名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
読者と一緒に育てていきたいと思っています.


全て表示する >

ラッセル『結婚論』第五章 キリスト教倫理 n.10

2018/04/02

 第五章 キリスト教倫理 n.10:

 キリスト教教育によって,我々(英国人)の大部分の者が(事前に)抱きや
すくさせられている先入観をできるかぎり排除しながら,我々は,キリスト教
倫理の全体系を,カトリックとプロテスタントの両面から,再吟味する必要が
あることは,明らかである。特に幼児期に強くかつ繰り返しなされた主張(断
言)は,大部分の人に,無意識までも支配するような強い信念を植えつける。
また(そうして/そのため),正統主義に対する自分の態度は完全に解放され
たものであると信じている我々もその多くは,事実は,潜在意識的には,相変
らず(still)正統主義の教えに支配されているのである。

 教会はなぜいっさいの姦淫(私通)を非難するにいたったのかを(について),
我々は,まったく率直に自問してみなければならない(自らに問いかけてみな
ければならない)。キリスト教会にはこうした非難をする妥当な根拠(理由)
があったと考えるのか。それとも,そう考えないのであれば,教会が挙げた根
拠以外に,我々を同じ結論に導くべき根拠が実際にあるのか。初期キリスト教
教会の態度は,性行為には本質的に不純なものがあるがそれでもいくつかの前
提条件が満たされたあとで行われるのであればこの行為も大目に見なければな
らない,というものであった。こうした態度は,それ自体,まったく迷信である
とみなさなければならない。(つまり)このような態度をとらせるようになっ
た理由は,おそらく,前章で性を否定する態度を生じさせがちであるとした理
由であろう。即ち,最初,そのような見解を熱心に吹き込んだ人たちは,肉体
か精神か,あるいはその両方が,病んでいたにちがいない(病的な状態にあっ
たに違いない),ということである。

 ある意見が広く支持されてきたということ(事実)は,それが全然不合理な
もの(馬鹿げだもの)ではないという証拠にはまったくならない。実際,大多
数の人間が愚かであることを考えれば,広く行きわたった信念は,賢明である
よりも愚劣であるほうが多そうである。パラオ島民は,永遠の至福を得るため
には鼻に穴をあけることが必要だと信じている(注: ウェスターマーク前掲
書,p.170)。ヨーロッパ人は,ある言葉を唱えながら頭をぬらすと,この目的
(永遠の至福の格闘)がいっそううまくかなえられると考えている。(我々
英国人/西洋人にとって)パラオ島民の信念は迷信であるが。(そうして)
ヨーロッパ人の信念は,神聖な宗教(キリスト教)の真理である(注:もち
ろん皮肉です)。

Chapter V Christian Ethics、n.10

It is clear that the whole system of Christian ethics, both in the 
Catholic and the Protestant forms, requires to be re-examined, as far 
as possible without the preconceptions to which a Christian education
 predisposes most of us. Emphatic and reiterated assertion, especially
 during childhood, produces in most people a belief so firm as to have
 a even over the unconscious, and many of us who imagine that our 
attitude towards orthodoxy is quite emancipated are still, in fact, 
subconsciously controlled by its teachings. We must ask ourselves 
quite frankly what led the Church to condemn all fornication. Do we
 think that it had valid grounds for this condemnation? Or, if we do
 not, are there grounds, other than those adduced by the Church, 
which ought to lead us to the same conclusion? The attitude of the 
early Church was that there is something essentially impure in the 
sexual act, although this act must be excused when it is performed 
after fulfilling certain preliminary conditions. This attitude in 
itself must be regarded as purely superstitious ; the reasons which
 led to its adoption were presumably those which were considered in 
the last chapter as liable to cause an anti-sexual attitude, that is
 to say, those who first inculcated such a view must have suffered 
from a diseased condition of body or mind, or both. The fact that an
 opinion has been widely held is no evidence whatever that it is not
 utterly absurd ; indeed, in view of the silliness of the majority of
 mankind, a widespread belief is more likely to be foolish than 
sensible. The Pelew Islanders believe that the perforation of the
 nose is 
necessary for winning eternal bliss. (note: Westermarck, op. cit., 
p. 170). Europeans think that this end is better attained by wetting
 the head while pronouncing certain words. The belief of the Pelew 
Islanders is a superstition ; the belief of the Europeans is one of 
the truths of our holy religion.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM05-100.HTM

 <寸言>
 多数派に属していれば安全,「ではない」。多数派に属し,みんなと同じ行
動をとることによって,破滅へと導かれた過去は,歴史上多く存在している。
「未来に目を向けよう」ということで,歴史を無視して破滅へと追いやられた
民族や集団も少なくない。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。