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(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第四章「男根崇拝,禁欲主義および罪」n.4

2018/03/16

 第四章 男根崇拝,禁欲主義および罪 n.4

 これまでのところ,宗教の中の性を肯定する要素を考察してきた。けれども
,性を否定する要素も,ごく初期の時代から,他の要素と併存していた。そし
て,ついに,キリスト教か仏教が普及したところではどこでも,この否定的要
素が肯定的要素に対して完全な勝利を収めてしまった。

 ウェスターマークは,彼の言うところの「性的関係が一般にそうであるよう
に,結婚には何か不純で罪深いものがあるという奇妙な観念」( 出典:『人類
婚姻史』p.151以下)の事例をたくさんあげている。キリスト教や仏教の影響を
まったく受けていない,世界の大部分の多様な地域において,独身を誓った男
女の司祭の修道会(orders)が存在してきた。ユダヤ人の間では,エッセネ派
(の信徒)は性交はすべて不純なものだと考えていた。こういった見解は,古代
においては,キリスト教に最も敵対した集団の間においてさえ広まっていたよ
うに思われる。実際,ローマ帝国においては,禁欲主義に向かう一般的傾向が
あった。エピキュロス派の快楽主義は,ほとんど死に絶え,教養あるギリシア
人やローマ人の間では,ストア学派の禁欲主義がそれに取って代わった。

 聖書外典(注:Apocrypha : 聖書の正典に加えられなかった文書)の中の多
くの節からは,女性に対するほとんど修道士的とも言うべき態度が伺える(見
受けられる)のであり,旧約聖書のもっと古い本に見られるたくましい男性ら
しさ(力強さ)とは非常に異なっている。

 新プラトン学派は,ほとんどキリスト教徒に劣らず禁欲的であった。ベルシ
アから,物質は悪(邪悪)であるという教義が西洋に伝わり,それとともに性交
は全て不純であるという信念がもたらされた。極端なかたちではないにせよ,
これこそ,キリスト教会の見解である。しかし,教会についての考察は,次章
に譲りたい。

 明らかなことは,ある一定の状況の下においては,人びとは自然に(自発的
に)性を毛嫌いするようになるものであり,この感情が生じると,もっと普通
な(である)性に惹かれる気持ちとまったく変わらないくらい自然な衝動であ
る,ということである。どのような性的制度(性に関わる制度)が最もよく人間
性を満足させるものであるかを判断できるようになるためには,このこと(ど
のような状況で性を嫌悪し,どのような状況では性に惹かれるのか)について
考察し,心理学的に理解することが必要である。

Chapter IV Phallic Worship, Asceticism and Sin, n.4

So far we have been considering pro-sexual elements in religion ; 
anti-sexual elements, however, existed side by side with the others 
from a very early time, and in the end, wherever Christianity or 
Buddhism prevailed, these elements won a complete victory over their
 opposites. Westermarck gives many instances of what he calls "the 
curious notion that there is something impure and sinful in marriage,
 as in sexual relations generally". (History of Human Marriage, pp. 
l5I ff.) In the most diverse parts of the world, quite remote from any
Christian or Buddhist influence, there have been orders of priests and
 priestesses vowed to celibacy.
Among the Jews the sect of the Essenes considered all sexual 
intercourse impure. This view seems to have gained ground in antiquity
 even in the circles most hostile to Christianity. There was indeed a
 general tendency towards asceticism in the Roman Empire. Epicureanism
 nearly died out and stoicism replaced it among cultivated Greeks and
 Romans. Many passages in the Apocrypha suggest an almost monkish 
attitude towards women, very different from the robust virility of the
 older books of the Old Testament. The neo-Platonists were almost as 
ascetic as the Christians. From Persia the doctrine that matter is
 evil spread to the West, and brought with it the belief that all 
sexual intercourse is impure. This is, though not in an extreme form,
 the view of the Church, but I do not wish to consider the Church 
until the next chapter. What is evident is that in certain 
circumstances men are led spontaneously to a horror of sex, and this
 when it arises is quite as much a natural impulse as the more usual
 attraction towards sex. It is necessary to take account of it and to
 understand it psychologically if we are to be able to judge what kind
 of sexual system is most likely to satisfy human nature.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM04-040.HTM

 <寸言>
 性に対する態度で本能による部分と社会の影響によるものとの切り分けは簡
単ではないが、ごっちゃまぜにしてはならない。

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創刊日:2014-12-19  
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