名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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同じ言葉でも人によって受け取り方が異なる原因−偏見や先入観の影響

2018/02/01

 同じ環境にいる多数の人は,ほぼ同じ時刻に極めて似かよった経験をするこ
とが,しばしば起る。多くの人は,同じ雷鳴や,政治家の同じ演説を聞くこと
ができる。また,同じ人たちが(雷の)閃光や,政治家がテーブルをたたくの
を見ることができる。これらの人々の環境には,聞いたり見たりしたのと同一
でない出来事が存在することを我々は内省(reflection 反省)によって気づ
くようになる,(たとえば)政治家は一人しか(そこに)いないのに,彼を見た
り彼の言うことを聞いたりする人たちそれぞれに,別の(異なる)心的出来事
が存在する。このような心的出来事の中において,心理分析によって二つの要
素が区別される。

 その一つは,彼(観察者)が彼の種(=人類)の普通の成員と共有している
個人の構造の諸部分によっているものである。他の部分は,彼(観察者)の過
去の経験の結果を体現している。その政治家のある言葉(語句)は,ある聞き手
(聴衆)には「それはその悪漢に身のほどを思い知らせた」という意味に聞え
,他の聞き手には「私の生涯でそんなひどい不正は聞いたことがなかった」と
いうような,全然別の意味に聞こえる(reaction 反応,印象)。このようない
くらか間接的な反応が異なっているだけでなく,人はしばしば彼らの偏見や過
去の経験のために(経験・体験が影響して)実際に異なった言葉を(言葉とし
て)聞くものである。
 ビーヴアーブルック卿(注:Beaverbrook,William M. A.,1st Baron, 1879
-1964, 英国デーリー・エクスプレスの発行者で,戦時内閣に入閣)が英国貴族
院(上院にあたる)に(事前に)提出していたある統計のことで,ケインズが
この気高い(堂々とした)いジャーナリストを非難する必要があると感じた時
のある機会に,私は貴族院に出席していた。ケインズが言ったことは,「私は
こんな「いんちきな(phony)」,あるいは,「滑稽な(funny)」,統計を聞い
たことがない」であった。貴族院議員の半分はケインズが「いんちきな」と,
また,他の半分が「滑稽な」,と言ったと思った。彼はその後すぐに亡くなって
しまい,問題は未決のままとなった。
 疑いもなく,その二つの単語のうちどちらに聞こえたかは,聞いた人の過去
の経験が決めたのである。アメリカに触れることの多い人(注:phony は米語)
は,「いんちきな phony」と聞こえ,もっと閉鎖的な生活をしている人は
「滑穏な funny」と聞こえた(のであろう)。

 しかし,通常の場合には,過去の経験は,上記の例よりも,ずっと密接に関係
している。あなたが,硬そうにみえる対象をみれば,その対象の触覚のイメー
ジ(さわった時の感覚)を暗示する。もしあなたがピアノに馴れてはいるけれ
ども,蓄音機やラジオに馴れていない時には,ピアノ音楽を聴けば,鍵盤にお
かれた演奏者の手を想像するであろう。(私はこのような経験をしたが,若い
人はそんなことはないだろう。)もしあなたが,朝ベーコンの匂いを喚げば,
味覚イメージが必ず湧きおこってくる。「感覚 sansation」という語は個人の
過去の経験によらない心的出来事の部分にあてはまると想像される。一方,
「知覚 perception」という語は,個人の過去の歴史が避けがたいものとした
附加物を伴った感覚にあてはまる。「感覚」と呼ばれる総合的な経験の部分の
もつれをほどくこと(分析すること)は,精密な心理学理論の問題であること
は明らかである。我々が理論なしに知ることは,「知覚」と呼ばれる総合的な
出来事である。

It frequently happens that a number of people in the same environment
 have very similar experiences at approximately the same time. 
A number of people can hear the same clap of thunder, or the same 
speech by a politician; and the same people can see the lightning, or
 the politician thumping the table. We become aware on reflection that
 there is, in the environment of these people, an event which is not 
identical with what is heard or seen. There is only one politician, 
but there is a separate mental occurrence in each of those who see and
 hear him. In this mental occurrence, psychological analysis 
distinguishes two elements: one of them is due to those parts of the
 structure of the individual which he shares with other normal members
 of his species; the other part embodies results of his past 
experiences. A certain phrase of the politician evokes in one hearer
 the reaction "That's put the scoundrels in their place," and in 
another the quite different reaction, "Never in all my life have 
I heard such monstrous injustice." Not only such somewhat indirect 
reactions are different, but often men will actually hear different 
words because of their prejudices or past experiences. I was present 
in the House of Lords on an occasion when Keynes felt it necessary to
 rebuke Lord Beaverbrook for some statistics that the noble journalist
 had been offering to the House. What Keynes said was: "I have never 
heard statistics so phony" or "funny." Half the House thought he said
 "phony," and the other half thought he said "funny." He died almost 
immediately afterward, leaving the question undecided. No doubt past 
experience determined which of the two words any given hearer heard. 
Those who had been much exposed to America heard "phony," while those
 who had led more sheltered lives heard "funny." But in all ordinary 
cases past experience is concerned much more intimately than in the 
above illustration. When you see a solid-looking object, it suggests 
tactile images. If you are accustomed to pianos, but not to 
gramophones or radio, you will, when you hear piano music, imagine
 the hands of the performer on the keys (I have had this experience,
 but it is one not open to the young). When in the morning you smell
 bacon, gustatory images inevitably arise. The word "sensation" is 
supposed to apply to that part of the mental occurrence which is not
 due to past individual experience, while the word "perception" 
applies to the sensation together with adjuncts that the past 
history of the individual has rendered inevitable. It is clear that
 to disentangle the part of the total experience which is to be 
called "sensation," is a matter of elaborate psychological theory.
 What we know without theory is the total occurrence which is a "
perception." 
 出典:Bertrand Russell : Mind and Matter (1950?)
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter060.HTM

 <寸言>
 人間は何という先入観や偏見の塊であることか!

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
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