名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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集中して物を考えることの重要性

2017/08/24

 きわめてゆっくりと,私は文章を書くいろいろな方法を,心配や不安をほと
んどなしに発見した。若い頃,重要な著作の(中の)どの目新しい断片も,
しばらくの間 −もしかすると非常に長い期間−, いつも私の力が及ばないよ
うに思われた(注:自分にはこのような立派な文章は書けないと思われた,
ということか?)。決してそれ以上良くなるところまで行きつかないのでは
ないかという恐れから,よくいらいらして神経質になった。不満足な試みを
次々に行い,結局はそれらを全部投げ捨てなければならなかった。(そうし
て)ついに私は,そのような手さぐりの試みは,時間の浪費であると悟った。

 ある主題に関する本の内容についてまず熟考し,その本についての準備的な
注意をめぐらした後,せかすことができない,念入りな思考によって,どちら
かと言えば,遮られるような潜在意識における孵化期間が必要だと思われた。
時にはしばらくすると,誤りを犯していたことが解ったし,心の中で描いてい
た本を執筆できないのが解ったりした。しかし,幸いなことに,しばしば,も
っとうまくいった。とても集中する時期に,問題を自分の潜在意識に植えつけ
た後,地下で芽を出し,突然,まばゆいような明噺さで解決法が現れ,あとは
,あたかも啓示のように現れたものを全て書き下す仕事だけが残っていた。

 このプロセス(過程)の一番興味深い実例であり,また、その後を私が信頼す
るように導いたこと(プロセスの実例)が,1914年の始めに起った。私は(米
国)ボストンでのローウェル記念講義を引き受けており,演題として「外界に
ついての我々(人間)の知識」を選んでいた。1913年中,私はこの話の種につ
いて考えた。学期期間中はケンブリッジ大学の私の研究室において,休暇中は
テムズ河の上流の閑静な宿屋において,時々息をするのを忘れるほど,また失
神状態から脱するように,激しい動悸から脱するほどの強烈さで,集中して考
えた。しかしすべて役に立たなかった。私が思いつくことのできた全ての理論
について,致命的な異論があることに気づいた。ついに絶望的になり,休暇が
私の衰えた精力を回復させてくれることを期待して,クリスマスを送るために
ローマに向かった。1913年の最終日(大晦日)にケンブリッジに戻り,困難な
問題はまだまったく解決されていなかったが,(講演の日まで)残された時間
が少ないため,最善を尽くして速記者に口述するように手配した。翌朝,彼女
(速記者)が(研究室前の)戸口にあらわれると,突然私が主張しなければい
けないことがわかり,一瞬のためらいもなく,本の全体を,続けて口述した。

Very gradually I have discovered ways of writing with a minimum of 
worry and anxiety. When I was young each fresh piece of serious work 
used to seem to me for a time-perhaps a long time-to be beyond my 
powers. I would fret myself into a nervous state from fear that it was
never going to come right. I would make one unsatisfying attempt after
another, and in the end have to discard them all. At last I found that
 such fumbling attempts were a waste of time. It appeared that after 
first contemplating a book on some subject, and after giving serious 
preliminary attention to it, I needed a period of sub-conscious 
incubation which could not be hurried and was if anything impeded by
deliberate thinking. Sometimes I would find, after a time, that I had
made a mistake, and that I could not write the book I had had in mind.
 But often I was more fortunate. Having, by a time of very intense 
concentration, planted the problem in my sub-consciousness, it would
 germinate underground until, suddenly, the solution emerged with 
blinding clarity, so that it only remained to write down what had 
appeared as if in a revelation. 
The most curious example of this process, and the one which led me 
subsequently to rely upon it, occurred at the beginning of 1914. I had
undertaken to give the Lowell Lectures at Boston, and had chosen as my
 subject "Our Knowledge of the External World". Throughout 1913 
I thought about this topic. In term time in my rooms at Cambridge, in
 vacations in a quiet inn on the upper reaches of the Thames, 
I concentrated with such intensity that I sometimes forgot to breath
 and emerged panting as from a trance. But all to no avail. To every
 theory that I could think of I could perceive fatal objections. At 
last, in despair, I went off to Rome for Christmas, hoping that a 
holiday would revive my flagging energy. I got back to 'Cambridge on
 the last day of 1913, and although my difficulties were still 
completely unresolved I arranged, because the remaining time was 
short, to dictate as best as I could to a stenographer. Next morning,
 as she came in at the door, I suddenly saw exactly what I had to say,
 and proceeded to dictate the whole book without a moment's hesitation.
 出典: How I write, 1951.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0951_HIW-020.HTM

 <寸言>
 論理的に整合性があり,異論をほとんど寄せ付けない論文や本を書くのが理
想であるが,現代の執筆者の多くは,論理的欠陥をあまり気にしないで、自分
が思っていることをダラダラと書く人が少なくない。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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