イエス様が主権の王座におられるの
です。

 あなたが、まず、このお方に主権を明け渡すなら、あなたのうちにおられる
キリストは、あなたと共に王となり、主権者となるのです。



都の大通りの中央を流れて

〜の中に(中央に)

 新エルサレム、聖霊、という神の家は、その中央を流れるのは、ただ一つの
いのちの水であるキリスト、そこから枝分かれして、世界中の、キリストの中へ
と信じる人々へと流れる川々です。それは、キリストの中へと信じる人々の心
でもあります。


 この世において、注意深く賢くあることによって、狼のような世にあっても、い
のちの水の川の流れる、新エルサレムであり続けます。

 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すよ
うなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。
(マタイ10:16)


 イエス様と心を合わせる祈り、それは、聖霊様による祈りです。その真ん中
におられるのがイエス様だからです。この祈りは、地上で、キリストと心を合わ
せる、神の御心の祈りですから、必ず、実現します。


 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたり
が、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父
は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集
まる所には、わたしもその中にいるからです。」 (マタイ8:19-20)


 どのような迫害がやってきても、聖霊様と共に、イエス様が、その心の真ん
中に現れる時、恐れは消え去ります。


 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が
閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあ
るように。」と言われた。(ヨハネ20:26)




川の両側に、いのちの木(単数)

 神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての
木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを
生えさせた。(創世記2:9)

 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園
の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。(創世記3:24)


 新エルサレムには、もはや、善悪の知識の木はありません。サタンが存在し
ないので、誰も欺かれないからです。もはや、神から切り離され、聖霊を失う
ことは無いのです。


 善悪の知識の木は、サタンと、サタンに属する人々を、新しい天と地から排
除するための、神の作戦だったのです。

 聖霊の無い世界、聖霊を歓迎しない教会は、知識の木に属し、サタンと反キ
リストの配下にあります。



十二種類の実・・御霊の実 = イエス様の御性質

 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実(信仰:ギリ
シャ語)、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
(ガラテヤ5:22-23)

 ――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。(エペソ5:9)


1 アガペーの愛

 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひ
とり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいまし
た。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではな
く、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を
遣わされました。ここに愛があるのです。(1ヨハネ4:8-10)

 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、
高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、
人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、
すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えるこ
とがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識な
らばすたれます。というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預
言することも一部分だからです。完全なものが現われたら、不完全なものは
すたれます。(1コリント13:4-10)


2 天の喜び

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさ
い。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることで
す。(1テサロニケ5:16-18)

 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いに
よって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。(ピリピ4:6)


3 平和、平安

 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が
閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあ
るように。」と言われた。(ヨハネ20:26)

 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだ
からです。(ローマ14:17)

 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
(ヤコブ3:18)


4 忍耐、寛容

 また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。(2ペテロ3:15a)


5 親切、慈愛、いつくしみ、善

 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、み
な、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
(ローマ3:10-12)

 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、
神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆ
えに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
(テトス3:4)


6 善意

 ――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。――(エペソ5:9)



7 信仰

 イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなた
の信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。(マタイ9:22)

 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたが
たに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあ
そこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないこ
とはありません。(マタイ17:20)



8 柔和

 主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく
忍び、反抗する者を優しく教え導かねばなりません。神は彼らを悔い改めさ
せ、真理を認識させてくださるかもしれないのです。(2テモテ2:24-25)


9 自制

 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、
徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔に
は兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。(2ペテロ1:5-7)


10 義

 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。(マタイ5:6)

11 真理

 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
(ヨハネ14:6)

 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、
わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。 
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
(ヨハネ8:31-32)


12 聖

 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリス
トは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられまし
た。(1コリント1:30)

 神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させ
るためです。(1テサロニケ4:7)





毎月、実ができた

 できた・・報いる、義務を果たす

 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えな
さい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(1ペテロ3:9)

 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあ
なたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなた
の父が報いてくださいます。(マタイ6:18)


 聖霊の実を豊かに結ぶためには、人々から隠された祈りと、御言葉への服
従です。それは、明け渡し、自我の死です。


 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死な
なければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
(ヨハネ12:24)



木の葉、諸国の民を癒す

 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。彼は私に言っ
た。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海にはいる。海に注ぎ込むと
そこの水は良くなる。 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあら
ゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこ
の水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。
・・・しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。川のほ
とり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えるこ
とがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからであ
る。その実は食物となり、その葉は薬となる。(エゼキエル47:7・・・12)


 聖霊をかつて受けたけれども、今は失っている人や教会であってはいけま
せん。いつでも、聖霊様の流れに敏感で、聖霊様を拒んではいけません。聖
霊様の流れが変わる時は、変わる流れに入らなければいけません。教理や
組織や、スケジュールによって、聖霊様を縛り、閉じ込めてはいけません。聖
霊様が主権者だからです。そのような人々を通して、世界中の至る所に、キリ
ストの癒しがもたらされます。いのちの木の葉が青々と茂っているからです。


 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、
私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、
あなたがたは、いやされたのです。(1ペテロ2:24)


 いのちの木の葉とは、イエス様の十字架の打ち傷、という代償によってもた
らされた神の癒しの恵みです。




。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。

 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、
そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の
名がついている。もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼ら
にはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。(3-5節) 

。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。



のろわれるものは何もない

 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろ
いから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろ
われたものである。」と書いてあるからです。(ガラテヤ3:13)


 十字架の上で、全ての人の呪いを受けて下さった、イエス・キリスト様の中に
入ると、そこは、聖霊の流れの、新エルサレム、神の国で、呪いの全く無い、
神の恵みの世界です。



神と小羊の御座(単数)

 神と小羊と訳されているところは、神である小羊です。なぜなら、都の神殿
は一つで、神である小羊であり(黙21:22)、御座も一つだからです。

 また、神殿は、新エルサレムそのものであり、新エルサレムは、キリストそ
のもの、聖霊を受けて、イエス様を心に宿す、聖徒の心であり、新エルサレム
を心に宿す、全ての聖徒たち、キリストの花嫁のことです。


 聖霊様によって、キリストを心に宿す人々の、心に、キリストの王座がありま
す。天地万物の創造者、主の主、王の王である方の御座が、聖霊様と共に歩
む人々の心にある、というのは、何という驚くべき特権と恵みを、神は、聖霊
様を歓迎する人々に与えて下さったのでしょう!




そのしもべたちは神に仕え

 「しもべ」は、「奴隷」とも訳されています。自分の意志ではなく、所有者の意
思を行なうように定められた人々です。


 神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えら
れた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったので
す。(ローマ6:17-18)


 全ての人は、罪と反キリストとサタンと滅びの奴隷か、又は、義とキリストと
永遠の命の奴隷か、どちらかです。


 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事と
は思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿にな
られた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十
字架の死に至るまで従順であられた。(ピリピ2:6-8 口語訳)


 イエス様は、人となられた時、罪の奴隷である、人間・・僕(奴隷)となられま
した。しかし、聖霊様の内住と降り注ぎによって、神の僕として、十字架の死に
まで従順に従われました。

 全ての人も、聖霊を受けることにより、内住のキリストと共に、溢れるばかり
の聖霊のご臨在によって、神の奴隷として生きるようになります。奴隷は、自
分の意思はありません。ただ、キリストの御意思を行なうのです。




神の御顔を仰ぎ見る

イエス様の御顔

1 山上の変貌

 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光
のように白くなった。(マタイ17:2)

 山上の変貌の時、イエス様の御姿が変えられ、御顔が太陽のように輝きま
した。私たちも、聖霊様のお働きで、主と同じかたちに変えられ、暗い世に
あって輝き、世を照らすのです。

 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映さ
せながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。こ
れはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(2コリント3:18)


2 ゲッセマネの祈り

 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父
よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたし
の願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイ26:39)

 イエス様は、御顔を地に伏せ、神の御心への明け渡しの祈りをされました。


3 侮辱

 そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他
の者たちは、イエスを平手で打って、こう言った。「当ててみろ。キリスト。あな
たを打ったのはだれか。」(マタイ26:67-68)


 イエス様は、私たちの罪の贖いのために、御顔に侮辱を受けました。


4 白い御座の裁きの時

 また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も
地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。(黙示録20:11 口語訳)

 キリストの御再臨によって始まる千年王国が終了し、すべての死者を裁く、
裁きの白い御座に、イエス様が着座する時、その御顔の前に、現在の天も地
も存在できません。キリストの、罪の贖いの期間が完了したからです。



5 新エルサレムで

 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを
合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時に
は、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
(1コリント13:12)


 キリストに贖われた人々、聖霊様の導きと、キリストの御声に従順な花嫁は、
キリストの御顔を見、信頼された者、愛し、愛される者として、顔を合わせます。




彼らの額には神の名がついている

 新エルサレムの住人は皆、その額に、神の名の印が押されている人々です。


 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも
害を与えてはいけない。」(黙示録7:3)

 また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊ととも
に十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名と
がしるしてあった。(黙示録14:1)

 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で
行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々
の額にしるしをつけよ。」(エゼキエル9:4)


 額の上に神の名の印があることは、祭司であるしるしです。

 また、純金の札を作り、その上に印を彫るように、『主への聖なるもの』と彫
り、これを青ひもにつけ、それをかぶり物につける。それはかぶり物の前面に
来るようにしなければならない。これがアロンの額の上にあるなら、アロンは、
イスラエル人の聖別する聖なる物、すなわち、彼らのすべての聖なるささげ物
に関しての咎を負う。これは、それらの物が主の前に受け入れられるために、
絶えずアロンの額の上になければならない。(出エジプト28:36-38)




神の名(単数形)

 イエス・キリストの御名

 救いを与える

 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名の
ほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えら
れていないからです。」(使徒4:12)

 癒しを与える

 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがた
がいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる
信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。(使徒3:16)


 悪霊を追い出す

 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使う
と、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」(ルカ10:17)


 罪を赦す

 子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなた
がたの罪が赦されたからです。(1ヨハネ2:12)




もはや夜がない

 イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、
つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。」しかし、夜歩け
ばつまずきます。光がその人のうちにないからです。」(ヨハネ11:9-10)


 新エルサレムには夜が無いのです。新エルサレムである、聖霊様には、夜
が全くありません。罪が全くないのです。 新エルサレムである、聖霊様を、い
つも心に迎える人々は、世が、真夜中になる大患難時代にあっても、夜が無
いのです。


 聖霊の賜物と、新エルサレムを心に宿すことは、別のことです。


 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあ
なたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名
によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたし
は彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす
者ども。わたしから離れて行け。』(マタイ7:22-23)


 新エルサレムの住人は、ただ、新エルサレムを心に宿した人々だけなので
す。ですから、新エルサレムを心に宿すために、日々、注意深く、聖霊様の御
声と導きに従う必要があります。




神である主が彼らを照らす


 ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさ
ばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の
中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届
くのです。(1コリント4:5)


 イエス様は、全ての人の心を照らすお方です。照らされて、イエス様の喜ば
れない心の領域があることを示されたなら、聖霊様の助けによって、御言葉
に従えるように、と祈り求めましょう。それは、御心にかなった祈りですから、
必ず、聞き届けられます。その時、あなたの祈り求めなかった、新しい導き、
神の祝福も増し加わります。


 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言4:23)



彼らは永遠に王である(統治する、支配する:ギリシャ語)


 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリス
トにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。
(ローマ5:21)

 主イエス様が王座に座しておられる、新エルサレムである、聖霊様が、心に
満ちる時、イエス様が、人生の王となります。私たちは、このお方に明け渡す
ならば、王であるイエス様が、あなたを通して働かれます。あなたが働くのを
止め、イエス様が働かれることに、明け渡したからです。

 その時、あなたの内にある、王の王であるキリストが、あなたと共に、王とな
られるのです。

 あなたの支配権を、イエス様に明け渡し、キリストの支配へと委ねるならば、
聖霊様のお働きは増し加わり、人々の心が変えられ、キリストへと多くの人々
が、押し寄せるのです。



。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。

 御使いはまた私に、「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なので
す。」と言った。預言者たちのたましいの神である主は、その御使いを遣わし、
すぐに起こるべき事を、そのしもべたちに示そうとされたのである。「見よ。わ
たしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」(6-7節)

。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。


ことば


 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。こ
の方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られ
た。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。(ヨハネ1:1-3)

 私の言葉は、私であり、私の思い、意思の表現であるように、神のことばは
神であり、神の御思い、御意思の現れです。

 神のことばであるキリストによって、全ての被造物は造られ、神のことばであ
るキリストによって贖われ、神のことばでるキリストによって永遠の命が与えら
れ、神のことばであるキリストを拒む全ての被造物は、天地もろとも滅びます。



 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがあり
ません。(マタイ24:35)

 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に
自分の家を建てた賢い人に比べることができます。(マタイ7:24)


 神のことばに聞き従うことは、キリストという岩の上に人生を建て上げる人で
す。岩の上に建てない世界が揺さぶられる時にも、決して揺さぶられることは
なく、天地が滅び去る時にも、永遠の新しい天と地で永遠に生きるのです。御
言葉に従う人の住所は、すでに、新エルサレムだからです。


 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを
守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のと
ころに来て、その人とともに住みます。(ヨハネ14:23)




信ずべき(忠実な、真実な、まことの)


 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神
は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせ
るようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、
脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13)


 聖霊を拒む世界が試練を通過します。神を愛する人々も、試練に会いますが、
それは、新エルサレムを心に宿すまでのことです。聖霊様である、新エルサレ
ムを心に宿す時、神の国へと脱出させ、試練の世にあって、神の国を歩み続
けます。神は、信ずべき、真実なお方です。




真実な(まことの)


 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で
実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと
多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。(ヨハネ15:1-2)

 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたし
もその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたし
を離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(15:5節)


 イエス様にとどまることは、聖霊様に働いていただくことです。自分の考え、力、
計画では、神の国の実を結びませんが、自分自身の内側を、神の造り変えに
協力し、刈り込みに協力するならば、思いを遥かに超えた、大収穫となるので
す。




預言者たちのたましい (霊:ギリシャ語) の神である主


 その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹
き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。(創世記2:7)


 最初の人間アダムは、神の息である、聖霊が吹き込まれ、生きる者となりま
した。


 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思
いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならな
い。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16-17)


 しかし、神の禁じた木から取って食べた瞬間、聖霊は去り、神の臨在は去
り、罪と死と呪いが全ての人にやって来ました。

 最後のアダムであるイエス・キリストは、聖霊によって人として生まれた、神・
人です。キリストは、最初のアダムの失った聖霊を、全て、キリストを信じ求め
る人に与え、神・人としてくださいます。



 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後の
アダムは、生かす御霊となりました。(1コリント15:45)


 イエス様のことばは御霊であり、永遠の命を与えます。御霊ではない、どの
ような人間の言葉も、永遠の命を与えません。


 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあな
たがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネ6:63)


 聖霊様は、あらゆる真理に導き、永遠の命を与え、新エルサレムに住ませ
て下さいます。


 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理
に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やが
て起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。(ヨハネ16:13)




遣わす

1 御使いを遣わす

 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不
法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みま
す。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。(マタイ13:41-42)

 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御
使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
(マタイ24:31)


2 キリストを遣わす

 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世
が救われるためである。(ヨハネ3:17)

 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの
遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(ヨハネ17:3)


3 弟子たちを遣わす

 イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の
道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。イスラエ
ルの家の滅びた羊のところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた。』と
宣べ伝えなさい。病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を
追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の
下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは
当然だからです。(マタイ10:5-10)

 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すよ
うなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。
(マタイ10:16)


4 聖霊を遣わす

 さらに私は、御座――そこには、四つの生き物がいる。――と、長老たちとの
間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。これに七つの角と七
つの目があった。その目は、全世界に遣わされた神の七つの御霊である。
(黙示録5:6)

 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送りま
す。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまってい
なさい。」(ルカ24:49)



わたしはすぐに来る

すぐに (早く)

 平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいま
す。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。
(ローマ16:20)

 だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人
の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れや
あふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れな
さい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。(ヤコブ1:19b-21)


 誰の言葉にでもなく、あなたの考え、怒りの感情にでもなく、すぐに御言葉に
聞き従うならば、新エルサレムが心に来て、本当の敵である、サタンを踏み砕
き、サタンの配下にある人々を、サタンと罪と死と呪いから解放することが出
来ます。




この書の預言の言葉を堅く守る者は、幸い


 勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配
する権威を与えよう。(黙示録2:26)

 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上
に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あ
なたを守ろう。(黙示録3:10)

 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じること
のできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばか
りの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからであ
る。(黙示録3:8)


 聖書の御言葉、キリストの御言葉、ヨハネの黙示録、これらすべては、私た
ちが、危険な世のただ中にあって、サタンに勝利するためです。勝利するため
の、全ての神の武具、平和の武具が、ここにあります。


 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。
主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがた
の霊、たましい、からだが完全に守られますように。(1テサロニケ5:23)





    ヨハネの黙示録 NO.18-2 につづく














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創刊日:2016-03-02  
最終発行日:  
発行周期:週刊  
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