名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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ラッセル『結婚論』第二章母系社会 n.2: 「本能」という言葉は曖昧

2018/03/01

 第二章 母系社会 n.2

 性関係における本能的な要素は普通考えられているよりもはるかに少ない。
私は,本書において,現代の問題を例示するのに必要な場合以外は,人類学に
立ち入るつもりはない。しかし,この科学(人類学)が,我々の目的にとって
大いに必要となる点が一つだけある。それは,人類学が,我々(人類)が本能
に反するはずだと考えてきた慣行のいかに多くものが,本能と大きな,あるい
は明白な,衝突をすることなく,長期にわたって,存続しうるものであるかを
示す場合(点)である。

 たとえば,生娘(処女の若い女性)が公式に(officially 公務として)
(しかも,時にはこそこそとではなく公然と)僧侶によって処女を奪われるこ
とは,未開人の間ばかりではなく,一部のかなり文明化した種族の間でもよく
見られた慣習であった。キリスト教国の男性は,処女を奪うことは花婿の特権
であるべきだと考えてきたし,また,大部分のキリスト教徒は,いずれにせよ
最近まで,宗教的な理由によって処女を奪う慣習に対して自分たちが嫌悪感を
抱くのは本能的なものである,と考えてきたであろう。

 歓待の行為として客(宿泊)に自分の妻を貸す(一夜貸しする)慣行もまた
も,現代のヨーロッパ人にとっては本能的に嫌悪感を抱かせるもの(慣行)で
あるが,それでもなお,この慣行は非常に広く行きわたっていた。一妻多夫制
もまた,無学な白人なら人間性に反すると考えるような慣習である。嬰児殺し
にいたっては,多分なおさらそのように思われることだろう。けれども,嬰児
殺しは,経済的に有利だと思われる場合にはいつでも,いとも即座に訴えられ
た(手段である)ことは,(多くの)事実が示している。事実(実際の姿)は
,人間に関するかぎり,本能(だとされるもの)は驚くほどぼんやりしたもの
でありで,容易に自然の進路から脇道に外れてしまうということである。未開
人の間でも,文明社会のなかにおいても,この事情は変わらない(同じであ
る)。

 実際,「本能」という言葉は,性に関わる人間の行動のように,厳格さから
かけ離れたものに対して使うための(に)適切な言葉であるとは到底言えない
(不適切な言葉である)。この領域(性に関わる人間行動)全体の中で,厳密に
心理学的な意味で本能的と呼べる唯一の行為は,幼児期における乳を吸う行為
である。未開人の場合どうなっているのか私は知らないが,文明人は性行為の
仕方を学ばなければならない。医師が,結婚して数年になる夫婦から,どうや
って子供を作るのか教えてほしいと聞かれ,いろいろ調べて(吟味して)みる
と,その夫婦は性交をする方法を知らなかったというようなことは,決してま
れではない。性行為は,従って最も厳密な意味では,本能的なものではない。
ただし,もちろん,自然に性行為に向かおうとする傾向と,性行為なしには容
易に満たされそうもない欲望は存在している。

 実際,人間に関する限り,(人間以外の)他の動物に見いだされるような明
確な行動様式はなく,その意味(明確な行動様式という意味)での本能はかな
り違ったものに取って代わられている。我々人間の場合にあるのは,第一に不
満感であり,それは多少とも不規則かつ不完全な行動に導くが,徐々に,多か
れ少なかれ偶然に,満足(感)が得られるために繰り返されることになる活動
にたどり着く(のである)。本能的なのは,従って,完結した活動というより
も,むしろ,完結した活動を学ぼうとする衝動である。しかも,往々にして,
満足をあたえる(満足が得られる)であろう活動は,はっきりと前もって決定
されているのでは決してない。ただし,一般的に言って,生物学的に最も有利
な活動は,反対の習慣を身につけないうちに学習されるかぎり,最も完全な満
足をあたえるものではあろう。

Chapter II Matrilineal Societies,n.2

The instinctive element in sex relations is much less than is usually 
supposed. It is not my purpose in this book to go into anthropology 
except in so far as may be necessary to illustrate present-day
 problems, but there is one respect in which that science is very 
necessary for our purposes, and that is, to show how many practices,
 which we should have thought contrary to instinct, can continue for 
long periods without causing any great or obvious conflict with 
instinct. It has, for example, been a common practice not only with 
savages but with some comparatively civilied races, for virgins to be
 officially (and sometimes publicly) deflowered by priests. 
In Christian countries men have held that defloration should be the 
prerogative of the bridegroom, and most Christians, at any rate until
 recent times, would have regarded their repugnance to the custom of 
religious defloration as an instinctive one. The practice of lending 
one's wife to a guest as an act of hospitality is also one which to 
the modern European seems instinctively repugnant, and yet it has been
 very widespread. Polyandry is another custom which an unread white 
man would suppose contrary to human nature. Infanticide might seem 
still more so ; yet the facts show that it is resorted to with great
 readiness wherever it seems economically advantageous. The fact is 
that, where human beings are concerned, instinct is extraordinarily 
vague and easily turned aside from its natural course. This is the 
case equally among savages and among civilized communities. The word
 "instinct", in fact, is hardly the proper one to apply to anything
 so far from rigid as human behaviour in sexual matters. The only act
 in this whole realm which can be called instinctive in the strict 
psychological sense is the act of sucking in infancy. I do not know 
how it may be with savages, but civilized people have to learn to 
perform the sexual act. It is not uncommon for doctors to be asked by
 married couples of some years' standing for advice as to how to get
 children, and to find on examination that the couples have not known
 how to perform intercourse. The sexual act is not, therefore, in the
 strictest sense, instinctive, although of course there is a natural
 trend towards it and a desire not easily to be satisfied without it.
 Indeed, where human beings are concerned we do not have the precise
 behaviour-patterns which are to be found among other animals, and 
instinct in that sense is replaced by something rather different. 
What we have with human beings is first of all a dissatisfaction 
leading to activities of a more or less random and imperfect sort, 
but arriving gradually, more or less by accident, at an activity 
which gives satisfaction and which is therefore repeated. What is 
instinctive is thus not so much the finished activity as the impulse
 to learn it, and often the activity which would give satisfaction is
 by no means definitely predetermined, though, as a rule, the 
biologically most advantageous activity will give the most complete
 satisfaction, provided it is learnt before contrary habits have been
 acquired.
 出典: Marriage and Morals, 1929.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM02-020.HTM

 <寸言>
 自分の抱く強い感情は「本能」だと誤解しやすい。「本能」は曖昧な言葉で
あり、何が本当の「本能」であり、何が社会的に形成された「欲求」や「嫌
悪の感情」かなど、冷静に反省してみる必要がある。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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