名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
読者と一緒に育てていきたいと思っています.


全て表示する >

「立派な」人たちが徳のためにとかくふけりがちな無謀な嘘

2017/09/16

 百年前(注:今から見ると二百年前),ジュレミー・べンサム (Jeremy 
Bentham, 1748-1832。「快楽や幸福をもたらす行為が善であり・・・最大多数
の最大幸福をもたらすものが善である」とする功利主義者として有名)という
名の哲学者がいましたが,この人は一般に邪悪な人間であると見られていまし
た(注:「昔々,あるところに・・・が住んでいました」といったニュアンス
か?)。 私は,子供の時に,この人物の名前に初めて出くわした時のことを
,今日でも,記憶している。それは,祖母(おばあさん)が亡くなったら,祖
母(おばあさん)をスープにすべきだ(スープにして食べるべきだ)とべンサ
ムは言っているというような趣旨の,シドニー・スミス師(尊師)の陳述(言
葉)の中にあったものである。この行為は,道徳的観点からと同様に調理上の
観点からも望ましくないものだと思われたので,従って,私は,べンサムをよ
く思わなかった。ずっと後に至って,この陳述(言葉)は, 立派な人たちが
徳(美徳)のためにとかくふけりがちな無謀な嘘の一つだということがわかっ
た。

 また,私は,彼(ベンサム)に対して実際に厳しく非難すべき点は何である
かということも発見した。それは次のようなことにほかならなかった。即ち,
彼が,善人とは善をなす人間だと定義したことである。この定義は,読者が健
全な考えの持ち主であればただちに気づくであろうが,すべての真の道徳を破
壊するものである。もっとずっと賞揚すべきはカントの態度であり,彼は,親
切な行為も恩恵を受ける者(受益者)に対する愛情からなされたものであれば
美徳とは言えないが,もしそれが道徳法則によって霊感を受けたもの(鼓舞さ
れたもの)であるならばその時にのみ徳(美徳)である,と主張する。その場
合は,もちろん,不親切な行為を起させる見込みもある。我々は,徳(美徳)
を行うことは,それ自体がその報酬になるべきであるということを,理解して
いる。また,そこからの当然の帰結として,この徳(美徳)を受ける者がこの
徳(美徳)に堪えることこそ,この徳(美徳)自体の罰になるべきだというこ
とになる。従って,カントは,ベンサムよりもいっそう崇高なモラリストであ
り,徳(美徳)を徳そのもののために愛すると語る全ての人たちの賛成を得て
いる。

A hundred years ago there lived a philosopher named Jeremy Bentham, 
who was universally recognised to be a very wicked man. I remember to
 this day the first time that I came across his name when I was a boy.
 It was in a statement by the Rev. Sydney Smith to the effect that 
Bentham thought people ought to make soup of their dead grandmothers. 
This practice appeared to me as undesirable from a culinary as from a
 moral point of view, and I therefore conceived a bad opinion of 
Bentham. Long afterwards, I discovered that the statement was one of 
those reckless lies in which respectable people are wont to indulge in
the interests of virtue. I also discovered what was the really serious
charge against him. It was no less than this: that he defined a 'good'
 man as a man who does good. This definition, as the reader will 
perceive at once if he is right-minded, is subversive of all true 
morality. How much more exalted is the attitude of Kant, who lays it 
down that a kind action is not virtuous if it springs from affection 
for the beneficiary, but only if it is inspired by the moral law, 
which is, of course, just as likely to inspire unkind actions. We know
 that the exercise of virtue should be its own reward, and it seems to
 follow that the enduring of it on the part of the patient should be 
its own punishment. Kant, therefore, is a more sublime moralist than 
Bentham, and has the suffrages of all those who tell us that they love
 virtue for its own sake. 
 出典: The Harm That Good Men Do,1926.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0393_HGMD-010.HTM

 <寸言>
 東西古今,「立派な」人々がつき続けてきた嘘は枚挙に暇がない。彼らは,
高貴な徳を実現するためには人々(国民)を騙し続けてもかまわない(必要悪)
と思っている。「善人とは善をなす人間」の「善」は,'世の中で'「善」とさ
れていることであり、うんよく「善」であることもあるが、そうでない場合も
少なくない。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
Score!: 98 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。