名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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歴史の迂回路ー主流(の歴史)のみが歴史ではない

2018/01/10

 恐らく本来備わっている(内在する)重要性以上に,常に私の興味をかきた
てた歴史の一分野(部門)がある。それは歴史の迂回路の分野(部門)である。
つまり祖国の主流から切り離されたけれども,予知しない(思いがけない)コ
ースを経由して,まったく他の川の主流へとチヨロチョロ流れ込んだ共同体
(の歴史)である。

 この観点から,私は長い間,バクトリア地方のギリシア人に魅せられてきた。
私は彼らが砂漠によって飲み込まれた川のように全くなくなってしまったと考
えたが,その後,彼らは仏教芸術の祖になり,長い年月の間,また多くの国々
で,東方の彫塑術に刺激を与えていたことを知って,少なからず喜んだ。
 もう一つ別の迂回路の例は,ブルガリアのボゴミル派(ギリシア正教会によ
って異端とされた> キリスト教の一派で,善悪二元論と現世否定を唱導)の歴
史である。彼らはマルシアン(注:Marcian 東ローマ帝国の王)とマニ(注:
マニ教の創始者)の世に知られていない弟子であり,その教義はある誤り導か
れた十字軍兵士によって,北イタリアのカタリ派や,南フランスのアルビ派
(Albigenses)によって採用された。
 同じ種類のよりいっそう驚くべき例はニューイングランドの歴史にあらわれ
ている。私は,小さな子供の時から,傲慢な兵士であるプライド(大佐)が,神
学上の真理と軍隊による報いの名によって,長期議会(注:Long Parliament 
1640年から,クロムウェルによって解散,1653年まで続いた議会)を震え上がら
せたプライド追放(注:長老派議員の追放)のことを知っていた。しかし,
1660年以後,プライドがどうなったか思案することはなかった。1896年(ラッ
セル24才の時)に,私はニュー・イングランド(米国)のプライド十字路
(Pride's Crossing)と呼ばれている場所へ案内された。その名称はプライド
追放という名祖(めいそ/そういう名前がつけられた由来)の英雄にちなんで
つけられたものだと教えられた。私は彼(プライド)が故国> を離れ,冬の長
い,土地のやせた,インディアンの襲撃が危険な,荒れた,岩の多い海岸に住
みつかなければならなかったことを学んだ。チャールズ二世とその廷臣たちに
はプライドが罰をうけたようにみえたかもしれないが,二世紀半の後には彼の
子孫(米国人)が世界を支配し,チャールズ二世の子孫が彼ら(米国人)のし
かめ面にふるえるのである。

There is a department of history which has always interested me, 
perhaps beyond its intrinsic importance. It is that of bypaths in 
history: communities which have become isolated from the main current
 of their parent countries, but have trickled by unforeseen courses 
into the main stream of quite other rivers. From this point of view 
I have long been fascinated by the Bactrian Greeks. I thought that 
they had been completely lost, like a river absorbed by the desert, 
and then I learned, to my no small delight, that they had become the
 source of Buddhist art and had inspired the statuary of the East 
through many ages and in many lands. Another example of the same kind
 of bypath is that of the Bogomils in Bulgaria, who were obscure 
disciples of Marcian and Mani, and whose doctrines, by means of 
certain misguided crusaders, were adopted by the Cathari in northern
 Italy and the Albigenses in southern France. A still more remarkable
 example of the same kind of thing appears in the history of New 
England. From early boyhood I had known of Pride's Purge, when the 
haughty soldier caused the Long Parliament to tremble in the name of
 theological truth and the wages due to the army. But it had never 
occurred to me to wonder what became of Pride after 1660. In 1896
 I was taken to a place in New England called Pride's Crossing, and 
was informed that it was called after the eponymous hero of the Purge.
 I learned that he had had to leave his native country and settle upon
 a wild and rocky shore where the winter was long, the soil infertile,
 and the Indians dangerous. It might have seemed to Charles II and his
 courtiers that Pride had met his deserts, but after two and a half 
centuries his descendants rule the world and the descendants of 
Charles II tremble at their frown. 
 出典:History as an art  (1954)
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1057_HasA-070.HTM

 <寸言>
 歴史の本流や主流とされるもののみを歴史だと思っていると、非常に重要な
物の見方を逸してしまいやすい。たとえば、明治の歴史も薩長(や土佐)の勤
皇の志士の活躍だけを見て、幕府軍を旧弊に固執する人たちである駆逐すべき
人たちだという観点でばかり日本史を見ていると・・・。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
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