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(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第五章 キリスト教倫理 n.8

2018/03/30

 第五章 キリスト教倫理 n.8:カトリック教会の低俗な結婚観

 子供(をつくること)を結婚の目的の一つと認めることは,カトリックの教義
の中においてごく部分的なもの(一部を占めるだけ)である。その認識(注:
安藤貞雄訳では it を「キリスト教義」と訳出しているが誤訳と思われる。)
は,子供を生むことを意図しない性交は罪である,という結論(推論結果)を
出すこと(だけ)で尽きてしまう。それは,不妊を理由に結婚を解消すること
を許すまでに決して至らなかった(至っていない)。どんなに熱心に男(夫)
が子供を望んだとしても,妻がたまたま不妊症(子どもを産めない体)であっ
たら,キリスト教倫理にはその男性(夫)には救済策はまったくない。
 実は(事の真相は),結婚の積極的な目的,すなわち生殖(出産)は,きわめ
て従属的な役割を果たしているにすぎず,その主目的は,聖パウロの場合と同
様,やはり罪の防止(不貞の防止)にある,ということである。姦淫(私通)
やはり舞台の中心を占めており,結婚は依然として,本質的には姦淫(私通)
よりはやや嘆かわしくない選択肢(代替案)とみなされている(のである)。
 カトリック教会は,この低俗な結婚観を,結婚は一つの秘蹟(sacrament 秘
跡)であるという教義で覆い隠そうとしてきた。この教義の実際的な効力は,
結婚は解消できないという結論(推論結果)にある。夫婦(カップル)のどち
らがどうであっても,たとえば,一方が発狂したり,梅毒になったり,常習的
な酔っぱらい(アルコール中毒)になったり,あるいは,おおっぴらに別の相
手と同棲しようとも,二人の関係は依然として神聖のままである。そして,あ
る事情のもとでは,夫婦の別居(a seperation a mensa et foro)は許されても
,再婚する権利は決して認められない。もちろん,多くの場合,このために大
変な不幸が生じるが,この不幸は神の意志であるから,耐えなければならない
(とされるのである)。

Chapter V Christian Ethics、n.8

The recognition of children as one of the purposes of marriage is very
 partial in Catholic doctrine. It exhausts itself in drawing the 
inference that intercourse not intended to lead to children is sin. 
It has never gone so far as to permit the dissolution of a marriage on
 the ground of sterility. However ardently a man may desire children,
 if it happens that his wife is barren he has no remedy in Christian
 ethics. The fact is that the positive purpose of marriage, namely 
procreation, plays a very subordinate part, and its main purpose 
remains, as with St. Paul, the prevention of sin. Fornication still
 holds the centre of the stage, and marriage is still regarded 
essentially as a somewhat less regrettable alternative.
The Catholic Church has tried to cover up this low view of marriage by
 the doctrine that marriage is a sacrament. The practical efficacy of
 this doctrine lies in the inference that marriage is indissoluble. 
No matter what either of the partners may do, if one of them becomes
 insane or syphilitic or an habitual drunkard, or lives openly with 
another partner, the relation of the two remains sacred, and although
 in certain circumstances a separation a mensa et foro may be 
granted, the right to remarry can never be granted. This causes, of
 course, in many cases a great deal of misery, but since this misery
 is God's will it must be endured. 
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM05-080.HTM

 <寸言>
 ラッセルはカトリック教会の結婚観は低俗だと糾弾。
 カトリック教会が、結婚に関して、どのようにして人々(信者)の心を支配
してきたか、また現在支配しているか、あるいは不幸にしてきたか、また不幸
にしているかは、カトリック教会の結婚観の変遷及び現状について冷静に考え
てみればわかるのではないか?

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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