名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第五章 キリスト教倫理 n.2

2018/03/23

 第五章 キリスト教倫理 n.2:羊と山羊

 この一節で聖パウロは子供のことは一言も言及していないことがわかるであ
ろう。つまり,結婚の生物学的な目的は,聖パウロにとってまったく重要では
ないようである。これは,まったく当然なことである。と言うのは,聖パウロ
は,キリストの再臨(再生)がさし迫っており世界は間もなく終わるだろうと思
っていたからである。キリスト再臨の際には,人びとは羊と山羊に分けられる
(二分される)運命にあり,そうして(それゆえ)真に重要なことはその時に
自分が羊のグループに入ることだけであった。聖パウロは,性交は,結婚生活
においてさえ,救いを勝ち取る際にかなりの障害になると考える(「コリント
の信徒への書簡その一」第七章第32〜第34節)。にもかかわらず,結婚した人
びとも救われることは可能である。しかし,私通(姦淫)は致命的な罪(大罪)
であり,私通(姦淫)をして悔い改めない者は,必ず山羊のグループに入る
(ことになる)。

 私はかつて医者に喫煙の習慣をやめるように助言されたことを覚えている。
また,彼は(その時)たばこを吸いたくなったらいつでも,酸っぱいドロップ
をなめる(しゃぶる)ようにすれば容易にやめらるはずです,と言った。聖パ
ウロが結婚を勧めるのはこの精神からである。聖パウロは,結婚は私通(姦淫)
とまったく同じように楽しいものだとは示唆しないが,結婚すれば,意志の弱
い信者仲間も誘惑に抵抗できるのではないか,と考える。聖パウロは,結婚に
は何か積極的によいものがあるかもしれないとか,夫婦間の愛情は美しく望ま
しい場合もあるとかも知れないというようなことは,一瞬たりとも示唆しない
し(ほのめかさないし),家族にもまったく関心を示さない。(つまり)聖パ
ウロの考え(思考/思索)の中では,私通(姦淫)が舞台の中心を占めており,
彼の性倫理は,すべて私通(姦淫)と結び付けられて取り決められている(整
理されている)のである。それは,あたかも,パンを焼く理由は人びとがケー
キを盗まないようにするためである,と主張するようなものである。

 聖パウロは,なぜ私通(姦淫)がそれほど邪悪なものと考えるのか,教えて
くだされない(注:deign 恐れ多くも・・・してくれない,といった揶揄して
いるような表現か?)。聖パウロは,モーセの律法を投げ捨て,それゆえ,豚
肉を食べてるのは自由であるが,それにもかかわらず,自分の道徳は正統派の
ユダヤ人の道徳に劣らず厳格なものであることを示したかったのではないか,
と勘ぐりたくなる。もしかすると,豚肉が禁止されていた期間が長かったため
に,ユダヤ人には豚肉が私通(姦淫)と同じくらい甘美なものに思われるよう
になったのかもしれない。そしてそれゆえ,聖パウロは,自分の教義の禁欲的
要素について,特に強調する必要があったのであろう。(注:半分冗談)

Chapter V Christian Ethics

It will be seen that in this passage St. Paul makes no mention 
whatever of children: the biological purpose of marriage appears to 
him wholly unimportant. This is quite natural, since he imagined that 
the Second Coming was imminent and that the world would soon come to 
an end. At the Second Coming men were to be divided into sheep and 
goats, and the only thing of real importance was to find oneself among
 the sheep on that occasion. St. Paul holds that sexual intercourse, 
even in marriage, is something of a handicap in the attempt to win 
salvation (I Cor. viii. 32-34). Nevertheless it is possible for 
married people to be saved, but fornication is deadly sin, and the 
unrepentant fornicator is sure to find himself among the goats. 
I remember once being advised by a doctor to abandon the practice of
 smoking, and he said that I should find it easier if, whenever the
 desire came upon me, I proceeded to suck an acid drop. It is in this
 spirit that St. Paul recommends marriage. He does not suggest that it
 is quite as pleasant as fornication, but he thinks it may enable the
 weaker brethren to withstand temptation; he does not suggest for a 
moment that there may be any positive good in marriage, or that 
affection between husband and wife may be a beautiful and desirable 
thing, nor does he take the slightest interest in the family; 
fornication holds the centre of the stage in his thoughts, and the 
whole of his sexual ethics is arranged with reference to it. It is 
just as if one were to maintain that the sole reason for baking bread
 is to prevent people from stealing cake. St. Paul does not deign to 
tell us why he thinks fornication so wicked. One is inclined to 
suspect that, having thrown over the Mosaic Law, and being therefore 
at liberty to eat pork, he wishes to show that his morality is 
nevertheless quite as severe as that of orthodox Jews. Perhaps the 
long ages during which pork had been prohibited had made it seem to 
the Jews as delicious as fornication, and therefore he would need to 
be emphatic as regards the ascetic elements in his creed.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM05-020.HTM

 <寸言>
 最後の審判の時、自分は山羊ではなく羊側にいたいという熱心なキリスト教
徒。山羊に失礼だが、豚も宗派によって扱いがかなり異なる。モーセの律法に
従う者は豚を食べないが、そうでないものは豚を食べる。牛を神聖なものとし
て食べないインド人。というわけで、羊も山羊も豚も牛も、住む国や地域によ
って、天国になったり、地獄になったりする。利口な高等動物はそれぞれが独
自の神を創造し、天国や地獄を創るということか?

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
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