名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
読者と一緒に育てていきたいと思っています.


全て表示する >

バーナード・ショーの皮肉は仮想敵に対する防御(策)?

2017/08/28

 バーナード・ショー(Bernard Shaw, 1856-1950)の長い生涯は,3つの時期
(phase)に分けることができるだろう。
 第一においては −それは,彼のほぼ40歳までの時期であるが− 彼はかなり
広範囲の人々に音楽評論家(批評家)として知られ,もっとずっと狭い範囲の
人々にはフェビアン主義の論客,すぐれた小説家,及び偽善に対する危険かつ
機知に富んだ敵対者として知られていた。それに続き,喜劇作家としての第二
の時期がやってきた。当初,彼の戯曲はピネロ(A.W.Pinero, 1855-1934: 英
国近代劇の先駆者)のものによく似ていないということで上演してもらえなか
ったが,とうとう劇場支配人(theatrical managers)でさえ面白いものだと理
解し,彼は作品の価値に十分値するだけの大きな成功を収めた。彼は,自分を
一人のおどけものとして,観客(聴衆)を獲得したら,自分の真面目な言葉を
効果的に伝えることができるだろうという希望を,若い頃ずっと慈しんでいた
(大事に育てていた),と私は信じている。従って,最後の第三の時期におい
ては,ジャンヌ・ダルク(オルレアンの聖女ジャン)やモスクワの聖ヨゼフと
同等の賛美を要求する(求める)予言者として現れた(のである)。私は,こ
れら3つの時期のいずれについても,彼を知っていた。始めの2つの時期につ
いては,彼は愉快かつ有益な人物だと思った。けれども,彼の第3の時期にお
いては,私の彼に対する賞讃にも限界のあることがわかった。

 私が初めてショーのことについて聞いたのは,1890年に,ケンブリッジ大学
の新入生として(新入生の時),彼の『イプセン主義の精髄』を賞讃した(別
の)新入生に会ったときのことであった(注:チャールズ・サンガーのことで
あり,『ラッセル自伝』でその時のことを記述している)。しかし,私は,
1896年(注:ラッセル24歳)にショーがロンドンにおける国際社会主義者会議に
参加するまで,彼に会ったことがなかった。私はドイツ社会民主主義を研究し
ていたので,非常に多くのドイツ代表者を知っていた。彼らはショーを悪魔の
化身と見なしていた。なぜなら,論争になるとショーはいつもその焔を煽り立
てる快楽に抵抗できなかったからである。けれども,私は彼についての見方を
ウエッブ夫妻から引き出しており,英国社会主義をマルクス(主義)から引離し
て進めようと着手した彼(ショー)のフェビアン主義のエッセイを,私は賞賛
した。当時,彼はまだ内気だった。実際,彼のウイットは,多くの有名なユー
モア作家のそれと同様に,予期される敵側の嘲笑に対する防御(策)として展
開されたものだと思う。この頃,彼はちょうど戯曲を書き始めたばかりであり
,少数の友人の集まりでその戯曲の一つを音読するために,私の住んでいるフ
ラット(集合住宅の一部)にやってきた。彼は青白く,神経質のため身震いし
,後年のような恐るべき(手強い)人物ではまったくなかった。それからしば
らくしてから,彼と私は,ウェッブ夫妻とともに,モンマウスシャ一(州)に
滞在したが,その滞在期間中,彼は演劇に関する技術(脚本技術など?)につ
いて勉強していた。彼は劇に登場する人物の名前を全て小さな四角い紙きれに
いつも書いていた。そうして,劇のある場面(シーン)を描くときには(when
 he was doing a scene),彼はそのシーンに登場する人物の名前を彼の前に
あるチェス盤の上にいつも並べていた。

BERNARD SHAW'S long life could be divided into three phases. In the 
first, which lasted till he was about forty, he was known to a fairly
 wide circle as a musical critic, and to a much more restricted circle
as a Fabian controversialist, an admirable novelist, and a dangerously
 witty enemy of humbug. Then came his second phase, as a writer of 
comedies. At first he could not get his plays performed, because they
 were not exactly like those of Pinero, but at last even theatrical 
managers realized that they were amusing, and he achieved a very 
well-deserved success. He had, I believe, cherished throughout his 
earlier life the hope that, when he had acquired an audience as a 
joker, he would be able effectively to deliver his serious message. 
Accordingly, in his third and last phase, he appeared as a prophet 
demanding equal admiration for St. Joan of Orleans and St. Joseph of
 Moscow. I knew him in all three phases, and in his first two I 
thought him both delightful and useful. In his third phase, however,
 I found that my admiration had limits. 
I heard of him first in 1890, when I, as a freshman, met another 
freshman who admired his Quintessence of Ibsenism, but I did not meet
 him until 1896 when he took part in an International Socialist 
Congress in London. I knew a great many of the German delegates, as
 I had been studying German Social Democracy. They regarded Shaw as
 an incarnation of Satan, because he could not resist the pleasure of
 fanning the flames whenever there was a dispute. I, however, derived
 my view of him from the Webbs, and admired his Fabian essay in which
 he set to work to lead British Socialism away from Marx. He was at 
this time still shy. Indeed, I think that his wit, like that of many
 famous humorists, was developed as a defense against expected hostile
 ridicule. At this time he was just beginning to write plays, and he 
came to my flat to read one of them to a small gathering of friends. 
He was white and trembling with nervousness, and not at all the 
formidable figure that he became later. Shortly afterward, he and 
I stayed with the Webbs in Monmouthshire while he was learning the 
technique of the drama. He would write the names of all his characters
 on little squares of paper, and, when he was doing a scene, he would
 put on a chess board in front of him the names of the characters who
 were on the stage in that scene. 
 出典: Bernard Shaw, 1953.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1036_GBS-010.HTM

 <寸言>
 ラッセルの人間観察には定評がある。バーナード・ショーに関する観察にも
それが現れている。
 ショーに対する見方は「完成された人格」として見がちであるが,長い間に
渡ってショーを観察した人間ならその精神的発達や変化を見て取ることができ
る。バーナード・ショーの皮肉は仮想的に対する防御(策)が発展したものだ
という見方もその一つであろう。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。