名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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量子力学を高校で習っているが,日常生活では「量子力学を信じていない」

2018/02/07

 この時点で,あなたは怒りだすであろう。(そうして)あなたは,次のよう
に言いたくなるであろう。

「いったい(my dear sir),あなたはどうしてそんな馬鹿げたことを言えるの
か? 間違いなく,(そういう)あなたでさえ,思考や楽しみや苦痛(などの精神
的なもの)は,ビリヤードの玉のように突きまわすことはできないけれども,
一方,物質はできることは,知っているはずだ(注:you must know/用例:
You must know that your letter makes me always happy. 貴方の手紙は私
をいつも幸せにしてくれることを知っているはずだ)。物質は空間の一部を占
める。物質は突き通せずに固い(ソフトでなければの話であるが・・・)。思
考(という精神的なもの)はそうではない。あなたの思考で,ビリヤードを楽し
むことはできない(思考によってビリヤードの玉を突くことはできない)。あな
たが思考を捨て去る過程(プロセス)は,警察官によってあなたが立ち退かせ
られる過程(プロセス)とは全く異なっている。もちろん,あなたは哲学者と
して,(疑いもなくあなたはそうであろう/そうであり続けるであろうが)
『あらゆる人間的情熱を超越している)』 しかし,残りの人たちは,喜びや
苦しみを経験し,杖や石(sticks and stone)はそれらを経験しない。これらの
ことを全て考え合わせると,あなたはどうして精神と物質との差異を神秘化す
るほど馬鹿なのかわからない(注:その差異は単純で明らかではないか)」 」

 これに対する私の答えは,あなた(が自分は知っていると思っている)よりも
はるかに少ししか物質について(物質とは何か)私は知らない(理解していな
い)ということにある(という答えの中にある)。私が物質について知ってい
ることの全ては,物質の時-空における分布(状態)についての純粋に論理的
属性について,一定の抽象的な前提から推論できることである。一見したと
ころ,これらは(物質の)他の属性については何も語っていない。その上,
精神(心)の場合と同じく,物質の場合についても,実体の概念を認めない
同一の理由がある。
 我々は,デカルトの精神(注:デカルトが論じたところの精神)を出来事の
系列(集合)に還元した。そうして,同じことをデカルトの肉体(注:肉体=物
質/デカルトが論じたところの肉体=物質)の場合にもしなければならない。
物質の一片は,いくつかの物理法則(注:certain of the laws of physics/
 certain は of 複数(代)名詞を伴って,「・・・のうちのいくらか」/用
例: Certain of of the candidates showed promise. 候補者の幾人かは見込
みがあった。) によって結びつけられた出来事の系列(集合)である。これ
らの出来事を結びつける法則は,近似的かつ巨視的なものにすぎない。厳密な
量子物理学においては,旧式の物理学において物理的粒子が保持している自己
同一性は失われている。私が,「これは昨日のと同じ椅子だ」といいたいと仮
定してみよう。(この時)あなたは私が意味しようとしていることを正確に教
えることを私に期待してはならない。なぜなら,それを正しく述べるためには
何冊もの本を要するからである。
 私が言おうとしていることを大ざっばに言うと次の通りである。古典物理学
は,−現在は放棄された体系であるが− (時間の流れを越えて)永続する粒子
の仮定と連携していた。この概念が生き残っている限り,私が「これは同じ椅
子である」という時,それは「これは同じ粒子から構成されている」というこ
とを意味すると,主張できた。量子物理学が出現する前に,粒子は既に時代遅
れ(の概念)であった。粒子には実体概念が含まれているからである。しかし
,やはり粒子を慣性の法則(the law of inertia)や他の類似の原理で互に結
びつけられた,ある一定の物的な出来事の系列として定義することができた。
ラザフォード=ボーアの原子の時代でさえ,この見方はそれでもなお維持でき
た。ラザフォードー=ボーアの原子(モデル)は,一定の数の電子と陽子から
できていた。電子は蚤(のみ)のように行動した。(即ち)しばらくの間はい
まわり,その後,ホップした(跳び上った)。しかし,電子は,跳躍した後に
も以前這いまわっていたときと同一のものとして認識できるものであった。
 今や悲しいかな,原子は原子崩壊をこうむるものとなった。我々原子につい
て知っている全てのことは,最も楽観主義的な仮説に基づいたとしても,原子
は種々の突然の遷移をする(一つの)エネルギーの分布(状態)であるという
ことである。証拠を得ることができるのは原子の遷移のみである。なぜなら,
エネルギーを放射するのは遷移においてのみであり,我々の感覚(器官)が影響
を受けるのはエネルギーが放射される時のみであり,また,我々が起こったも
のについての証拠を得るのは,感覚(器官)が影響を受けるときのみであるから
である。
 ボーアが若かった頃の幸福な時代においては,平穏な状態にある原子の中で
起こっていること(起こっていたこと)を我々は知っているものと思われてい
た。(即ち)惑星が太陽のまわりを回るように原子核のまわりをぐるぐる回っ
ている電子が存在した(と考えられていた)。原子が平穏な状態(注:遷移し
ていない状態)にある時の動きについて,我々は今や完全,絶対的で永遠にな
くすことのできない無知を告白しなければならない。革命以外に報告する値打
ちのあるものは何もないと思っている新聞報道陣がそこに住んでいるようなも
ので,革命がない時に起ることは,神秘に包まれたままである。
 この基礎に立つと,異なった時間における同一性は完全に消失する。あなた
が「これは昨日見たのと同じ椅子である」という時に物理学で何を意味してい
るかを説明しようと思えば,古典物理学に戻らねばならない。あなたは,次の
ように言わなければならない。(即ち)温度があまり高くなく,化学的条件が
同じであるならば,旧式の古典物理学によって得られた結果は,多かれ少なか
れ正しい,と言わなければならない。そうして,私が「これは同じ椅子だ」と
いう時に意味するのは,旧式の物理学なら同じ椅子であると言うだろう,とい
う意味である。しかし,私は,これは便利かつ不正確な言い方にすぎず,事実
,椅子の最小の断片(原子)は全て,十万分の一秒(経過しただけで)で,そ
の同一性を失うことに気がついている。それが同じ椅子だというのは,英国人
はエリザべス一世の時代と同一の国民であるとか,あるいは,たとえ,エリザべ
ス女王の死後何百万世代も経ったとしても(if = even if),英国民は同一の
国民であると言うのと(言うことと)同じである。

At this point I fear you will be becoming indignant. You will be 
inclined to say:
"But, my dear Sir, how can you be so dense? Surely even you must know
 that thoughts and pleasures and pains cannot be pushed about like 
billiard balls, whereas matter can. Matter occupies space. It is 
impenetrable; it is hard (unless it is soft); thoughts are not like
this. You cannot play billiards with your thoughts. When you banish a
 thought, the process is quite different from that of being ejected by
 the police. You, of course, as a philosopher" (so, no doubt, you will
 continue) "are superior to all human passions. But the rest of us 
experience pleasures and pains, and sticks and stones do not. In view
 of all this I cannot understand how you can be so stupid as to make a
 mystery of the difference between mind and matter." 
 出典:Bertrand Russell : Mind and Matter (1950?)
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter110.HTM  

My answer to this consists in saying that I know very much less than 
you do about matter. All that I know about matter is what I can infer 
by means of certain abstract postulates about the purely logical 
attributes of its space-time distribution, Prima facie, these tell me
 nothing whatever about its other characteristics. Moreover there are 
the same reasons for not admitting the concept of substance in the case
 of matter, as there are in the case of mind. We reduced Descartes' 
mind to a series of occurrences, and we must do the same for his body.
 A piece of matter is a series of occurrences bound together by means 
of certain of the laws of physics. The laws that bind these 
occurrences together are only approximate and macroscopic. 
In proper quantum physics, the identity which physical particles 
preserve in old-fashioned physics disappears. Suppose I want to say:
 "This is the same chair as it was yesterday." You cannot expect me to
 tell you accurately what I mean, because it would take volumes to 
state this correctly. What I mean may be put roughly as follows: 
classical physics--a system now abandoned--worked with the assumption
 of particles that persist through time. While this conception lasted,
 I could maintain that when I said "This is the same chair" I meant 
"this is composed of the same particles." Before the coming of quantum
 physics, particles were already out of date, because they involved 
the concept of substance. But that did not matter so much because it 
was still possible to define a particle as a certain series of 
physical occurrences, connected with one another by the law of inertia
 and other similar principles. Even in the days of the Rutherford-Bohr
 atom, this point of view could still be maintained. 
The Rutherford-Bohr atom consisted of a certain number of electrons 
and protons. The electrons behaved like fleas. They crawled for a 
while, and then hopped. But an electron was still recognizable after 
the hops as being the same one that had previously crawled. Now, alas,
 the atom has suffered atomic disintegration. All that we know about 
it, even on the most optimistic hypothesis, is that it is a 
distribution of energy which undergoes various sudden transitions. 
It is only the transitions of which it is possible to have evidence, 
for it is only in a transition that energy is radiated, it is only when
 energy is radiated that our senses are affected, and it is only when 
our senses are affected that we have evidence as to what has occurred. 
In the happy days when Bohr was young, we were supposed to know what 
was going on in the atom in quiet times: there were electrons going 
round and round the nucleus as planets go round the sun. Now we have 
to confess to a complete and absolute and eternally ineradicable 
ignorance as to what the atom does in quiet times. It is as if it
 were inhabited by newspaper reporters who think nothing worth 
mentioning except revolutions, so that what happens when no revolution
 is going on remains wrapped in mystery. On this basis, sameness at 
different times has completely disappeared. If you want to explain 
what you mean in physics when you say "This is the same chair as it 
was yesterday," you must go back to classical physics. You must say:
 when temperatures are not too high, and chemical circumstances are
 ordinary, the results obtained by old-fashioned classical physics 
are more or less right. And when I say that "this is the same chair",
 I shall mean that old-fashioned physics would say it was the same 
chair. But I am well aware that this is no more than a convenient and
 inaccurate way of speaking, and that, in fact, every smallest piece
 of the chair loses its identity in about one hundred thousandth part
 of a second. To say that it is the same chair is like saying that 
the English are the same nation as they were in the time of Queen 
Elizabeth I, or rather, like what this would be, if many millions of
 generations had passed since the death of Good Queen Bess. 
 出典:Bertrand Russell : Mind and Matter (1950?)
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter120.HTM  

 <寸言>
 量子力学を理解していれば、従来の「実体」の概念を否定するはずなのに、
量子力学を否定しないのに、我々は、日常生活においては「実体」の概念を信
じているように振る舞っている。

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