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ヨハネの黙示録

今は終末の時代です。ヨハネの黙示録の御言葉に心を留め、永遠の御国を受け継ぐ幸いな者となりましょう!

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ヨハネの黙示録 NO.17

2016/07/15

。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 
 
        ヨハネの黙示録 NO.17  第21章
 
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、
もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾ら
れた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
(1-2節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
       
 「以前」とは、第一とか、最初の、という意味で、以前の天と地とは、創世記
に記されている、御言葉である、イエス・キリスト様が造られ、現在も存在して
いる天地です。
 
 この、第一の天地において、サタンの神への反逆と、最初の人がサタンに
従ったことにより、人は、サタンと罪と死に支配される存在と転落しました。
 
 そのため、第一の地は、人々の罪のため、神は洪水によって、ノアと家族以
外を滅ぼしました。
 
 
 天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成っ
たのであって、当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとってお
かれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
(2ペテロ3:5b-3:7)
 
 
 イエス様は、人として生まれ、全て彼を信じる人の罪の贖いの死を成し遂げ、
陰府へ行き、死と陰府の鍵をサタンから奪い返し、復活し、弟子たちに40日
にわたって現れ、昇天し、父と共に天の御座に着座されました。
 
 イエス様が、全ての贖いを成し遂げ、天へ戻られた時、新しい天と新しい地
が用意されました。この、新しい天と、新しい地は、聖霊によって、聖霊を受け
る人々の心にやってきました。
 
 ですから、第一の地で、聖霊を受けて、イエス様と共に歩む人々は、すでに、
新しい天と地に住み始めています。また、聖霊を受けずに、聖書を読んでも、
教会に集っても、新しい天と地には、入ることは出来ません。
 
 
 
 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたが
たに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く
のです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたが
たをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるた
めです。(ヨハネ14:2-3)
 
 聖霊様は、新しい天と地、新エルサレム、イエス様の住所なのです。
 
 花嫁のように「整えられて」の、「整える」と、「備える」は、同じギリシャ語で
す。イエス様が、備えて下さったのが、新エルサレムであり、新しい天と地です。
 
 
 
 第一の地には海がありました。政治、商取引に乗じて、サタンの働く、不透
明な、不義の世界です。新天新地では、不透明な海は存在しません。あらゆ
る分野が透明です。人々の心にキリストが宿るので、皆、神の御声に聞き従
い、御心を行うからです。
 
 
 
 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加
えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)
 
 
 神の国と、その義(イエス・キリスト)を第一に求めるならば、すべての必要
が備えられるのは、聖霊様によって、キリストを心に宿す人々には、すでに、
新しい天と地が来ているからです。それは神の国、人と神の共生です。
 
 
 第一の天と地での、聖霊不在の人と人との結束、一致である、グローバル
化は、反キリストのもとに一つとなって、天地もろとも滅びますが、
 
 新しい天と地のもとで、聖霊様によって、全ての国から召し出された、神の
国の聖徒である花嫁は、キリストのもとへと、携挙・復活によって集められ一
つとなり、新エルサレムに住みます。そして、もうすでに、聖霊様と共に歩む
人々は、新天新地、新エルサレムに住み始めています。
 
 
 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見える
ものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。(2コリント4:18)
 
 
 
 第一の天地は、これから激しく振るわれますが、新しい天と地である、神の
国に生まれ、神の国に生き続ける人々は、振るわれることはありません。
 
 
 
 こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、
感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に
喜ばれるように奉仕をすることができるのです。(ヘブル12:28)
 
 
 
 
新しい天と新しい地とは、新しい皮袋のこと
 
 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そん
なことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってし
まいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。(マルコ2:22)
 
 
 聖霊様によって、イエス様が心に誕生し、御言葉に従うことによって、心の
中のキリストが現実の牧者となって、人生を導く、主人となるならば、この世の
政治、この世の教育、この世の教会、この世のビジネス、この世の家族では
なく、神の国の政治、神の国の教育、神の国の教会、神の国のビジネス、神
の国の家族である、新しい皮袋、新しい天と地の住人となります。
 
 
 神の国では、働き人を求めています。誰でも働くことが出来ます。その働き、
とは、御言葉に従う、という仕事です。その、報酬は一律で、全ての必要の備
えと守り、そして、千年王国と、新エルサレムの住人になることです。
 
 
 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人の
ようなものです。彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らを
ぶどう園にやった。(マタイ20:1-2)
 
 
 
 
新しい天と地は、新しい契約、新しい律法によって
 
 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流される
ものです。(マタイ26:28)
 
 見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、イスラエル
の家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖
の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようで
はない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまっ
た。――主の御告げ。――彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ
契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの律法を彼らの中に置
き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの
民となる。(エレミヤ31:31-33)
 
 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を
再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊
を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。(ローマ8:14-15)
 
 
 新しい天と地の律法は、心に宿る聖霊様であり、このお方に従い導かれる
人々は神の子であり、神の守り、供給、祝福が、いつでも、どこでもあります。
心に記される律法である、聖霊様、内住のキリスト、そのお方が新エルサレム
だからです。
 
 
 
新しい天と地は、新しい心、新しい霊によって
 
 わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに
新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の
心を与える。(エゼキエル11:19)
 
 
 石の心とは、石に書かれた、モーセの律法によって、ますます頑なになって
滅びゆく人の心ですが、聖霊様が、その心に来られると、イエス様を愛する心
が与えられ、愛するお方が、日々の生活の中で、教え、導いて下さって、キリ
ストとの愛の関係の中で、神の御心を喜んで行ってゆくようになるのです。
 
 石の心のクリスチャンは、祈ることが出来ません。せいぜい、祈祷会で祈り
ますが、神に届く祈りではありませんから、国を滅びから救うことも、人々を救
いへ導くことも出来ません。自分自身が、神の国へと救われていないからです。
毎朝、何より先に祈ることも、常に祈ることも出来ません。石の心には、キリス
トは不在で、キリストを愛する思いが無いからです。
 
 
 
新しい天と地は、新しく生まれることによって
 
 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新
しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」・・・
 「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなけ
れば、神の国にはいることができません。(ヨハネ3:3・・5)
 
 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天
が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になっ
た。また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わた
しはこれを喜ぶ。」(マタイ3:16-17)
 
 
 
 聖霊によって人として生まれた、イエス様ご自身も、水のバプテスマを受け
ました。その後、救い主としての使命を全うさせるための、溢れるばかりの聖
霊が、彼の上に留まりました。
 
 私たちは、悔い改めによって、キリストと共に、水のバプテスマによって、古
い自分に死に、聖霊のバプテスマによって、神の子として、神の御心を行うた
めに、神の国に生まれる必要があります。
 
 
 
新しい天と地は、新しいことばを語ることによって
 
 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって
悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決し
て害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコ16:17-18)
 
 
 聖霊様の与えて下さる、新しいことば、異言は、神の国へと、神の御思いへ
と、即刻、導き入れて下さいます。
 
 この世の思い、生まれながらの人間の思いによって反応し、導かれる時、
人々は、簡単に、憎しみの連鎖に入れられてしまい、破滅に向かいます。
 
 しかし、聖霊に満たされ、新しいことば、異言で祈る時、どのような状況に
あっても、愛、喜び、平和、寛容であることが出来ます。イエス様が、心を導
き、キリストの心を心とするようにされるからです。
 
 
 
新しい天と地は、新しく造られることによって
 
 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いも
のは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5:17)
 
 
 水と聖霊によって、神の国に生まれた人々は、キリストの内にある、新しい
被造物です。新しい被造物である、神の子が、新らしい天と地の住人です。
 
 もはや、神は、古いあなたの、犯した罪も、失敗も覚えておられません。なぜ
なら、古いあなたは、もはや、存在しないからです。大切なことは、聖霊様に、
いつも満たされ、新エルサレムに生きることです。
 
 
 
 
新しい歌を歌う
 
 彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌っ
た。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶ
ことができなかった。(黙示録14:3)
 
 
 
 世の情勢の、様々の動きの背後に、神の御手があります。サタンと反キリス
トと、その勢力は、今、必死に働いていますが、イエス様は、サタンを滅ぼし、
世界を神の国にします。それが、新天新地です。
 
 聖霊様によって、キリストを心に宿し、新エルサレムに生きている人々は、
闇によって、第一の地に属する人々には隠されている、新しい天と地の真理
を知り、キリストの御声に聞き従うことによって、サタンと反キリストの欺きに勝
利し、彼ら以外には学ぶことの出来ない、新しい歌、イエス様への賛美の歌を
歌うのです。
 
 
 この、メールマガジンを書いている時に、聖霊様の、ものすごい動きが、アメ
リカと、イギリスから立ち昇って来ました。終わりの時の大リバイバルがもたら
され、新しい歌、勝利の歌を歌うことでしょう。
 
 
 
 
新しい天と地では、新しい名で呼ばれる
 
 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を
得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それ
を受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』(黙示録2:17)
 
 
 神の恵みに応え、どれだけイエス様を愛し、イエス様に心を明け渡したかに
よって、神は、新しい名前を下さいます。それは、キリストが100%になった人
に与えられる、キリストの勝利の名です。
 
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕
屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご
自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。
もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もは
や過ぎ去ったからである。」(3-4節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見
た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとま
ことに満ちておられた。(ヨハネ1:14)
 
 
 神が、人と共に住むところ、それが、新しい天と地です。
 
 第一の天と地は、神と人が分離し、天と地が分離しました。最初の人が、サ
タンに従ったからです。
 
 イエス様が、人となられたのは、人を、新しい天と地、すなわち、神が人と共
に住む、新しい天と地に人を住ませるためです。
 
 
 
 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたが
たに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く
のです。(ヨハネ14:2)
 
 これは、イエス様の名前で求める人、一人一人に与えられる、聖霊様のこと
であり、新エルサレムのことす。聖霊様、という神の家は、求める全ての人に
与えられる、新しい天と地です。
 
 
 
 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを
守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のと
ころに来て、その人とともに住みます。(家を造ります:ギリシャ語)(ヨハネ14:23)
 
 父、子なる、イエス・キリスト様が、御言葉を守る者のところに来て造る、神
の家とは、聖霊様のことであり、新エルサレムのことです。
 
 
 
 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられること
を知らないのですか。(1コリント3:16)
 
  あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊
の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らない
のですか。 (1コリント6:19)
 
 
 神の家が、新エルサレムが、その心に造られた人は、その存在が、神の神
殿となり、新しい天と地、新エルサレムです。
 
 イエス様の愛への感動の涙はあっても、もはや、悲しみの涙はありません。
キリストと共にある勝利の、喜びの叫びはあっても、苦しみの叫びは、もは
や、ありません。
 
 
 
 目の涙をすっかり「ぬぐい取って」 の、「ぬぐい取る」と「ぬぐい去る」「無効
にされた」 は、同じギリシャ語が使われています。
 
 
 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い
改めて、神に立ち返りなさい。(使徒3:19)
 
 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている
債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づ
けにされました。(コロサイ2:14)
 
 
 悔い改めて神に立ち返り、罪をぬぐい去られた人々には、神は、人々の訴
えを無効にします。神ご自身が「神の義」を与え、無罪を宣言されたからです。
 
 この、「神の義」による以外に、誰一人、救われることは無く、神の国に入る
ことはできません。「神の義」を与えられた人々は、悲しみ、苦しみの涙を、神
がぬぐ去って下さるのです。
 
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新
しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであ
り、真実である。」(5節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
 いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、
私たちには、キリストの心があるのです。(1コリント2:16)
 
 
 聖霊様によって、イエス様が心に住み、神の家、新エルサレムが、心に造ら
れると、神の御思いが、心にあります。すべてのことについて、神の御思いに
聞き従う人々は、新しい天と地に、すでに生きています。
 
 神の御思いに聞き従う人々にとっては、キリスト御再臨前に、世界大戦と、
大患難時代を通過する、第一の天と地にあっても、すでに、新しい天と地の中
を生きていますから、神は、安全に導いて下さいます。
 
 霊の目を開いていただきましょう。第一の天と地の中にあって、新しい天と
地である、神の国が、聖霊様と共に来ているのです。
 
 
 聖霊様は、紳士ですから、無理やり、心の中には入りません。無理やり、改
心させることはありません。
 
 しかし、誰でも、悔い改め、心を低くして、彼を求めるすべての人の心に住
み、新しい天と地となって下さるのです。
 
 
 あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外
面的なものでな むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持
つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値ある
ものです。(1ペテロ3:3)
 
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最
初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに
飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、
彼はわたしの子となる。(6-7節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
 
 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によら
ずにできたものは一つもない。(ヨハネ1:3)
 
 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見
た。(ヨハネ1:14a)
 
 「造られた」「(人と)なった」と訳されているギリシャ語は、「成就した」と同じ
言葉です。
 
 天地万物を創造されたのも、創造した神ご自身が、人となられたのも、そし
て、新天新地とその秩序を創造されたのも、すべて、イエス様の御意思、イエ
ス様ご自身である、御言葉です。
 
 
 
 イエス様は、アルファ、初めであり、オメガ、最後です
 
 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。こ
の方は、初めに神とともにおられた。(ヨハネ1:1-2)
 
 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるので
す。(ローマ10:4)
 
 
 全ての被造物は、イエス様の前にも、後にも存在しない、すべては、イエス
様と共にしか存在することが出来ません。
 
 イエス様は、罪と、律法の呪いと死を終わらせたので、イエス様を信じ、イエ
ス様と共にあるならば、永遠に存在するのです。
 
 
 
 
 イエス様は、渇く者に飲ませる、命の水です
 
 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。(マタイ5:6)
 
 世の人々は、自分自身の義に立って、行動します。しかし、人の義は、しば
しば、憎しみ、戦争をも引き起こす、相対的な義であり、永遠の命を与えるも
のではありません。
 
 
 しかし、神の義である、イエス様は、聖霊様を与え、全て信じる者の、永遠の
命となり、命の道となり、神の御心に歩ませてくださいます。
 
 
 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しか
し、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わた
しが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
(ヨハネ4:13-14)
 
 
 伝統や、学校教育、政治家や人の国の政府の与える水では、人は生きるこ
とは出来ません。それらは、神の御心の中にある時、人々も、国も、神の祝福
の中にありますが、それによって生きることは出来ません。
 
 イエス様の与える水、神の国政府の水である、イエス様ご自身、聖霊様だけ
が、あらゆる事柄に答えを下さり、全てを祝福に変えつつ、導き、備える、唯一
の命の水、命のパンです。
 
 
 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して
飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありま
せん。(ヨハネ6:35)
 
 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあな
たがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネ6:63)
 
 
 
 
 しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、た
だちに血と水が出て来た。(ヨハネ19:34)
 
 命の水は、イエス様の十字架での、身代わりの、お苦しみを通して、すべ
て、キリストを信じ、求める人に与えられる、神の恵みです。
 
 
 
 その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の
音のようであった。(黙示録1:15)
 
 十字架の死、復活、昇天を経て、イエス様の声は、求める全ての人に与え
る、命の水、しかも、大水となったのです。
 
 
 
 
 「値なしに」は、「無償で」、「無料で」、「賜物として」、と訳されているギリシャ
語です。
 
 
 病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。
あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。(マタイ10:8)
 
 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とさ
れるのです。(ローマ3:24)
 
 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦し
ていただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そう
すれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。(使徒2:38)
 
 
 神の国に入るのにも、聖霊である命の水を飲むにも、癒しを受けるのも、
数々の天の祝福を受けるのも、全て、イエス様のプレゼントであり、無償の賜
物です。新しい天と地は、お金によっては獲得できません。それは、すべて、
神への信頼と求め、従順に対する、神からの無償の提供だからです。
 
 神の国は、あなたの、悔い改めとイエス様への信頼と従順、という代価を
払って、無償で受け取る、神の賜物なのです。
 
 
 
 
 勝利を得る者
 
 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
(ローマ12:21) 
 
 
 神の国の勝利は、善によってのみ獲得できます。
 
 
 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えな
さい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(1ペテロ3:9)
 
 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞
いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害
する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子ど
もになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人
にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイ5:43-45)
 
 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何
をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34a)
 
 
 勝利を得る者とは、キリストと共に十字架のキリストの心になり、敵の救いの
ためにも祈る人々です。
 
 
 
 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤは
その良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
(ルカ10:42)
 
 必要なことは、ただ一つ、イエス様の足もとに座り、必要な御言葉をいただ
き、御言葉に従うことです。それだけで十分です。御言葉に従う時、あなたが
働くのではなく、神がお働きになり、御心、神の御業を現わして下さるからです。
 
 
 
 
相続する
 
 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨て
た者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。(マタイ19:29)
 
 永遠の命を相続します。
 
 
 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えな
さい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(1ペテロ3:9)
 
 祝福を相続します。
 
 
 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続
できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。(1コリント15:50)
 
 神の国を相続します。
 
 
 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新
しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)
 
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊
によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生ま
れた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。(ヨハネ3:5-6)
 
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、
魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と
硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」(8節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
第二の死(火と硫黄の池、地獄)へ行く人々
 
 
「おくびょう者」 と訳されているギリシャ語は、ここでは「信仰の薄い者」と訳さ
れています。
 
 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、
起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。(マタイ8:26)
 
 
 イエス様が、同じ船に乗っておられるというのに、弟子たちは、状況を見て
恐れました。一緒に船に乗っておられる方が、天地の創造者であることを、実
際には信じていなかったのです。
 
 私たちの心に住んでおられるイエス様は、人生の、すべての荒波を静める
お方です。そのような、偉大な方が、心に住んでおられるのです。ただ、信じる
ことです。イエス様は、全て、信じる人と共にいて下さる、救い主です。イエス
様が共にいてくださることは、恐れる必要の無い、人生の航海です。
 
 
 
不信仰の者
 
 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見な
さい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならない
で、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)
 
 聖霊様は、見えないキリストです。イエス様は、いつでも、あなたと共におら
れるのです。信じる者になりましょう。
 
 
 
 不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法と
に、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるで
しょう。(2コリント6:14)
 
 
 
 
憎むべき者、不品行な者
 
 あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないので
すか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする
者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、
略奪する者はみな、神の国を相続することができません。(1コリント6:9-10)
 
 フリーセックス、同性愛、買春、売春は、悔い改めない限り、地獄行きです。
 
 
 
人を殺す者
 
 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求
し、いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえ
らせました。私たちはそのことの証人です。(使徒3:14-15)
 
 そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみ
な剣で滅びます。(マタイ26:52)
 
 
 イエス様の弟子たちは、決して人を殺さない人々です。
 
 
 アメリカの、マフィアの殺し屋が、人を殺している最中に、聖霊様が臨まれ、
全く変えられて神の器となった伝道者がいます。
 
 日本でも、やくざの殺し屋だった人々が、聖霊様によって全く変えられ、伝道
者、牧師になっている人々がいます。
 
 
 イエス様を十字架で殺した人々さえも、悔い改めて、イエス様の御名による
水のバプテスマと、聖霊様のバプテスマによって、神の子と変えられ、神の器
となりました。人は皆、どのような罪も、聖霊様を悪く言う罪以外は、悔い改め
るなら救われるばかりか、神の恵みの人生が始まるのです。
 
 
 
魔術を行う者
 
 ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうお
まえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者
どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。(黙示録18:23)
 
 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエ
スというユダヤ人の魔術師に出会った。この男は地方総督セルギオ・パウロ
のもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神
のことばを聞きたいと思っていた。ところが、魔術師エルマ(エルマという名を
訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。
(使徒13:6-8)
 
 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、
見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。(マタイ2:1)
 
 
 魔術師と、博士は、同じギリシャ語が使われています。イエス様に栄光を帰
さない、心にキリストを持たない博士たち、知識人は、魔術師となって、人々を
欺き、世を欺き、グローバル化、世界統一政府、反キリスト礼拝へと人々を導
き、第二の死で、永遠の滅びに至るのです。
 
 
 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者
です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられる者
は、神の前で憎まれ、きらわれます。(ルカ16:15)
 
 
 
偶像礼拝者
 
 あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさ
ぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との
御国を相続することができません。(エペソ5:5)
 
 不品行や、汚れ、むさぼり(他人のものを欲しがる)ことは、すべて、偶像礼
拝の結果です。
 
 
 悔い改め、聖霊様によって、イエス様が心に宿り、そのお方に聞き従う時、
すべての汚れ、むさぼりとは無縁です。イエス様が愛するべき方として、日々、
共にいて下さり、守り、導き、必要を備えて下さるからです。
 
 
 
 
偽りを言う者
 
 戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはな
らない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。
父と母を敬え。』」(マルコ10:19)
 
 偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。
御父と御子を否認する者、それが反キリストです。(1ヨハネ2:22)
 
 
 偽証は、サタン、反キリストに属する人々の、キリストを抹殺するための作り
話です。モーセに与えられた律法の、最重要の戒めである十戒の第九の戒
めが、偽証をしてはならない、という戒めです。偽証者は、悔い改めない限り、
地獄行きです。
 
 
 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対
し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よ
ろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の
預言者たちも、同じように迫害されたのである。(マタイ5:11-12)
 
 
 イエス様は、反キリストに属する人々の偽証により、十字架刑に処せられま
したが、神が、それを許されたのは、人々の罪を贖うためでした。イエス様は
復活され、昇天し、そこから聖霊を注いでくださって、彼を信じ、求める全ての
人を、完全に救う、救い主となられました。
 
 聖霊を注がれ、キリストが、心に宿り、キリストを主権者として従う時、反キリ
ストに属する人々が、偽証を始めるでしょう。それは、反キリスト王国の存在
が危うくなることを知っているからです。
 
 もし、そのようなことに出くわしたならば、彼らに弁解したり、それを打ち消す
ことに時間と労力をかけるのではなく、聖霊様と共に、喜び、喜ぶのです。新
しい天と地での報いが大きいからです。
 
 偽証は、人々を、イエス様の側か、反キリストの側かに振り分けるだけのこ
とです。偽証をする人々の心に宿るサタンを見分ける人々は、偽りを信じない
ばかりか、聖霊様によって、イエス様を心に歓迎し、永遠の命を受け継ぐので
す。
 
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御
使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあ
なたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」そして、御使いは御霊によって
私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、
天から下って来るのを見せた。(9-10節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
 聖なる都エルサレムは、新しい天と地である、天と地が共存する、永遠の御
国、神の国であり、聖霊様であり、聖霊様によって神の御思いと一つになった、
キリストの花嫁です。
 
 そして、それは、花嫁に与えられる、新しい心であり、この心を与えられた者
だけが、新エルサレムとなるのです。
 
 それは、神から降る、キリストの心、聖霊様であり、神からの賜物です。
 
 
 
天から下るもの
 
1 イエス様
 
 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるな
ら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのため
の、わたしの肉です。」(ヨハネ6:51)
 
2 天使
 
 そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、
神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ま
す。」(ヨハネ1:51)
 
 
3 聖霊
 
 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、
激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。する
と、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで
話しだした。(使徒2:1-4)
 
 
4 サタン
 
 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わ
ざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下った
からである。」(黙示録12:12)
 
 
5 さばき
 
 また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、
この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかっ
たからである。(黙示録16:21)
 
 彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを
取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。(黙示録20:9)
 
 
6 新エルサレム
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った
碧玉のようであった。都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの
門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いて
あった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があっ
た。また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の
十二の名が書いてあった。(11-14節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
 ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い
出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊
のようなキリストの、尊い血によったのです。(1ペテロ1:18-19)
 
 
 新エルサレムは、新しい心であり、新しい心が、現実の新エルサレムとなり
ます。新エルサレムになるためには、その心が必要です。
 
 
 
門・・・十二人の御使いと、イスラエル十二部族の名
 
 町の門にはイスラエルの部族の名がつけられている。北側の三つの門はル
ベンの門、ユダの門、レビの門である。東側・・・ヨセフの門、ベニヤミンの門、
ダンの門である。南側・・・シメオンの門、イッサカルの門、ゼブルンの門であ
る。西側・・・ガドの門、アシェルの門、ナフタリの門である。(エゼキエル48:31・・34)
 
 彼が私を聖所の東向きの外の門に連れ戻ると、門は閉じていた。主は私に
仰せられた。「この門は閉じたままにしておけ。あけてはならない。だれもここ
からはいってはならない。イスラエルの神、主がここからはいられたからだ。こ
れは閉じたままにしておかなければならない。ただ、君主だけが、君主として
主の前でパンを食べるためにそこにすわることができる。彼は門の玄関の間
を通ってはいり、またそこを通って出て行かなければならない。」(エゼキエル44:1-3)
 
 
 君主だけ、イエス様だけが入ることを許される門、それは、東の門、イエス
様の再臨される、オリーブ山に面した門です。
 
 新エルサレムの心は、イエス様以外に、誰も、何者も、指導者として、牧者と
して入ることを禁じられます。全ての牧師、伝道者の務めは、門の外です。キ
リストご自身が、牧者となるための、なるまでの務めです。キリストが牧者と
なって導かれるのを見たら、神に感謝し、賛美を捧げるのです。
 
 新エルサレムの聖徒たちは、様々な人々の声、アドバイス、この世の声、自
分の思い、良い牧者たちの声からさえも遮断して、イエス様ご自身の御声を
聞く必要があります。イエス様の御声に聞き従う人々が、新エルサレムの心で
あり、新エルサレムだからです。イエス様は、全てを備え、あなたと共に行き、
御業を現わして下さいます。
 
 イエス様の御声に聞き従う時は、いつでも、神の愛、天の喜び、平和、寛
容、慈愛、忠実、柔和、自制などの、聖霊様の思いがあり、天使も共にいて、
神の国を拡大してゆきます。
 
 
 
土台・・・十二使徒の名
 
 わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人
に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩
の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川
の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしま
せんでした。(ルカ6:47-48)
 
 
 この終わりの時代は、振るわれる時代です。人の言葉、人の知識、伝統、
学問、この世の富を基盤として建てられる組織、企業、働き、国の振るわれる
時代です。
 
 しかし、イエス様の御言葉に聞き従い、イエス様という永遠の岩の上に建て
るならば、様々な危険や、試練の中に置かれる時も、神の守りがあり、神の
栄光が現れるのです。
 
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを
持っていた。都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測
ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。また、彼が
その城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。これが御使い
の尺度でもあった。(15-17節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
 
 一万二千スタディオンは2200km で、北海道の最北端、稚内から鹿児島を越
え、奄美大島までの長さですから、新エルサレムは、日本列島をすっぽり覆う
ほどの大きさの、立方体です。
 
 
 一万二千スタディオンは実際の距離というよりも、象徴的な数字とも思われ
ます。長さ一万二千 × 幅一万二千 = 十四万四千 × 千 であり、額に
印を押されたイスラエルの民の数の千倍であり、千年王国での増し加わりと、
キリスト再臨時の復活も含めた、全イスラエルです。
 
 高さ一万二千 × 長さと幅 一万二千 = 十四万四千 × 千 が、四方に
面し、四面ありますが、これは、時代を越えた、全世界からの、復活、携挙に
よって集められた花嫁です。
 
 天に面する、長さ一万二千 × 幅一万二千 = 十四万四千 × 千 は、
天の軍勢です。
 
 
 すなわち、新エルサレムは、全イスラエルと、時代を越えた、全ての、イエス
様に従った聖徒たちと、天の軍勢であり、共に、新エルサレムの心を宿してい
た天使たち、人々の共同体です。
 
 
 立方体は、第二の幕屋である、至聖所の構造で、新エルサレム全体が、世
界の至聖所であり、新しい天と地全体が、神の聖所となるのです。
 
 
 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたが
たの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの
信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、
愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、そ
の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神
ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(エペソ3:16-19)
 
 
 新エルサレムの大きさは、神の愛の大きさであり、私たちの心に宿る、キリ
ストの大きさです。
 
 
 
城壁
 
 そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼ら
のために右と左で壁となった。(出エジプト14:22)
 
 
 紅海の水の、左右の「壁」は、ヘブル語で「城壁」と、他の個所で訳されてい
ます。すなわち、新エルサレムの城壁は、罪をも、敵をも寄せ付けない、完全
潔癖な守りです。これは、水のバプテスマです。
 
 
 
 『エルサレムは、その中の多くの人と家畜のため、城壁のない町とされよう。
しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。――主の御告げ。――わた
しがその中の栄光となる。』(ゼカリヤ2:4b-5)
 
 
 新エルサレムの城壁とは、神ご自身です。
 
 聖霊様によって、心に宿る、新エルサレムは、火の城壁となって、キリストの
御声に聞き従う人々を守る神の盾です。これは、聖霊と火のバプテスマです。
 
 
 
 
人と御使いの尺度が等しい
 
 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達
し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
(エペソ4:13)
 
 
 新エルサレムを心に宿すならば、その視点、尺度は、御使いの尺度と等しく
なります。
 
 人間の尺度は、多くの場合、正しくありません。それは、不信仰と、自己保
身から来る、都合のよい尺度を作り出すからです。
 
 しかし、御使いの尺度によって測る時に、全ての問題が、いとも簡単に解け
るのです。それは、聖霊様の祈り、完全なキリストの愛の心です。
 
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできて
いた。都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は
碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、第五は赤縞めのう、第
六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑
玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。(20節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
 
 碧玉で造られた城壁は、火の城壁であり、神の完全な清めと守りの城壁で
す。(ゼカリヤ2:4-5)
 
 
 
新エルサレムは純金でできていました。
 
 
 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いので
あって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものである
ことがわかります。(1ペテロ1:7)
 
 新エルサレムの心は、試練を通して、罪や、人間的な思いを焼き尽くされた
後に与えられる、神の新創造です。
 
 
混じりけのない(清い)ガラスに似ている
 
 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。(マタイ5:8)
 
 目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、
外側もきよくなります。(マタイ23:26)
 
 偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり
見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。(マタイ7:5)
 
 
 他人の目の小さなちりばかりを責め立てる、自分の目に、大きな梁(丸太)
を入れたままの人が何と多いことでしょうか。大きな梁とは、「自己義」のこと
です。
 
 新エルサレムの住人は、「神の義」であるキリストによって見ることのできる
人々です。
 
 梁である「自己義」を取り除き、「神の義」であるキリストの目、キリストの心
になる時、人々は、もはや、争ったり、憎んだりすることはありません。
 
 
 
城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られる
 
 同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪
の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言って
いる女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。(1テモテ2:9)
 
 十二種類の宝石とは、つつましさと、良い行いです
 
 奴隷には、すべての点で自分の主人に従って、満足を与え、口答えせず、 
盗みをせず、努めて真実を表わすように勧めなさい。それは、彼らがあらゆる
ことで、私たちの救い主である神の教えを飾るようになるためです。(テトス2:9)
 
 十二種類の宝石とは、謙遜と、キリストの御言葉です。
 
 そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を
出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚
かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘
たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。花婿
が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。ところが、夜中になっ
て、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。娘たちは、みな起きて、自
分のともしびを整えた。(マタイ25:1-7)
 
 十二種類の宝石とは、内なる人であるともしび、聖霊様の満たしによる、内
住のキリストです。
 
 
 宝石は、人が造ったものではなく、神の造られた地球の、深いところで、長
い年月の、圧力と、熱と、変化の中で造り変えられた、神の作品であり、試練
や、圧力や、様々な時代の変化の中で、神によって砕かれ、磨かれた、内な
る人、自我の取り除かれた、純粋な、内住のキリストです。
 
 
 
1 碧玉
 
 たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座
に着いている方があり、その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座
の回りには、緑玉のように見える虹があった。(黙示録4:2-3)
 
 
2 サファイヤ
 
 彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に
似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たもの
があった。(エゼキエル1:26)
 
 
3 緑玉(エメラルド) 6 赤めのう
 
 その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のよう
に見える虹があった。(黙示録4:3)
 
 
5 赤縞めのう  7 貴かんらん石
 
8 緑柱石
 
 私が見ると、ケルビムのそばに四つの輪があり、一つの輪は一つのケルブ
のそばに、他の輪は他のケルブのそばにそれぞれあった。その輪は緑柱石
の輝きのように見えた。(エゼキエル10:9)
 
 そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目
は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがきあげた青銅の
ようで、そのことばの声は群集の声のようであった。(ダニエル10:6)
 
 
9 黄玉 (トパーズ)
 
 あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤
めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トル
コ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが
造られた日に整えられていた。(エゼキエル28:13)
 
 
10 緑玉髄 11 青玉(ヒヤシンス石) 12 紫水晶
 
 
 
 
 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物
になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。
そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あな
たの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。(マタイ6:19-21)
 
 
 新エルサレムの城壁の土台石の宝石は、地上に宝をたくわえず、天にたく
わえた人々によって飾られた、新天新地の心です。
 
 
 
 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、
それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買いま
す。(マタイ13:44)
 
 
 新エルサレム、という、天の宝は、永遠に滅びず、試練によっても倒れな
い、隠された宝です。
 
 
 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知
れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされ
るためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありま
せん。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されています
が、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエ
スの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身に
おいて明らかに示されるためです。(2コリント4:7-10)
 
 
 新エルサレムは、キリストご自身です。朽ちゆく私たちの体、土の器の、心に
宿るキリストです。朽ちないキリストという宝は、私たちの土の器である肉体を、
朽ちない体に変えて下さいます。この、キリストが共にいる時、常に勝利です。
 
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠から
できていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。(21節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
 
 宝石は、神に逆らわず、淡々と、その造り変え、鍛錬に耐えて出来上がりま
したが、真珠は、真珠貝の涙によって出来ました。 
 
 神は、しばしば、私たちの無知や、心に残されている、自我によって、神の
御心を阻むものがある場合、試練が与えられることを許します。
 
 
 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思わ
れるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を
結ばせます。(ヘブル12:11)
 
 
 
 新エルサレムが心になるためには、誰でも、試練の涙を通過します。人は
皆、自分が正しい、と思う時に、「神の義」である、キリストを心から締め出して
いるからです。
 
 試練の涙、痛みを通してキリストの心を心とする時、平和の川、癒しの川が、
あなたから流れるのです。それは、内住のキリスト、新エルサレム、いのちの
水の川、聖霊様です。
 
 
 
 
大通りは、透き通ったガラスのような純金
 
 あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとし
て手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。それをあなたがたの子ども
たちに教えなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝ると
きも、起きるときも、それを唱えるように。これをあなたの家の門柱と門に書き
しるしなさい。それは、主があなたがたの先祖たちに、与えると誓われた地
で、あなたがたの日数と、あなたがたの子孫の日数が、天が地をおおう日数
のように長くなるためである。(申命記11:18-21)
 
 
 どこを歩く時も、どこにいる時も、何をする時も、イエス様と共にあるならば、
それは、何の濁りもない、何によっても滅ぼされることの無い歩みとなります。
人の全ての思い、行動は、神の目からは、すべて透明で、隠されることはあり
ません。
 
 新エルサレムの住人は、心も歩みも、イエス様に明け渡した人々です。
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神
であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。都には、これを照らす太陽
も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだか
らである。(22-23節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
 神殿は、単数形で、ただ一つの神殿です。その、ただ一つの神殿が、万物
の支配者(全能者)である、主なる神、イエス・キリスト様です。
 
 神殿というギリシャ語は、至聖所を表しています。
 
 新エルサレムは、町全体が至聖所ですから、新エルサレムは町全体が、イ
エス・キリスト様、そのものなのです。
 
 
 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権
威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。キリストの支配は、すべ
ての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。最後の敵である
死も滅ぼされます(1コリント15:24-26)
 
 
 もはや、天と地は、別々ではなく、一つとなるように、イエス・キリストと父なる
神は、別々ではなく、一人の、主なる神となります。
 
 
 
 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の
宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないの
ですか。 (1コリント6:19)
 
 新エルサレムは、聖霊で満たされた、全ての聖徒たち、でもあります。
 
 
 
 
1 照らす(ファイノ:ギリシャ語)・・これを照らす太陽も月もいらない
 
 
 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)
 
 
 闇に力に打ち勝つには、キリストの光だけで十分で、キリストの光だけが必
要です。
 
 
 
2 照らす(ファティゾ:ギリシャ語)・・神の栄光が都を照らし
 
 
 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。(ヨハネ1:9)
 
 イエス様は、世界を照らす、まことの光であり、
 
 新エルサレムを照らす、神の栄光です。
 
 
 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の
子はその栄光の位に着きます。(マタイ25:31)
 
 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見
た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとま
ことに満ちておられた。(ヨハネ1:14)
 
 
 
 イエス様の光と栄光は、全てを明るみに出し、
 
 ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさ
ばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の
中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届
くのです。(1コリント4:5)
 
 
 心の目を開き、はっきり見えるようにしてくださいます。
 
 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るた
めの知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あ
なたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられ
る望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだ
ものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれ
た力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますよ
うに。(エペソ1:17-19)
 
 
 
 
小羊が都のあかり
 
 からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るい
が、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。だから、あなたのうちの光が、
暗やみにならないように、気をつけなさい。もし、あなたの全身が明るくて何の
暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすと
きのように明るく輝きます。」(ルカ11:34-36)
 
 
 新エルサレムである、イエス様は、私たちの心の目となって下さるのです
 
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来
る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。しかし、すべ
て汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。
小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。(24-27節)
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。
 
 
 
地の王たちは栄光を携え
 
 世界の至聖所である、新エルサレムの、キリストの光は全世界を照らし、
人々は、真の光である、イエス様と共に歩みます。
 
 王たちは、彼らの栄光となった、内住のキリスト、聖霊様と共に新エルサレ
ムに来ます。内住のキリスト、聖霊様だけが、新エルサレムへの道だからです。
 
 
 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。
目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなた
の息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。(イザヤ60:3-4)
 
 
 
 
閉じない門
 
 あなたの門はいつも開かれ、昼も夜も閉じられない。国々の財宝があなた
のところに運ばれ、その王たちが導かれて来るためである。あなたに仕えな
い国民や王国は滅び、これらの国々は荒廃する。(イザヤ60:11-12)
 
 千年王国時代は、復活・携挙によらずに、諸国の民は生きています。多くの
人々は、イエス様に仕え、礼拝し、エルサレムに来ますが、そうでない人々も
混在します。しかし、新しい天と地では、全ての人が、神と共に歩み、神に仕
えるので、もはや、死もありません。
 
 
 
夜が無い
 
 太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、主が
あなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。あなたの太陽
はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光とな
り、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。(イザヤ60:19-20)
 
 
 夜が無いことは、人々の心にも、闇がない、心の中の隠された罪も無い状
態です。
 
 第一の地では、闇が覆っている故、心に、新エルサレムを宿した人々だけ
が、イエス様の光の中を歩きますが、新エルサレムでは、全ての人の心の闇
は存在しないのです。なぜなら、心が、新エルサレム、イエス様で満たされた
人々だけが、永遠に生きることを許されるからです。
 
 
 
人々は諸国の民の栄光と誉れを携えて
 
 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いので
あって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものである
ことがわかります。(1ペテロ1:7)
 
 
 信仰の試練を通して、内住のキリストを選び取り、永遠の命を獲得した諸国
の民は、栄光と誉れを携えて、新エルサレムにやってきます。彼らの心も、新
エルサレムが宿り、永遠の存在と変えられたからです。
 
 
 「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、
――主の御告げ。――あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続
く。毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼
拝に来る。」と主は仰せられる。(イザヤ66:22-23)
 
 
 新しい天地が永遠に続くように、もはや、人間は、死ぬことが無く、神と共に
歩み、神を愛し、神を礼拝し、永遠に生きるのです。
 
 
 
 
憎むべきことと偽りを行う者は、都に入れない
 
  イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする
者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられる
者は、神の前で憎まれ、きらわれます。(ルカ16:15)
 
 
 イエス様だけを崇める人々が、新エルサレムです。
 
 
 この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきも
のや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。
(黙示録17:4)
 
 
 心からキリストを締め出した、偽キリスト教会は、新エルサレムには存在しま
せん。新エルサレムの住人は、心に、キリストを宿した、すべての人々です。
 
 
 
 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を
拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方で
す。アーメン。(ローマ1:25)
 
 
 
 第一の天地を造り、全ての被造物を造り、新しい天と地、新しいエルサレム
を造られた、主イエス・キリスト様だけが、唯一、崇められるべきお方です。
 
 
 
 小羊のいのちの書に名が書いてある人は、その心に新エルサレムが宿る
人です。新エルサレムが心に宿る人々が、新しい天と地で、新エルサレムに
出入りし、永遠に生きるのです。
 
 
 
 
 
。。。。R o o E o o V o o E o o Lo o A o o T o o I o o O o o N 。。。。
 
             ヨハネの黙示録 NO.17
   発行者  村上真理  http://www.d3.dion.ne.jp/~mary/
   明記が無いものは、新改訳聖書から引用しております
 
。。T o o O o o S o o A o o I o o N o o T o o J o o O o o H o o N 。。

















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創刊日:2016-03-02  
最終発行日:  
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