名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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歴史(書)に対する一般読者の興味が衰えた理由

2018/01/22

 歴史(書)に対する一般読者の興味は,今世紀(20世紀)の間に衰えてきたよう
に思われます。私としては,これは非常に残念なことです。衰えた理由はたく
さんあります。

 第一に,読書は全体的に見て(総じて)衰えてきています。人々は,映画に
行ったり,ラジオを聞いたり,テレビを見たりします。(また)地球上での自
分の位置をできるだけ速く変えたいという奇妙な情熱にふけっており,そのこ
とと地表(地球の表面)のあらゆる部分を同じようする試みとを結びつけてい
ます(注:世界中を同質化しようとする試み)。しかし,真面目な読書の習慣
を持ちつづけている人でさえ,以前の真面目な読者がしたようには歴史(書)
に時間を費しません。

 私の友人のホワイトヘッドは,一時,パオロ・サルピの『トレント市会史』
(注:Historia del concilio tridentino, 1619)を枕頭の書(就寝時のベット
のお友)として使いました。現在生きている人でこのようなことをする人がい
るか疑わしく思います(いないだろうと思います)。歴史(書)はかつてほど興
味深いものではなくなってきましたが,それは,一部は,現代は非常に重要な
出来事(事件)に充ちており,また,きわめて迅速な変化でいっぱいですので
,多くの人は現世紀以前に注意をむける時間(暇)も気持ちも見出さないから
です。ヒットラー,レーニン,スターリン,トロツキーの生涯は,それ自身,
ナポレオンの生涯と同様に,興味深いものでしょうし,その上,現在の問題に
一層関係があります。

 しかし,残念ながら,歴史(書)の読書が衰えた理由が別にあり,それは歴史
の大著作の衰退であることを認めなければなりません。ヘロドトス,トウキデ
ィデス,ポリビオス(注:ポリュビオス 古代ギリシアのメガロポリス生まれ
の歴史家),プルターク,タキトクス(の本)を,彼らの同時代の人たちがどれ
ほど熱心に読んだか知りませんが,私たちは皆,18世紀及び19世紀の歴史家た
ちがどれほど熱心に歓迎されたかを知っています。英国では,クラレンドン
(注:Edward Hyde, 1st Earl of Clarendon, 1609- 1674/初代クラレンドン
伯爵)の『イングランドの反乱と内戦の歴史』からマコーレー(注:Thomas
 Macaulay,1800-1859,英国の歴史家/『イングランド史』で有名)までの長
い歩み(進行)がありました。フランスでは,ボルテールの時代から,歴史(書)
は競争相手の哲学者たちの戦場でした。ドイツではヘーゲルの刺激のもとに
,歴史家は聡明さと邪悪さとを同程度に結合させました。モムゼン(注:
Theodor Mommsen, 1817- 1903,ドイツの歴史家,法学者で,1902年にノーベ
ル文学賞受賞)が自分の歴史書には次の2つのテーマがあったと言っても,彼
に対して不当(不公平)だとは考えません。即ち,一つは,自由を破壊したカ
エサル(シーザー)の偉大さというテーマと,もうひとつは,カルタゴの英国
との類似とローマのドイツとの類似ゆえに,彼の期待する将来のカルタゴ戦争
(注:Punic Wars カルタゴとローマ間のポエニ戦争のこと。ここでは英国と
ドイツとの戦争)は昔と同様の結果になるだろうというテーマです。有害な神
話の流布におけるトライチュケ(Heinrich von Treitschke, 1834- 1896,ド
イツの歴史家/反ユダヤ言動はナチスによって利用された。)の影響は一般に
認められています。我々が歴史(書)の重要性を言う時,それは悪に対しても
善に対しても同様に重要であることを認めなければなりません。特にこのこと
は,次第に民間伝承の一部となった人気のある神話に当てはまります。

 私はかつて二人の小さい我が子を連れてアイルランドへ行きました。(その
時)五歳になる娘は,非常に親切にしてくれた小作人の婦人と友達になりまし
た。しかし,我々が立去る時その婦人は次のように言いました。「(アイルラ
ンドを占領した)クロムウェル(の国の人間である)にもかかわらず,お嬢さん
は可愛らしいお子さんですね」。その婦人がクロムウェルのことをほとんど知
らなかったことは残念なことだと思いました。(注:(注:クロムウェルも,
悪い面だけでなく,良い面もあることを知ってもらいたかった,と言ったニュ
アンスか?)

The interest of the general reader in history has, I think, declined 
during the present century, and for my part I greatly regret this 
decline. There are a number of reasons for it. In the first place, 
reading altogether has declined. People go to the movies, or listen to
 the radio, or watch television. They indulge a curious passion for 
changing their position on the earth's surface as quickly as possible,
 which they combine with an attempt to make all parts of the earth's 
surface look alike. But even those who persist in the habit of serious
 reading spend less of their time on history than serious readers 
formerly did. My friend Whitehead at one time employed Paolo Sarpi's
 History of the Council of Trent as a bed book. I doubt whether there
 is now any person living who does likewise. History has ceased to be
as interesting as it used to be, partly because the present is so full
 of important events, and so packed with quick-moving changes, that 
many people find neither time nor inclination to turn their attention
 to former centuries. A life of Hitler or Lenin or Stalin or Trotsky 
can be quite as interesting in itself as a life of Napoleon, and has,
 in addition, more relevance to present problems. But I am afraid we 
must admit that there is another cause for the decline of historical 
reading, and that is the decline of historical writing in the grand 
manner. I do not know how eagerly their contemporaries lapped up 
Herodotus or Thucydides or Polybius or Plutarch or Tacitus, but we all
 know the eagerness with which historians were welcomed in the 
eighteenth and nineteenth centuries. In Britain there was a long 
procession from Clarendon's History of the Rebellion to Macaulay. 
In France, from the time of Voltaire onward, history was a 
battleground of rival philosophies. In Germany, under the inspiration
 of Hegel, historians combined brilliance and wickedness in equal 
proportions. I do not think it would be unfair to Mommsen to say that
 his history had two themes: one, the greatness of Caesar because 
he destroyed liberty; the other, that Carthage was like England and
 Rome was like Germany and that the future Punic Wars to which he 
looked forward would have an outcome analogous to that of their
 predecessors. The influence of Treitschke in spreading a pernicious
 myth is generally recognized. When we speak of the importance of 
history, we must admit its importance for evil as well as for good.
 This applies especially to the popular myths which have gradually
 become a part of folklore. I went once to Ireland with my two young
 children. My daughter, aged five, made friends with a peasant woman
 who treated her with great kindness. But, as we went away, the 
woman said: "She's a bonny girl, in spite of Cromwell." It seemed a
 pity that the woman did not know either more history or less.
 出典:Bertrand Russell : History as an art (1954)
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1057_HasA-170.HTM

 <寸言>
 読書くらいしか楽しみが少なかった時代には,本はよく読まれたが、今では
てっとりばやく楽しめる娯楽が他にたくさんあるので、本を読む人が少なくな
ってしまった。多くの人が読んだほうがよい過去の著作(古典含む)も興味深
く読めそうないろいろな工夫がなされることが望まれる。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
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