名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第九章 人生における恋愛の位置 n.9

2018/06/15

 第九章 人生における恋愛の位置 n.9: 恋愛の障害となるもの

 現代世界には,もうひとつ,恋愛(感情)の十全な発展にとって,もっと心
理的な障害となるものが存在している。それは,多くの人びとが感じている,
自分の個性が損なわれはしないか(そのままの自分の個性を保てないのではな
いか),という恐怖(心)である。これは,愚かな恐怖であり,またかなり現
代的な恐怖(心)である。(注:岩波文庫の安藤訳では,rather を「どちら
かと言えば」と訳されているが,ここでは「かなり」の意味と思われる。即ち
、昔は個性をそれほど重要視しておらず,個性尊重は現代的な考えである,と
いった意味と思われる。)個性は,それ自体が目的ではない。個性は,(個性
が)実を結ぶために世界と接触しなければならないものであり,世界と接触す
ることで個性は孤立化をまぬがれなければならない。ガラス箱の中に入れられ
た個性はしぼんでしまうが,人間的接触に惜しげなく(自由に)費やされた個
性は豊かになる。

 恋愛と,(自分の)子供と,(自分の)仕事は,個人と世界の他の人々との
実り豊かな接触の大きな源泉である。これらのなかで,普通,恋愛が時間的に
は最初にくる(注:子どもは恋愛の結果,また定職を持つのは家族を養うため)
。のみならず,愛情(夫婦愛)は,親としての愛情が最良のかたちで発達する
ためには必須である。というのも,子供は,とかく両親の特徴(性格)を再生
しがちであり,両親が愛しあっていない場合は,それぞれの親は,自分の特徴
が子供に現われたときにだけ喜び,相手の特徴が現われたときには苦痛を感じ
ることになるからである。

 仕事は,いつも人を外界との実り多い接触に導くことができるわけでは決し
てない。仕事がそのような接触に導くことがができるかどうかは,仕事にたず
さわる精神にかかっている。もっぱら金銭だけが動機となっているような仕事
には,この価値を持ち得ないのであって,ある種の献身 −人に対してであれ
,物に対してであれ,あるいは,単なる夢に対してであれ− が具現化されて
いるような仕事にだけがそのような価値を持つことができる。

 また,愛(注:異性愛/現在では異性とは限らないが・・・)そのものも,
独占欲(所有欲)の強いものにすぎない場合には,無価値である。その場合は,
愛情は,単に金目当ての仕事と同じレベル(水準)にある。今我々が話してい
るような価値を愛が持つためには,その愛は,愛する人(愛する対象)の自我
を自分の自我と同じように大切に思い,相手の感情や望みを,自分のことのよ
うによく理解しなければならない。即ち,相手をも(同様に)包みこんでしまう
ように,自己本位の感情を,意識的にだけではなく,本能的に拡大しなければ
ならない(のである)。こういうことをすべて困難にしてしまったのは,現代
の闘争的な競争社会と,一部はプロテスタンティズムから,一部はロマン主義
運動から生まれた,愚かな個性礼賛であった。

Chapter IX: The place of love in human life, n.9

There is another more psychological obstacle to the full development 
of love in the modern world, and that is the fear that many people 
feel of not preserving their individuality intact. This is a foolish
 and rather modern terror. Individuality is not an end in itself; 
it is something that must enter into fructifying contact with the 
world, and in so doing must lose its separateness. An individuality 
which is kept in a glass case withers, whereas one that is freely 
expended in human contacts becomes enriched. Love, children, and work
 are the great sources of fertilizing contact between the individual 
and the rest of the world. Of these love is usually chronologically 
the first. Moreover, it is essential to the best development of 
parental affection, since a child is apt to reproduce the 
characteristics of both parents, and if they do not love each other,
 each will only enjoy his own characteristics when they appear in the
 children, and will be pained by the characteristics of the other 
parent. Work is by no means always capable of bringing a man into 
fruitful contact with the outer world. Whether it does so or not 
depends upon the spirit in which it is undertaken. Work of which the
 motive is solely pecuniary cannot have this value, but only work 
which embodies some kind of devotion, whether to persons, to things,
 or merely to a vision. And love itself is worthless when it is 
merely possessive; it is then on a level with work which is merely
 pecuniary. In order to have the kind of value of which we are 
speaking, love must feel the ego of the beloved person as important
 as one's own ego, and must realize the other's feelings and wishes
 as though they were one's own. That is to say, there must be an 
instinctive and not merely conscious extension of egoistic feeling 
so as to embrace the other person as well. All this has been rendered
 difficult by our pugnacious competitive society, and by the foolish
 cult of personality derived partly from Protestantism and partly 
from the Romantic Movement.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM09-090.HTM

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創刊日:2014-12-19  
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