名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第十三章 今日の家族 n.7

2018/08/07

 『結婚論』第十三章 今日の家族 n.7:キリスト教道徳と仏教道徳との違い

 けれども,仏教の場合(事例)は,宗教の純粋に経済的な原因を不当に強調
してはいけないということを,我々に警告するであろう(警告するはずであ
る)。私は,仏教が広まった時代のインドの状況を十分知らないので,仏教が
個人の魂を強調するのは経済的な原因であるとすることはできないし(assign
 for 帰する),むしろ,そういう原因が存在したかどうかも疑わしいと思っ
ている。仏教がインドで栄えた時代を通して,仏教は本来(主として),王侯
のための宗教であったように思われる。そこで,家族に関する思想が,(きっ
と)他のどの階級よりも強く王侯を支配していたと考えることができるだろう
。にもかかわらず,この世を軽蔑し(軽んじ/見下し),魂の救済を求めるこ
とが一般的となり,その結果,仏教の倫理(道徳)においては,家族はきわめ
て従属的な地位を占めるようになっている。偉大な宗教指導者は,マホメット
,それから−もし,孔子を宗教的と言えるならば−孔子も,一般的に言って,
社会や政治の問題に非常に無関心であり,むしろ,瞑想,修行,自己否定によ
って,魂の完成を図ろうとした(のである)。

 有史時代に起こった宗教は,既に先史時代から存在していた(歴史の記録が
始まった時には既に存在していた)宗教とは異なり,通例,個人主義的であり
,人は孤立したままで,自分のあらゆる義務を果たすことができる,と考えが
ちであった。もちろん,そうした宗教も,人が社会的な関係を持っている場合
は,そういう関係に属すると認められる義務は果たすべきだと主張したが,通
例,そういう関係を結ぶこと自体が義務であるとは見なしていなかった。この
ことは,特にキリスト教にあてはまるのであり,キリスト教は,家族(制度)
に対して,常に両面価値的な態度をとってきた。「私(注:神)よりも父や母
を愛するものは,私にふさわしくない」と福音書にある。これは,要するに
(in effect),たとえ両親が(自分がやることを)正しくないと思っていて
も,人は自分が正しいと信じることをするべきである,ということを意味して
おり,この見解には,古代ローマ人も,古風な中国人も同意しないであろう。
キリスト教に含まれる,この個人主義のパン種(leaven イースト酵母)は,
ゆっくりと作用したが,特に最も熱心な人々(信者)の間で,あらゆる社会的
な関係を徐々に弱める傾向があった。この影響は,カトリック教では新教(プ
ロテスタンティズム)ほど見られない。というのは,新教(プロテスタンティ
ズム)においては,我々は人間よりも神に従うべきだという原理に含まれてい
る無政府主義的な要素が,前面に出てきたからである。神に従うことは,実際
上,自分の良心に従うことであるが,人間の良心はそれぞれ異なるかもしれな
い(違う可能性がある)。それゆえ,良心と法律の間でときどき衝突が起こら
ざるをえず,その場合,真のキリスト教徒は,法律の命令よりも自分自身の良
心に従う人を尊敬するべきだと感じるであろう。(原注:このことの一例とし
て,第一次世界大戦中,ヒュー・セシル卿が良心的参戦拒否者に対して示した
寛容さは注目に値する。)初期の文明においては,父親が神であったが,キリ
スト教では,神が父である。その結果,単なる人間にすぎない親の権威は弱く
なった(のである)。 

Chapter XIII: Family at present day, n.7

The case of Buddhism, however, should warn us against an undue 
emphasis upon the purely economic causation of religions. I do not
 know enough of the condition of India at the time when Buddhism 
spread to be able to assign economic causes for its emphasis upon 
the individual soul, and I am rather doubtful whether such causes 
existed. Throughout the time when Buddhism nourished in India, 
it appears to have been primarily a religion for princes, and it 
might have been expected that ideas connected with the family would
 have had a stronger hold upon them than upon any other class. 
Nevertheless, contempt of this world and the search for salvation
 became common, with the result that in Buddhist ethics the family
 holds a very subordinate place. Great religious leaders, with the
 exception of Mohammed -and Confucius, if he can be called 
religious- have in general been very indifferent to social and 
political considerations, and have sought rather to perfect the soul
 by meditation, discipline, and self-denial. The religions which 
have arisen in historical times, as opposed to those which one finds
 already in existence when historical records begin, have been, on the
 whole, individualistic, and have tended to suppose that a man could
 do his whole duty in solitude. They have, of course, insisted that if
 a man has social relations he must perform such recognized duties as
 belong to those relations, but they have not, as a rule, regarded the
 formation of those relations as in itself a duty. This is especially
 true of Christianity, which has always had an ambivalent attitude 
towards the family. "Whoso loveth father or mother more than me is not
 worthy of me", we read in the Gospels, and this means, in effect, 
that a man should do what he thinks right, even if his parents think 
it wrong -a view to which an ancient Roman or an old-fashioned Chinese
 would not subscribe. This leaven of individualism in Christianity has
 worked slowly, but has tended gradually to weaken all social 
relations, especially among those who were most in earnest. This 
effect is less seen in Catholicism than in Protestantism, for in 
Protestantism the anarchic element contained in the principle that we
ought to obey God rather than man came to the fore. To obey God means,
 in practice, to obey one's conscience, and men's consciences may 
differ. There must, therefore, be occasional conflicts between
 conscience and law, in which the true Christian will feel bound to
 honour the man who follows his own conscience rather than the 
dictates of the law. (note: As an example of this, we may note the
 leniency of Lord Hugh Cecil to conscientious objectors during the
 war.) In early civilization, the father was God; in Christianity,
 God is the Father, with the result that the authority of the merely
 human parent is weakened.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM13-070.HTM

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創刊日:2014-12-19  
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