名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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キリスト教会の「正義」の概念

2017/08/07

 教会の正義の概念は,いろいろな点(意味)において社会的に望ましくない。
第一に(注: first and foremost ダントツに),知性と科学(の価値)を十分
認めていないことである。この欠点は,福音書から受け継がれているものであ
る。キリストは我々人間に幼児のようであれと語っているが,幼児は,微分
(方程式)や,通貨の原理や,あるいは,病気と闘う現代的方法も理解するこ
とができない。そのような知識を獲得することは,(キリスト)教会によれば,
我々人間のいかなる義務でもない(義務のなかに含まれていない)のである。
教会は,−教会の全盛時代にはそうであったが− もはや,知識が本質的に罪
悪であると強く主張することはない。しかし,知識の獲得は,たとえ罪悪では
ないとしても,危険である。なぜなら,それによって,知性に誇りを持つよう
になり,それゆえに,(知的でない)キリスト教教義に疑問をもつようになる
かも知れないからである。たとえば,二人の男を例にしてみよう。一人は,熱
帯のある広範な地域で,黄熱病を撲滅させたが,(彼の)仕事の過程において
,結婚していない女性たちと時々交渉(肉体関係)をもっていたとする。一方,
もうひとりの男は,怠惰で働かず,毎年(妻に)子供を生ませ,そのため妻は
疲労のために死亡し,また,子供の面倒をほとんどみないために,その半分は
避けえられたはずの原因で死亡してしまうが,(それでも)この男は決して(キ
リスト教が禁止している)不義の性交にふけることはない。善良なキリスト教
徒であれば,この二人のうちで,後者の男のほうが前者の男より道徳的である
と主張しなければならない(のである)。そのような態度は,もちろん,迷信
的かつまったく理性に反するものである。しかもなお,肯定的な長所よりも罪
悪を避けることのほうがもっと重大だと考えられるかぎり,また,有益な生活
の助けとしての知識の重要さが認められないかぎり,このような馬鹿げたこと
が避けられないのである。

The church's conception of righteousness is socially undesirable in 
various ways -- first and foremost in its depreciation of intelligence
 and science. This defect is inherited from the Gospels. Christ tells 
us to become as little children, but little children cannot understand
 the differential calculus, or the principles of currency, or the 
modern methods of combating disease. To acquire such knowledge is no
 part of our duty, according to the church. The church no longer 
contends that knowledge is in itself sinful, though it did so in its 
palmy days; but the acquisition of knowledge, even though not sinful,
 is dangerous, since it may lead to a pride of intellect, and hence to
 a questioning of the Christian dogma. Take, for example, two men, one
 of whom has stamped out yellow fever throughout some large region in 
the tropics but has in the course of his labors had occasional 
relations with women to whom he was not married; while the other has
 been lazy and shiftless, begetting a child a year until his wife died
 of exhaustion and taking so little care of his children that half of
 them died from preventable causes, but never indulging in illicit 
sexual intercourse. Every good Christian must maintain that the second
 of these men is more virtuous than the first. Such an attitude is, of
 course, superstitious and totally contrary to reason. Yet something 
of this absurdity is inevitable so long as avoidance of sin is thought
 more important than positive merit, and so long as the importance of
 knowledge as a help to a useful life is not recognized.
 出典:Has Religion Made Useful Contributions to Civilization? 1930
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0466HRMUC-190.HTM

 <寸言>
 キリスト教の正義のおかしさをあらわすよくあげられる例の一つは,どんな
犯罪人も死に際に罪を認め、キリスト教に消えすれば救われるが,どんなに正
しい人生を歩んできたものもキリスト教を信ぜずに、キリスト教に悪態をつけ
ば地獄に行くという教会の考え方。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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