名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第五章 キリスト教倫理 n.4

2018/03/26

 第五章 キリスト教倫理 n.4:「肉体の清潔=魂の不潔」という考え

 キリスト教会は,入浴の習慣を攻撃したが,その理由(根拠)は,肉体をい
っそう魅力的にするものは,すべて罪へと向かう(罪を生む)傾向があるとい
うことであった。垢(あか)は称賛され,高潔(神聖)を示すその匂いは,ま
すます鼻を衝くものとなった。聖パーオラ(St. Paula)は,「肉体とそれを
包む衣服の清潔さは魂の不潔さを意味する。」(出典:ハヴェロック・エリス
著『性心理の研究』第四巻,p.31)シラミは神の真珠と呼ばれ,シラミだらけ
であることが,聖者としての不可欠の印であった。
 ,隠修士の聖アブラハムは,(キリスト教への)改宗後50年間も生きたけれ
ども,改宗したその日から,顔も足も洗うことを強く拒んだ。彼は,まれに見
る美男子であったと言われており,彼の伝記作家は,「聖アブラハムの顔は,
彼の魂の清らかさを映していた」と,いささか奇妙な言い方をしている。?聖
アモンは,<>自分の裸体を見たことがなかった。シルヴィアという名前のある
有名な処女は,60歳になっていたのに,また,自分の体が弱い(病気がちであ
る)のは(生活)習慣の結果であったが,宗教上の原理原則に基づいて,指の
ほかは,体のどの部分を洗うことも断固として拒否した。聖エウフラシア修道
女(St. Euphraxis)は,130人の修道女のいる女子修道院(convent)の一員
となったが,修道女たちは一度も足を洗ったことがなく,風呂の話が出ると身
ぶるいした。
 ある隠者(anchorite 世捨て人)は,かつて,垢と何年も陽にさらされたため
に真っ黒になった裸の生きものが,白髪を風になびかせながら,目の前の砂漠
を滑るように過ぎ去っていくのを目にした時,悪魔の幻影が自分をあざけって
いるのだと想像した。それはかつては美しかった女性の,エジプトの聖メアリ
ーであり,彼女はそのようにして47年間,自分の罪を償ってきたのであった。
修道士が時折堕落して身ぎれいにする習慣に陥ったりすれば,大変な非難の対
象となった。大修道院長のアレクサンダーは,「我々の教父たちは,決して顔
を洗わなかった。しかし,私たちは公衆浴場にしょっちゅう出入りしている
。」と悲しそうに昔を回顧しながら言った。

 砂漠の中にある修道院について,次のような話が伝えられている。修道士た
ちは,飲み水の不足で非常に苦しんでいたが,大修道院長テオドシウスの祈り
で,豊富な水が流れ出てきた。だが,間もなく,一部の修道士が,豊かな水の
出に誘惑されて,昔の禁欲生活の道を離れて,流れ出る水を活用して風呂場を
作るように大修道院長を説得した。風呂が作られた。たった一度だけ,修道士
たちは沐浴(もくよく)を楽しんだが,それで水の流れは,止まってしまった。
祈りも,涙も,断食も,なんの役にも立たなかった。まる一年が過ぎた。つい
に大修道院長は,神の不興の対象であった風呂をこわした。すると,水が再び
流れ出した。(出典:レッキー『ヨーロッパ道徳史』第二巻,pp.117-118)M

Chapter V Christian Ethics, n.4

The Church attacked the habit of the bath on the ground that 
everything that makes the body more attractive tends towards sin. 
Dirt was praised, and the odour of sanctity became more and more 
penetrating. "The purity of the body and its garments", said St. 
Paula, "means the impurity of the soul."(* note: Havelock Ellis, 
tudies in the Psychology of Sex, vo1. iv, p. 3I) Lice were called 
the pearls of God, and to be covered with them was an indispensable
 mark of a holy man.
St. Abraham, the hermit, however, who lived for fifty years after his
 conversion, rigidly refused from that date to wash either his face or
 his feet. He was, it is said, a person of singular beauty, and his 
biographer somewhat strangely remarks that "his face reflected the 
purity of his soul". St. Ammon had never seen himself naked. A famous
 virgin, named Silvia, though she was sixty years old, and though 
bodily sickness was a consequence of her habits, resolutely refused,
 on religious principles, to wash any part of her body except her 
fingers. St. Euphraxis joined a convent of 130 nuns who never washed
 their feet, and who shuddered at the mention of a bath. An anchorite
 once imagined that he was mocked by an illusion of the devil, as he
 saw gliding before him through the desert a naked creature black 
with filth and years of exposure, and with white hair floating to the
 wind. It was a once beautiful woman, St. Mary of Egypt, who had thus,
 during forty-seven years, been expiating her sins. The occasional 
decadence of the monks into habits of decency was a subject of much 
reproach. "Our fathers", said the abbot Alexander, looking mournfully
 back to the past, "never washed their faces, but we frequent the 
public baths." It was related of one monastery in the desert that the
 monks suffered greatly from want of water to drink; but at the prayer
 of the abbot Theodosius a copious stream was produced. But soon some 
monks, tempted by the abundant supply, diverged from their old 
austerity, and persuaded the abbot to avail himself of the stream for
 the construction of the bath. The bath was made. Once, and once only,
 did the monks enjoy their ablutions, when the stream ceased to flow.
 Prayers, tears, and fastings were in vain. A whole year passed. At 
last the abbot destroyed the bath, which was the object of the Divine
 displeasure, and the waters flowed afresh.(note: W. E. H. Lecky, 
History of Europcan Morals, vol. ii, pp. 117-118.)
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM05-040.HTM

 <寸言>
 砂漠だらけの水が貴重な地域では、水を節約するために,不潔で居ることが
魂の高潔さに必要だという迷信を培ったということは納得できるかも知れない
。しかし、モンスーン地方で蒸し暑くて雨が多いところではそういった迷信は
育たないであろう。衣類に対して無頓着になる者は多くても、豊富にある雨水
や山から流れてくる水を利用できるのだから、水を節約する必要がなり。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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