名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第八章 性知識に関するタブー, n.8

2018/05/21

 第八章 性知識に関するタブー, n.8:偏見に満ちた大人の影響

 このように言うとき,私はアプリオリに(アプリオリなこととして/自明なこ
ととして)論じているのではなく,経験をもとに論じているのである。私の(私
が開設した)学校(注:Beacon Hill School という名称の幼児学校のこと)の
子供たちの間で観察してきたことは,子供の中のみだらさ(性的いかがわしさ)
は,大人の紳士淑女ぶり(性的潔癖さ)の結果であるという見方が正しいこと
を決定的に示している,と私には思われる。私の二人の子供(七歳の男の子と
五歳の女の子)は,性や排泄(排泄作用/排泄物)について何か特別なものが
あるとは一度も教えられなかったし,また,これまで,上品さとか,それに対
応する下品さとかの観念をいっさい知ることがないように極力守られてきた。
二人は,赤ん坊がどこから生まれるか,という問題に自然かつ健康的な関心を
示したが,機関車や鉄道に示した関心ほどではなかった。また,大人がいても
いなくても,そのような話題について長々と話す傾向はまったく示さなかった
。私の学校の他の子供たちに関しては,2,3歳で入学した場合には,いや四
歳で入学した場合でさえ,私たちの子供とまったく同じように発達することを
,私たちは発見した。

 けれども,6ないし7歳で私たちのところ(学校)へやってきた子供たちは
,大部分,性器に関連したものは何でも下品なもの(みだらなもの)と見るよ
うに,既に教えこまれていた。彼らは,この学校では,そういう事柄が,他の
事柄を話す時と同じような声の調子で話されているのを発見してびっくりした
。そして,しばらくの間,彼らが下品だと感じている会話をして,一種の解放
感を楽しんだ。しかし,大人がそういう会話を一向にやめさせようとしないの
がわかって,しだいにその会話に飽きてきて,上品さを教えられなかった子供
たちにほとんど同じくらい,さっぱりした気持ちになった。現在では彼らは
(も),新しく入学した子供が妄信的に(fondly)下品(みだら)であると信
じている会話を始めようとしても,ただ退屈するばかりになっている。この題
目に新鮮な風をあてることによって,それは殺菌され(消毒され),暗がりの
中に放置しておけば繁殖する有害な細菌(病原菌)が消散してしまったのである
。普通は下品(みだら)だと考えられている主題に対して,このように健康で
ちゃんとした態度をとる子供たちのグループを育てること(持つようになるこ
と)が,これ以外の方法で可能であるとは,私には信じられない。

Chapter VIII: The Taboo on sex knowledge, n.8

In saying this I am not arguing a priori, but on a basis of 
experience. What I have observed among the children in my school has
 shown conclusively, to my mind, the correctness of the view that 
nastiness in children is the result of prudery in adults. My own two
 children (a boy aged seven, and a girl aged five) have never been 
taught that there is anything peculiar either about sex or about 
excretion, and have so far been shielded to the utmost possible extent
 from all knowledge of the idea of decency, with its correlative, 
indecency. They have shown a natural and healthy interest in the 
subject of where babies come from, but not so much as in engines and 
railways. Nor have they shown any tendency to dwell upon such topics
 either in the absence or in the presence of grown-up people. With 
regard to the other children in the school, we have found that if they
 came to us at the age of two or three, or even four, they developed
 exactly like our own children ; most of those, however, who came to
 us at the age of six or seven had already been taught to regard 
anything connected with the sexual organs as improper. They were 
surprised to find that in the school such matters were spoken of in
 the same tone of voice as was employed about anything else, and for
 some time they enjoyed a sense of release in conversations which they
felt to be indecent ; finding, however, that the grown-ups did nothing
 to check such conversations, they gradually wearied of them, and 
became nearly as clean-minded as those who had never been taught 
decency. They now get merely bored when children new to the school 
attempt to start conversations which they fondly believe to be 
improper. Thus by letting fresh air on to the subject it has become
 disinfected, and the noxious germs which it breeds when kept in 
darkness have been dissipated. I do not believe that it is possible 
by any other method to get a group of children whose attitude towards
 subjects usually considered improper is so wholesome and decent.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM08-100.HTM

 <寸言>
 偏見や先入観を植え付けられた子ども(大人も)から偏見等をとりのぞくこ
とは難しい。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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