名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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歴史(学)と自然科学の性格の違い

2018/01/05

 歴史(学)が科学的であろうとすることにはもう一つ(別)の意味がありま
す。また,この意味では,もっと困難な問題が生じます。この意味において,
歴史学は,自然科学(physical sciences)が事実間の相互関係を発見するの
に成功したのと同様のやり方で,異なる諸事実を結びつける因果律(因果法則)
を発見しようとします。歴史においてそのような因果律(因果法則)を発見し
ようとする試みは,全く賞讃に価することですが,それが歴史研究に最大の価
値をもたらすものだとは,私は考えません。
 私は四十年前(注:1914年)に,(内容は)大部分忘れてしまっていますが
,ある論文でこの問題についての称賛すべき議論を見つけました,その論文と
いうのは,トレヴュリアンの「詩神クリオ」です。彼は,歴史においては,我
々は,因果関係だけではなく,特定の(個々の)諸事実に興味をもっている,
と指摘します。ある人物が示唆したように,ナポレオンはドレスデンの戦いの
後で桃を食べたために,ライプツイヒの戦いで負けたのかもしれません。その
通りならば,疑いもなくそれは興味あることです(興味がないものではありま
せん)。しかし,それが結びついている(いろいろな)出来事(注:ドレスデン
の戦いやライプツイヒの戦い)の方が,それら独自に,もっとずっと興味深い
ものです。
 物理学(physical science)においては,それとまったく逆のことが真です。
たとえば,日蝕は,タレスの(生きた)年代を定める(特定する)のを助ける
小アジアの日蝕や,紀元前七七六年(ラッセル注:紀元前七七五年だったとい
う権威者もいる。この問題は歴史家や天文学者たちに委ねよう。)の中国にお
ける日蝕の場合のように,ごく初期の歴史(歴史時代の初期)の定点(fixed 
points)を与える場合を除いて,それ自体大して興味深いものではありません。
しかし,大部分の日蝕は,それ自体興味深いものではありませんが,その再起
(再発)を決める法則は,まさに極めて興味深いものであり,この法則の発見
は,迷信を駆逐するのにとても重要でした。同様に,現代物理学が基礎をおい
ている実験に基づく諸事実は,物理学が確立するのを助ける因果律(因果法則)
がなければ,全く興味をひかないものでしょう。
 しかし,歴史はそのようなものではありません。我々それ自身のために起こ
ることへの興味を失えば,歴史の大部分の価値は失われます。この点において
歴史学は,詩に似ています。コールリッジが「クーブラ・カーン」(Kubla
Khan)を書いた理由をみつけ出すことには好奇心を満足させますが,この満足
は,我々がコールリッジの詩そのものからひき出す満足に比べれば,些細なも
のです。

There is another sense in which history attempts to be scientific, and
 this sense raises more difficult questions. In this sense history 
seeks to discover causal laws connecting different facts, in the same
 sort of way in which physical sciences have succeeded in discovering
 interconnections among facts. The attempt to discover such causal 
laws in history is entirely praiseworthy, but I do not think that it
 is what gives the most value to historical studies. I found an 
admirable discussion of this matter in an essay which I had read forty
 years ago and largely forgotten: I mean George Trevelyan's Clio, a 
Muse. He points out that in history we are interested in the 
particular facts and not only in their causal relations. It may be, as
 some have suggested, that Napoleon lost the Battle of Leipzig because
he ate a peach after the Battle of Dresden. If this is the case, it is
no doubt not without interest. But the events which it connects are on
 their own account much more interesting. In physical science, exactly
 the opposite is true. Eclipses, for example, are not very interesting
in themselves except when they give fixed points in very early history,
 as is the case with the eclipse in Asia Minor which helps to date 
Thales and the eclipse in China in 776 B.C. (Some authorities say that
 it was in 775 B.C. I leave this question to historians and 
astronomers.) But although most eclipses are not interesting in 
themselves, the laws which determine their recurrence are of the very
 highest interest, and the discovery of these laws was of immense 
importance in dispelling superstition. Similarly, the experimental 
facts upon which modern physics is based would be totally 
uninteresting if it were not for the causal laws that they help to 
establish. But history is not like this. Most of the value of history
 is lost if we are not interested in the things that happen for their
 own sakes. In this respect history is like poetry. There is a 
satisfaction to curiosity in discovering why Coleridge wrote "Kubla
 Khan" as he did, but this satisfaction is a trivial affair compared
 to that which we derive from the poem itself. 
 出典:History as an art  (1954)
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1057_HasA-040.HTM

 <寸言>
 歴史(学)と自然科学も事実に基いて、法則を見つけ出す努力を行うという
点で共通性があるが、その中身はかなり異なっている。また,事実に対する興
味関心のあり方も異なっている。自然科学においては個々の事実そのものには
特別の興味をもたないが、歴史においては個々の事実に対する興味なしには歴
史に対する興味も半減する。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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