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(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第五章 キリスト教倫理 n.9

2018/03/31

 第五章 キリスト教倫理 n.9:告解(懺悔)すれば罪を赦免するという戦略

 このような極端に厳格な理論とともに,カトリック教義は,常に,教会が罪
と考えるものに対して,ある程度の寛容さを有していた。カトリック教会は,
普通の人間性では教会の戒律に基づいて行動をすることは期待できない,とい
うことを認めてきた。そこで,たとえ姦通(私通)の罪を犯しても,当人がお
のれの過ちを認め,告解(懺悔)をするなら,その罪を赦免する用意があった
。この実際的な(実際上の)寛容さは,聖職者の権力を増大させる方法の一つと
なった。なぜなら,聖職者のみが赦免を申しわたすことができたし,赦免がな
ければ,姦通(私通)には(来世において)必然的に永遠の地獄の責め苦を伴
うから(課されることになるから)である。

 新教(プロテスタント)の見方は,多少異なっていて,理論上はカトリック
よりも厳しさが少ないけれども,実際上はある面ではカトリックよりもより厳
しいものであった。ルターは,「情欲で身を焦がすよりも,結婚したほうがよ
りよい(ましである)」という聖書の句にいたく感銘しており,また,ある修
道女と恋愛関係にも陥っていた。彼は,推論の結果,次のような結論を出した
。即ち,独身の誓いを立てはしたが,自分と修道女とは結婚する権利がある,
なぜなら,自分の情熱の強さにかんがみ,もしも結婚しなければ,自分は大罪
(注:mortal sin = fatal sin)を犯すことになりかねないからである。

 新教(プロテスタント/清教徒主義)は,そこで,カトリック教会の特色であ
った独身礼賛を放棄した。そして,新教運動の活発なところではどこでも,結
婚は秘蹟であるという教義も放棄し,ある状況のもとでの離婚を容認した。し
かし,新教徒(プロテスタント)は,姦通(私通)からはカトリック教徒以上に
衝撃を受け,概して,もっと厳しい道徳的非難の対象とした。カトリック教会
は,一定程度の罪は予想し,それに対処する方法も用意していた。これに反し
て,新教徒は,告解(懺悔)や赦免というカトリックの慣行を捨て,罪ある人
を,カトリック教会の場合よりもはるかに絶望的な立場に追いやった。こうし
た態度は,その両面ともに,現代のアメリカに見ることができる。この国では
,離婚はきわめて容易であるが,姦通は,大部分のカトリック教諸国よりもは
るかに厳しく非難されるのである。

Chapter V Christian Ethics、n.9

Along with this extremely rigid theory, Catholicism has always had a 
certain degree of toleration for what it held to be sin. The Church 
has recognized that ordinary human nature could not be expected to 
live up to its precepts, and has been prepared to give absolution for
 fornication provided the sinner acknowledged his fault and did 
penance. This practical toleration was a method of increasing the 
power of the clergy, since they alone could pronounce absolution, and
 but for absolution fornication would entail eternal damnation. 
The outlook of Protestantism has been somewhat different, in theory 
less severe, but in practice in some ways more so. Luther was much 
impressed by the text "It is better to marry than to burn", and was 
also in love with a nun. He inferred that, in spite of vows of 
celibacy, he and the nun had a right to marry, since otherwise, given
 the strength of his passions, he would have been led into mortal sin.
 Protestantism accordingly abandoned the praise of celibacy, which had
 been characteristic of the Catholic Church, and wherever it was 
vigorous it also abandoned the doctrine that marriage is a sacrament,
 and tolerated divorce in certain circumstances. But Protestants were
more shocked than Catholics by fornication, and altogether more rigid
 in their moral condemnations. The Catholic Church expected a certain 
amount of sin, and arranged methods for dealing with it; the 
Protestants, on the contrary, abandoned the Catholic practices of 
confessions and absolution, and left the sinner in a much more 
hopeless position than he occupies in the Catholic Church. One sees
 this attitude in both its aspects in modern America, where divorce 
is exceedingly easy, but adultery is condemned with far more severity
 than in most Catholic countries.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM05-090.HTM

 <寸言>
 アメリカのプロテスタントにおいては、離婚は比較的自由であるが、結婚中
の不倫に対してどうしてあれほど厳しいかは、新教徒(プロテスタント)と旧
教徒(カトリック)の違いを考えるとよく理解できる

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
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