名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第二章「母系社会」n.8:家父長制社会を生み出す要因

2018/03/08

 第二章 母系社会 n.8  

 父性の生理学上の事実が認識されるやいなや,父親の感情の中にまったく新
しい要素が入ってくる。その要素は,ほとんどあらゆる場所で,家父長制社会を
生み出すにいたった。聖書に書かれているように,子供が自分の「種」である
ことを父親が認識するやいなや,父親の子供に対する感情は,二つの要因によ
って強化される。即ち,権力愛と死後も生き残りたいという(不死の)願望であ
る。ある人間の子孫の業績は,ある意味では,その人(自分)の業績であり,
子孫の生命は,その人(自分)の生命の連続である(と言える)。野心は,も
はや墓場で終わりを見い出すことなく,子孫(たち)の生涯を通して,無限に
拡大することができる。たとえば,お前の子孫にカナン(注:Canaan カナア
ン:地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯の古代の地名)の地を与え
ようと告げられた時のアブラハムの満足を考えてみよう(考えて見るとよい)。

 母系社会では,家族の野心は女性に限定されざるをえなかった。そして,女
性は戦いをしないので,女性の抱くような家族の野心は,男性の野心のような
大きな影響を及ぼさない。従って,父性からくる野心(注: that of 
fatherhood 岩波文庫版『結婚論』で,安藤氏「父性の発見」と訳しているが
,"that" に「発見」の訳語を当たる根拠は前の文章を見ても存在しない。前
の文章の「野心」を受けているのであろう。)は,人間社会を母系(社会)の
段階よりも,もっと競争的かつもっと精力的かつもっとダイナミックかつもっ
と騒々しいものにするだろう,と想定しなければならない。

 こういったある程度仮説的な影響は別にして,妻の貞操を強く要求する,新
しくかつきわめて重要な理由が一つあった。嫉妬(心)における純粋に本能的
な要素は,大部分の現代人が想像するほど,強いものではない。家父長制社会
において嫉妬が極端に強くなるのは,子孫が偽造されることに対する恐怖(心)
のせいである。このことは,自分の妻に飽きて愛人を熱愛している男でさえも
(にもかかわらず),愛人の愛情に対するライバルを発見した時よりも,妻が
関わる(ライバルの)場合の方が,いっそう嫉妬心をかきたてられるという事
実からもわかるであろう。摘出子は男性の自我の継続であり,彼がその子に寄
せる愛情は利己心(我欲)の一形態である。これに反して,もしもその子供が
摘出でない場合は,推定上の父親(父親であることは推定しかできない男)は,
だまされて自分と生物学的な関係がまったくない子供を,気前よく,世話をさせ
られる(ことになる)。このため,父性の発見は,女性の貞操を確保する唯一
の手段として,女性の隷属 −それは,最初は肉体的なものであり,その後精
神的なものとなり,(英国の)ヴィクトリア朝時代に頂点に到達− へと導い
たのである。

 女性を隷属させたために,大部分の文明社会においては,夫と妻との間には
真の交わりはまったく存在してこなかった。即ち,夫婦関係は,一方では目下
の者に恩を着せるような(妻に対する夫の)関係であり,他方では(夫に対す
る妻の)義務の関係であった。男の真面目な考えや目的は,全て男の胸にしま
いこまれていた。妻がしっかりした考えを持つと,夫を裏切るかもしれないか
らである。大部分の文明社会においては,女性は,世間と仕事の経験をほとん
ど阻まれれてきた。女性は,世間と仕事の経験をほとんど全て拒まれてきた。
女性は,人為的におろかで,従って面白みのない存在のままにしておかれてき
た。プラトンの(何冊かの)対話篇を読むと,プラトンは彼の友人たちは,男
子のみが唯一の真剣な恋愛の対象にふさわしいと考えていたという印象を受け
る(注:同性愛のこと)。彼らが関心を持っていた事柄はすべて品行方正なア
テネの女性には完全に閉ざされていたことを考えれば,このことは少しも驚く
にあたらない。これとまったく同様な事態が,最近までの中国,ペルシア詩の
黄金時代のペルシア,そのほか多くの時代と場所において,一般的であった
(一般的に見られた)のである。男女間の一つの関係としての恋愛は,子供が
摘出であることを確かなものにしたいという欲求のために損なわれた。いや,
恋愛ばかりではなく,女性が文明に対してなしうる貢献のすべてが,同じ理由
で,阻止されてきたのであった。

Chapter II Matrilineal Societies,n.8

As soon as the physiological fact of paternity is recognized, a quite 
new element enters into paternal feeling, an element which has led 
almost everywhere to the creation of patriarchal societies. As soon as
 a father recognizes that the child is, as the Bible says, his "seed",
his sentiment towards the child is reinforced by two factors, the love
 of power and the desire to survive death. The achievements of a man's
 descendants are in a sense his achievements, and their life is a 
continuation of his life. Ambition no longer finds its termination at 
the grave, but can be indefinitely extended through the careers of 
descendants. Consider, for example, the satisfaction of Abraham when 
he is informed that his seed shall posses the land of Canaan. In a 
matrilineal society, family ambition would have to be confined to 
women, and as women do not do the fighting, such family ambition as
 they may have has less effect than that of men. One must suppose, 
therefore, that of fatherhood would make human competitive, more 
energetic, more hustling than it had been in the matrilineal stage. 
Apart from this effect, which is to some extent hypothetical, there 
was a new and all-important reason for insisting upon the virtue of 
wives. The purely instinctive element in jealousy is not nearly so 
strong as most moderns imagine. The extreme strength of jealousy in 
patriarchal societies is due to the fear of falsification of descent.
 This may be seen in the fact that a man who is tired of his wife and
 passionately devoted to his mistress will nevertheless be more 
jealous where his wife is concerned than when he finds a rival to the
 affections of his mistress. A legitimate child is a continuation of
 a man's ego, and his affection for the child is a form of egoism. If,
 on the other hand, the child is not legitimate, the putative father 
is tricked into lavishing care upon a child with whom he has no 
biological connection. Hence the discovery of fatherhood led to the 
subjection of women as the only means of securing their virtue - a 
subjection first physical and then mental, which reached its height in
the Victorian age. Owing to the subjection of women, there has in most
 civilized communities been no genuine companionship between husbands
 and wives ; their relation has been one of condescension on the one 
side and duty on the other. All the man's serious thoughts and 
purposes he has kept to himself, since robust thought might lead his
 wife to betray him. In most civilized communities women have been 
denied almost all experience of the world and of affairs. They have 
been kept artificially stupid and therefore uninteresting. From 
Plato's dialogues one derives an impression that he and his friends 
regarded men as the only proper objects of serious love. This is not
 to be wondered at when one considers that all the matters in which 
they were interested were completely closed to respectable Athenian 
women. Exactly the same state of affairs prevailed in China until 
recently, and in Persia in the great days of Persian poetry, and in 
many other ages and places. Love as a relation between men and women
 was ruined by the desire to make sure of the legitimacy of children.
 And not only love, but the whole contribution that women can make to
 civilization, has been stunted for the same reason.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM03-010.HTM

 <寸言>
 自分の「本当の」子供にいろいろなもの(財産、意志、その他)を引き継ぐ
ためには、妻の貞操が重要だということになり・・・。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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