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(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第十八章 優生学 n.12

2018/11/09

 『結婚論』第十八章 優生学 n.12:

 個人道徳(注:private morals 私的道徳。社会道徳に対峙するもの)の観点
からすると,性倫理は,科学的で迷信的でないなら,第一に優生学的な考慮を
優先するだろう。即ち,性交に対する既存の抑制がどんなに緩和されるとして
も,良心的な男女は,自分たちの子供(progeny 子孫)が将来予想される価値
について真摯に考えることなく,子供を生むようなことはしないだろう。避妊
法は,親になることを自発的なものにし,もはや,性交の自動的な結果ではな
くした(のである)。前の方のいくつかの章で考察した,種々の経済的理由に
より(経済的理由のために),父親は将来,子供の教育と扶養(maintenance)
に関して,過去よりも重要でなくなりそうに思われる。従って,女性が,愛人
または友達として好む男性を子供の父親として選ばなければならない強い(人
を納得させる)理由は,それほどなくなるだろう。(注:恋愛は好きな男性と
し,子どもの父親は有能な男性を選ぶというような判断をすることが増えるの
ではないか,ということ)

 未来の女性は,幸福をひどく犠牲にすることなく,優生学的な考慮(配慮)
から子供の父親を選び,他方,普通の性的なつきあいでは,個人的感情のおも
むくままに自由に高度することが,とても容易にできるようになるかもしれな
い。男性にとっては,子供の母親を,親として望ましいという理由で選ぶこと
が,いっそう容易になるだろう。
 私のように,性行動は,子供を伴う場合(子どもが生まれた場合)に限って
社会と関わってくる(関係してくる)と考えている者は,この前提から,将来
の道徳に関して二重の結論を引き出すに違いない。即ち,一方では,子供と関
係のない恋愛(子どもが生まれない恋愛)は自由であるべきであること,しか
し,他方では,子供を作ることは,現在よりもずっと注意深く,道徳的考慮に
よって規制(調整)される問題(matter 事柄)であるべきだ,ということで
ある。しかし,そのこと関係する考慮は,従来認められたものとはいくらか異
なるだろう。ある場合の出産が道徳的と見なされるためには,牧師がある言葉
を発したり,(戸籍)登記官がある書類を作成したりする必要(性)は,最早
なくなるだろう。そういった行為が子供の健康や知能に影響するという証拠は
,まったくないからである。

 必要だと見なされること(の全て)は,当の男女が,(現在の)自分自身に
おいても,自分たちが伝える遺伝の面においても,望ましい子供を生む見込み
があるようでなければならない,ということである。この問題について,科学
が現在よりも確実な判断を下せるようになる時,社会の道徳的意識は,優生学
的見地から見ていっそう厳格なものになるかもしれない。最も優れた遺伝子を
持った男性が,父親として熱心に探し求められるようになるかもしれないし,
一方,(それ以外の)他の男性は,愛人としては受け入れられるかもしれない
が,父親になろうとすると,拒絶されるかもしれない。これまで存在してきた
結婚制度では,こういった計画はいずれも人間性に背くものとされてきたので
,優生学が実際に利用される可能性はきわめて少ない,と考えられていた。

 しかし,人間性が,将来も同様な障壁を設けると想定しなければならない理
由はない。というのは,避妊法によって,子供を生むことと,子供を伴わない
性関係とが分離されつつあるし,父親も将来は,以前のように子供と個人的な
関係を持たなくても済みそうであるからである(注:国家の関与がますます増
大していくため)。過去の道学者たち(モラリストたち)が結婚に付与した厳
粛さと崇高な社会的目的は,世界が倫理の面でもっと科学的になるなら,生殖
だけに付与されることになるだろう。

Chapter XVIII: Eugenics, n.12

From the standpoint of private morals, sexual ethics, if scientific 
and unsuperstitious, would accord the first place to eugenic 
considerations. That is to say that, however the existing restraints
 upon sexual intercourse might be relaxed, a conscientious man and 
woman would not enter upon procreation without the most serious 
considerations as to the probable value of their progeny. 
Contraceptives have made parenthood voluntary and no longer an 
automatic result of sexual intercourse. For various economic reasons
 which we have considered in earlier chapters, it seems likely that
 the father will have less importance in regard to the education and
 maintenance of children in the future than he has had in the past. 
There will therefore be no very cogent reason why a woman should 
choose as the father of her child the man whom she prefers as a lover
 or a companion. It may become quite easily possible for women in the
 future, without any serious sacrifice of happiness, to select the 
fathers of their children by eugenic considerations, while allowing 
their private feelings free sway as regards ordinary sexual 
companionship. For men it would be still easier to select the mothers
 of their children for their desirability as parents. Those who hold,
 as I do, that sexual behaviour concerns the community solely in so 
far as children are involved, must draw from this premise a twofold 
conclusion as regards the morality of the future. On the one hand, 
that love apart from children should be free, but on the other hand,
that the procreation of children should be a matter far more carefully
 regulated by moral considerations than it is at present. 
The considerations involved will, however, be somewhat different from
 those hitherto recognized. In order that procreation in a given case
 may be regarded as virtuous, it will no longer be necessary that 
certain words should have been pronounced by a priest, or a certain 
document drawn up by a registrar, for there is no evidence that such
 acts affect the health or intelligence of the offspring. What will be
 considered necessary is that the given man and woman, in themselves
 and in the heredity which they transmit, should be such as are likely
 to have desirable children. When science becomes able to pronounce on
 this question with more certainty than is possible at present, the 
moral sense of the community may come to be more exacting from a 
eugenic point of view. The men with the best heredity may come to be
 eagerly sought after as fathers, while other men, though they may be
 acceptable as lovers, may find themselves rejected when they aim at
 paternity. The institution of marriage, as it has existed hitherto, 
has made any such schemes contrary to human nature, so that the 
practical possibilities of eugenics have been thought to be very 
restricted. But there is no reason to suppose that human nature will
 in future interpose a similar barrier, since contraceptives are 
separating procreation from childless sexual relations, and fathers 
are likely in future to have no such personal relation with their 
children as they have had in the past. The seriousness and the high
 social purpose which moralists in the past have attached to marriage
will, if the world becomes more scientific in its ethics, attach only
 to procreation.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-120.HTM

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