名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第八章 性知識に関するタブー, n.16

2018/05/31

 第八章 性知識に関するタブー, n.16:他人には害だが自分には害にならず?

 しかし,検閲に反対する根拠は,もう一つある。それは,露骨なポルノグラ
フィー(猥褻文書)でさえ,もしそれがおおっぴらで,恥ずかしいことと思わ
ないなら,秘密に,こっそりと楽しむ場合よりも害が少ない,ということであ
る。法律があるにもかかわらず,かなり裕福な男性はほとんどすべて,思春期
にいかがわしい写真を見たり,なかなか手に入れにくいもの入手したというこ
とで自慢したりした経験を持っている(注:そういった闇で出回っているもの
は高価であるので貧乏人の師弟は購入できないということ)。因習的な人たち
は,そういった写真が自分の害になったとはほとんど誰も認めようとしないけ
れども,他人にははなはだしく有害だと考えている。確かに,そういうものは
,一時的な色情をかき立てはする。しかし,だれでも精力旺盛な男性の場合,
この種の感情は,いずれにせよなんらかのかたちで(in one way, if not in
 another)刺激されるのである。

 男性が色情をおぼえる(経験する)頻度は,彼の肉体的な条件に依存するのに
対して,そういう感情を起こさせる機会は,彼が慣れ親しんでいる社会的慣習
に依存している。ヴィクトリア朝時代初期の男性にとっては,女性のくるぶし
が十分な刺激であったが,現代の男性は,腿(もも)まで(注:脚の付け根から
膝までの部分まで)見てもなんとも感じない。これは,ただ,衣服の流行の問
題にすぎない。もしも,裸が流行になれば,裸がわれわれを興奮させることは
なくなるだろうし,女性は,ある未開種族の女性のように,自分を性的に魅力
的にする手段として,衣服をまとわざるをえなくなるだろう。

 まったく同様な考察が,文学や絵画(pictures)にもあてはまる。(即ち)
ヴィクトリア時代に刺激的であったものにも,もっと隠し立てをしない時代の
男性は,まったく動揺しないであろう。分別によって,性的アピールの許容度
を制限すればするほど,ますます少ない努力で性的アピールを効果的なものに
することができるのである。ポルノグラフィー(猥褻文書)の魅力は,十分の
九まで,道学者(モラリスト)が若い人たちに植えつける性に関するみだらな
感情によるものである。残りの十分の一は,生理学的なもので,法律の状態が
どうであろうと,いずれにせよ生じるであろう。(残念ながら)私に同意する
人はほとんどいないであろうが,以上の理由から,猥褻な出版物の問題にはい
かなる法律も設けるべきではない,と私は固く信じている。

Chapter VIII: The Taboo on sex knowledge, n.16

There is, however, a further ground for objecting to censorship, and 
that is that even frank pornography would do less harm if it were open
 and unashamed than it does when it is rendered interesting by secrecy
 and stealth. In spite of the law, nearly every fairly well-to-do man 
has in adolescence seen indecent photographs, and has been proud of 
obtaining possession of them because they were difficult to procure. 
Conventional men are of opinion that such things are extraordinarily 
injurious to others, although hardly one of them will admit that they
 have been injurious to himself. Undoubtedly they stir a transient 
feeling of lust, but in any sexually vigorous male such feelings will
 be stirred in one way if not in another. The frequency with which a 
man experiences lust depends upon his own physical condition, whereas
 the occasions which rouse such feelings in him depend upon the social
 conventions to which he is accustomed. To an early Victorian man a 
woman's ankles were sufficient stimulus, whereas a modern man remains
 unmoved by anything up to the thigh. This is merely a question of 
fashion in clothing. If nakedness were the fashion, it would cease to
 excite us, and women would be forced, as they are in certain savage 
tribes, to adopt clothing as a means of making themselves sexually 
attractive. Exactly similar considerations apply to literature and 
pictures: what was exciting in the Victorian age would leave the men
 of a franker epoch quite unmoved. The more prudes restrict the 
permissible degree of sexual appeal, the less is required to make such
 an appeal effective. Nine-tenths of the appeal of pornography is due
 to the indecent feelings concerning sex which moralists inculcate in
 the young; the other tenth is physiological, and will occur in one 
way or another whatever the state of the law may be. On these grounds,
 although I fear that few will agree with me, I am firmly persuaded 
that there ought to be no law whatsoever on the subject of obscene 
publications.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM08-180.HTM

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