名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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J. S. ミル(著)『論理学』のことなど

2017/09/22

 ミルの最初の重要な著作は,『論理学』である。それはアプリオリな方法で
はなく,実験的な方法に対する弁明(抗弁)として執筆されたことは明らかであ
り,そうして,そのようなものとしてはそれほど独創的なものではないが有用
なものであった。彼は,1854年に出版されたブール(著)『思考の法則』に始ま
った演繹論理の広大かつ驚くべき発展を予知できず,その重要性はかなり後に
なって明らかになったのである。彼が『論理学』のなかで帰納推理以外のこと
について言っていることは,御座なりかつ伝統的なもの(従来の論理学に従っ
たもの)である。たとえば,命題は,一つは主語でもう一つは述語である名辞
を組合せることによって構成される(作られる),と述べている。彼にとって
これは無害な自明の理にみえたのだと思われるが,実際は,これは過去二千年
間続いた誤謬のもと(源泉)であった。
 近代論理学が大いに関心を払ってきた名辞について彼が言っていることは,
まったく不十分なものであり,事実,ドン・スコトゥス(Johannes Duns 
Scotus 1266-1308:中世ヨーロッパの神学者・哲学者)やウィリアム・オッカ
ム(William of Ockham,1285-1347:節約の原理「オッカムの剃刀」の提唱者
として有名)が言ったことよりも劣っている。バルバラ(Barbara)における
三段論法は,一種の論点先取(注:前提において結論を仮定する論理的な誤り)
であり,推論は実際は特称(特殊)から特称(特殊)へと行われているのだと
いう彼の有名な主張(議論)は,一定の場合においてはいくらか真実を含んで
いるが,一般的原理として受け入れることはできない【注:Barbara:大前提:
「全ての人間」は,「死ぬ存在」である。 (MaP) → 小前提:「全てのギリ
シア人」は,「人間」である。(SaM) → 結論:ゆえに(∴)「全てのギリ
シア人」は,「死ぬ存在」である。(SaP)】。たとえば,ミルの主張によれば
,「あらゆる人間は死ぬ(べき存在である)」という命題は,その主張をする
人がウェリントン公爵について聞いたことがなくても,「ウェリントン公爵は
死ぬ(べき存在である)」を主張している。これは明らかに成り立たない。即
ち,「人間」及び「死ぬ」という語の意味を知っている人は,「あらゆる人間
は死ぬ」という陳述を理解できるが,聞いたことのない人についての推論をす
ることはできない。一方(しかるに),ウェリントン公爵について,ミルの言っ
ていることが正しいと仮定すると,かつて生存し,あるいはこれから生存する
だろうあらゆる人びとの一覧表を知らなければ(注:一覧表を持っていて,い
ざとなれば見ることが出来なければ),この陳述を理解することはできないこ
とになる(注:ウェリントン公爵のことを知らなくても,「あらゆる人間は死
ぬ(べき存在である)」と言えるためには,あらゆる人のリストを持っていな
ければならない。そういう場合に限り,ウェリントン公爵について知らなくと
も,「ウェリントン公爵は死ぬ」と言える。実際はそんなことはないので,そ
ういった「推論」は論理的にはできない。)。
 推論は,特称(特殊)から特称(特殊)へとなされるものだという彼の(学)
説は,私の言うところの「動物的帰納」に適用される場合には正しい心理学で
あるが,決して正しい論理学ではない。過去における人間の死から,まだ死ん
でいない人間の死を推論することは,帰納の一般的原理がある場合にのみ正当
なものとなる。大雑把に言って,一般的な結論は一般的な前提がなければ決し
て引き出し得ないし,一般的前提のみが,事例の不完全な枚挙からの一般的結
論を保証するだろう。
 さらに,事例はひとつも与えられなくても,誰もその真理を疑うことのでき
ない一般的命題が存在する。たとえば,次のような命題である。「西暦紀元二
千年以前(注:この文章は1955年に発表されていることに注意)には誰も考え
つかなかったすべての数は百万よりも大きい」という例をとろう。あなたは自
己矛盾をおこさないで,その事例(注:考えつかなかった数)を与えることがで
きないし,そのすべての数が誰かによって考えられたと言いはることもできな

 。ロックの時代からずっと,英国の経験主義者たちは,数学に適用(応用)
できない知識論をもっていた。一方,大陸の哲学者たちは,フランスの哲学者
たちを例外として,数学に不当な強調点をおき,幻想的な形而上学の体系(体
系的な哲学)を産みだしていた。経験主義の領域が,数学と論理学の領域から
はっきりと切りはなされ(境界が設けられ),両者の平和的共存が可能となっ
たのはミルの時代以後(になってのみ)のことである。
 私は18歳の年にはじめて,ミルの『論理学』を読んだが,当時私は彼の考え
に深い好意を寄せていた。しかし,その時でさえも,「2と2を加えると4にな
る」という命題を受け入れるのは経験からの一般化であると信ずることは出来
なかった。私は,どのようにして我々がこの知識(2+2=4などの算術の知識)
に達したのか,どう言ったらよいか途方に暮れた。しかし,その命題は,「あ
らゆる白鳥は白い(all swans are white)」というような命題 −経験が論破
するかもしれないし,また事実論破した命題(注: black swan が発見された)
− とは異なっていると思われた。2に2を加えると4になるというような新鮮な
例がいかなる程度にも私の信念を強めるとは思えなかったが,私にこのような
初期の感情を正当化し,数学と経験的知識をひとつの枠組みにぴったりはめ込
むことを可能にしたのは,数理論理学の最近の発展だけである。

Mill's first important book was his Logic, which no doubt presented 
itself in his mind as a plea for experimental rather than a priori 
methods, and, as such, it was useful though not very original. He 
could not foresee the immense and surprising development of deductive
 logic which began with Boole's Laws of Thought in 1854, but only 
proved its importance at a considerably later date. Everything that 
Mill has to say in his Logic about matters other than inductive 
inference is perfunctory and conventional. He states, for example, 
that propositions are formed by putting together two names, one of 
which is the subject and the other the predicate. This, I am sure, 
appeared to him an innocuous truism; but it had been, in fact, the 
source of two thousand years of important error. On the subject of 
names, with which modern logic has been much concerned, what he has
 to say is totally inadequate, and is, in fact, not so good as what
 had been said by Duns Scotus and William of Occam. His famous 
contention that the syllogism in Barbara is a petitio principii, and
 that the argument is really from particulars to particulars, has a
 measure of truth in certain cases, but cannot be accepted as a 
general doctrine. He maintains, for example, that the proposition 
"all men are mortal" asserts "the Duke of Wellington is mortal" even
 if the person making the assertion has never heard of the Duke of 
Wellington. This is obviously untenable: a person who knows the 
meaning of the words "man" and "mortal" can understand the statement
 "all men are mortal" but can make no inference about a man he has 
never heard of; whereas, if Mill were right about the Duke of 
Wellington, a man could not understand this statement unless he knew
 the catalogue of all the men who ever have existed or ever will 
exist. His doctrine that inference is from particulars to particulars
 is correct psychology when applied to what I call "animal induction,"
 but is never correct logic. To infer, from the mortality of men in 
the past, the mortality of those not yet dead, can only be legitimate
 if there is a general principle of induction. Broadly speaking, no 
general conclusion can be drawn without a general premise, and only a
 general premise will warrant a general conclusion from an incomplete
enumeration of instances. What is more, there are general propositions
of which no one can doubt the truth, although not a single instance of
 them can be given. Take, for example, the following: "All the whole 
numbers which no one will have thought of before the year A.D. 2000, 
are greater than a million." You cannot attempt to give me an instance
 without contradicting yourself, and you cannot pretend that all the 
whole numbers have been thought of by someone. From the time of Locke
 onward, British empiricists had had theories of knowledge which were
 inapplicable to mathematics; while Continental philosophers, with the
 exception of the French Philosophes, by an undue emphasis upon 
mathematics, had produced fantastic metaphysical systems. It was only
 after Mill's time that the sphere of empiricism was clearly delimited
 from that of mathematics and logic so that peaceful co-existence 
became possible. I first read Mill's Logic at the age of eighteen, and
 at that time I had a very strong bias in his favor; but even then 
I could not believe that our acceptance of the proposition "two and 
two are four" was a generalization from experience. I was quite at a 
loss to say how we arrived at this knowledge, but it felt quite 
different from such a proposition as "all swans are white", which 
experience might, and in fact did, confute. It did not seem to me that
a fresh instance of two and two being four in any degree strengthened
my belief. But it is only the modern development of mathematical logic
 which has enabled me to justify these early feelings and to fit 
mathematics and empirical knowledge into a single framework. 
 出典: John Stuart Mill,1955.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1097_JSM-020.HTM

 <寸言>
 人間は,人間や自分に都合のよい論理を信じやすいということ。従って,誰
もが近代論理学(記号論理学)を学んだほうがよい。

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