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(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第五章 キリスト教倫理 n.6

2018/03/28

 第五章 キリスト教倫理 n.6:カトリック教会の結婚観

 けれども,カトリック教会は,聖パウロやテーバイド(Thebaid)の隠者たち
のように,いつまでも非生物学的ではなかった。聖パウロを読むと,結婚は,
多かれ少なかれ,合法的な色欲のはけ口としてのみ考えられるべきであると
(彼は考えていたと)推定される。聖パウロの言葉から推測すると,産児制限
には,彼はまったく反対しないだろうと思われる。それどころか,妊娠と出産
に伴う禁欲期間を彼は危険だとみなすのではないか,と想像させられるであろ
う。

 (これに対し)キリスト教会は,(聖パウロとは)異なる見解をとってきた。
正統主義的なキリスト教の教義においては,結婚には二つの目的がある。一つ
は,聖パウロによって承認されたもの(注:私通の防止)であり,もう一つは
,子供を出産することである。その結果,性道徳は,聖パウロがしたよりも,
なお一段と難しいものとなった。性交は,結婚生活の中でのみ合法的であるだ
けでなく,妊娠にいたることを望むのでないかぎり,夫婦の間でさえ罪となる
。事実,カトリック教会によれば,合法的な出産(正妻から生まれた子供)を
望む気持ちだけが,性交を正当化する唯一の動機である。

 しかし,この動機は,いかなる残酷さが性交に伴ったとしても,つねに正当
化してしまう。たとえ妻が性交を嫌っても(出産のためならば)(if = even 
if/以下同様),たとえもう一度妊娠したら死ぬ恐れがあっても,たとえ(生
まれる)子供が病気であったり正気でなくなったりしそうであっても,あるい
は,たとえ(子どもが生まれると)金がなくて極端な貧乏に陥ることがわかっ
ていても,そういうことは,夫が子供をつくりたいと望むかぎり,婚姻の権利
を主張する正当性をさまたげるものではない(のである)。

Chapter V Christian Ethics、n.6

The Catholic Church, however, has not remained so unbiological as St.
 Paul and the hermits of the Thebaid. From St. Paul one gathers that 
marriage is to be regarded solely as a more or less legitimate outlet
 for lust. One would not gather from his words that he would have any 
objection to birth control ; on the contrary, one would be led to 
suppose that he would regard as dangerous the periods of continence 
involved in pregnancy and child-birth. The Church has taken a 
different view. Marriage in the orthodox Christian doctrine has two 
purposes: one, that recognized by St. Paul; the other, the procreation
 of children. The consequence has been to make sexual morality even 
more difficult than it was made by St. Paul. Not only is sexual 
intercourse only legitimate within marriage, but even between husband
 and wife it becomes a sin unless it is hoped that it will lead to 
pregnancy. The desire for legitimate offspring is, in fact, according
 to the Catholic Church, the only motive which can justify sexual 
intercourse. But this motive always justifies it, no matter what 
cruelty may accompany it. If the wife hates sexual intercourse, if she
 is likely to die of another pregnancy, if the child is likely to be
 diseased or insane, if there is not enough money to prevent the 
utmost extreme of misery, that does not prevent the man from being 
justified in insisting on his conjugal rights, provided only that he
 hopes to beget a child.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM05-060.HTM

 <寸言>
 カトリック教会がなぜ離婚を認めないか、その理屈や心理がよくわかる。
 ただし、教会で神の前で結婚を誓っていない結婚は解消しても、カトリック
においては罪にならない。それゆえ、カトリック教徒が多いフランス人が結婚
という形態をとらず、なぜ離婚が多いかよく理解できる。神前で結婚の誓いを
述べていない以上、結婚を解消しても自分を納得させることができるという利
点があるのである。

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創刊日:2014-12-19  
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