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(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第十三章 今日の家族 n.1

2018/07/30

『結婚論』第十三章 今日の家族 n.1:性的自由を制限する合理的な基盤と
しての家族

 読者は,第二章と第三章において,母系家族と家父長制家族について,また
,これらの制度と原始的な性道徳観との関連について考察したことを,もう
(by this time)忘れてしまっているかもしれない。いまや,家族のことを改
めて考察する段階である。ただ家族のみが性的自由を制限する合理的な基盤を
与える(からである)。我々は,「性と罪」(注:大文字になっているので,
特にキリスト教社会におけるといったニュアンスがあると思われる。)に関す
る長い余談(注:a long parenthesis (...)に入れた/間に挟んだ長い挿入
話)を終えることとなった。「性と罪」との結びつきは,初期キリスト教徒が
発明したものではなく,彼らによって最大限に利用し尽され(exploited by 
them),現在では,我々の大部分の(外部からの強制ではない)自発的な道徳
的判断の中に具現化されているものである。私は,性そのもの(sex as such)
には何か邪悪なものがあり,結婚と,子供を望む気持ちとを結びつけることに
よってのみそれを取り除くことができるとする神学的見解には,もうこれ以上
,かかわり合わないことにする。

 いま考察すべき問題は,子供の利益のためには,どの程度の性関係の安定が
必要なのか,ということである。つまり(that is to say 言い換えれば),
安定した結婚を求める理由としての家族を考察しなければならない。この問題
は,決して簡単なものではない。家族の一員であることから子供が受ける利益
は,明らかに,家族に代わるものが何であるかによっている。たとえば,大部
分の家族よりも望ましいくらい,賞賛すべき捨て子の施設が存在するかもしれ
ない。

 また,父親は,家庭生活において何か必須の役割を果たしているかどうかも
考察しなければならない。なぜなら,女性の貞操(virtues)が家族にとって
必須と考えられてきたのは,ただ父親のため(on his account)であるからで
ある。

 子供の個人的な心理に及ぼす家族の影響も考察しなければならない−これは
,フロイトがいささか意地悪い精神で扱った主題(問題)である。経済体制の
影響でいかに父親の(役割の)重要性が増したり減じたりするかについても考
察しなければならない。
 国家が父親の代わりを,あるいはことによると,プラトンが言ったように,
父親と母親の双方の代わりをすることを望むのかどうかについて,自問しなけ
ればならない。

 また(さらに),普通の場合,両親が揃っていることが子供にとって最上の
環境であることを認めるにしても,なお,どちらか一方(one or other)が親
の責任を果たすのにふさわしくないとか,二人(両親/夫婦)がひどく不和なの
で,子供のためには別れた方が望ましい,とかいった,非常に多くの事例を考
察しなければならない。

Chapter XIII: Family at present day, n.1

The reader may by this time have forgotten that in Chapters II and Ill
 we considered matrilineal and patriarchal families, and their bearing
 upon primitive views of sexual ethics. It is now time to resume the 
consideration of the family, which affords the only rational basis for
 limitations of sexual freedom. We have come to the end of a long 
parenthesis on Sex and Sin, a connection not invented by the early 
Christians, but exploited by them to the uttermost, and embodied now 
in the spontaneous moral judgments of most of us. I shall not trouble 
further with the theological view that in sex as such there is 
something wicked which can only be eliminated by the combination of
 marriage with the desire for offspring. The subject we have now to 
consider is the degree of stability in sex relations demanded by the 
interests of children. That is to say, we have to consider the family 
as a reason for stable marriage. This question is far from simple. It 
is clear that the gain which a child derives from being a member of a 
family depends upon what the alternative is : there might be 
institutions for foundlings so admirable that they would be preferable
 to the great majority of families. We have also to consider whether 
any essential part in family life is played by the father, since it is
 only on his account that feminine virtue has been thought essential 
to the family. We have to examine the effect of the family upon the 
individual psychology of the child - a subject dealt with in a 
somewhat sinister spirit by Freud. We have to consider the effect of 
economic systems in increasing or diminishing the importance of the 
father. We have to ask ourselves whether we should wish to see the 
State taking the place of the father, or possibly even, as Plato 
suggested, of both father and mother. And even supposing that we 
decide in favour of both father and mother as affording the best 
environment for the child in normal cases, we still have to consider
 the very numerous instances in which one or other is unfit for the
 responsibility of parenthood, or the two are so incompatible that 
separation is desirable in the interests of the child.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM13-010.HTM

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創刊日:2014-12-19  
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