名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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キリスト教徒は,キリスト教の負の歴史をもっと知るべき

2017/07/27

 キリスト教の到来によって世界中に広まった不寛容は,キリスト教のもっと
も奇妙な特徴の一つであるが,それは,私の考えでは,正義(の存在)につい
てのユダヤ人の信仰と,ユダヤの神の排他的な実在に対する信仰(注:唯一神
信仰)によるものである。なぜユダヤ人がこのような特徴を持つに至ったか,
私にはわからない。彼らは,バビロン捕囚(注:the capitivity = 
babylonian captivity バビロンほしゅう:紀元前597年に,バビロニアのネブ
カドネザル王によって,ユダヤ人がバビロニア地方へ捕虜として連れてこられ
た出来事のこと)の時代に,外国の住民たちのなかにユダヤ人を併合する試み
に対する反動として,そのような特徴を発達させたように思われる。それはと
もかく,ユダヤ人たち,とりわけユダヤの予言者たちは,個人的な正義(注:
社会的正義ではないことに注意)に対する強調や,一つを除いて他のいかなる
宗教を寛大に取り扱うことは邪悪であるという考えを,創りだしたのである。
これら二つの考え(思想)は,西洋の歴史に,悲惨な影響を及ぼしてきた。キ
リスト教会は,コンスタンティヌス帝時代以前のローマ帝国によるキリスト教
徒の迫害を大げさに言っている。けれども,この迫害は軽いものであり,また
断続的に起こったにすぎず,まったく政治的なものであった。コンスタンティ
ヌス帝の時代から17世紀の終わりまでの全期間を通じて,彼ら(ユダヤ教徒=
キリスト教徒の一派)はローマの諸皇帝によって迫害されたよりも,はるかに
激しく,他のキリスト教徒によって迫害されたのである。キリスト教が起こる
以前には,ユダヤ人同志の間を除き,この迫害的な態度は古代世界には知られ
ていなかった。たとえば,ヘロドトス(の歴史書)を読めば,彼が訪問した頃
の外国民族の習慣についての柔和かつ寛大な記述を見い出す(であろう)。確
かに,時々,奇妙に野蛮な習慣が彼に衝撃を与えることはあるだろうが,概し
て,彼は外国の神々や習慣に対して好意的である。彼は,(ギリシア人があが
める)ゼウスの神を何か他の名前で呼ぶ人々は永遠の罰に苦しむであろうとか
,彼らの処罰ができるだけ早く始めるためには,死刑に処すべきである,とい
うようなことを熱心に証明しようとはしない。(しかし)こういった(残酷な)
態度はキリスト教徒の中に保持されてきた。なるほど,現代のキリスト教徒は
以前ほど粗野ではないが,それはキリスト教のおかげではない。(即ち)ルネ
ッサンスから今日までに至る幾世代にわたる自由思想家たちが,因襲的な信仰
の多くの事について,キリスト教徒を恥ずかしく思わせてきたからである。現
代のキリスト教徒が,その穏やかさと合理性のすべてが,それぞれの時代に
おいて,全ての正統派のキリスト教徒によって迫害された人々の教えによるも
のであるという事実を無視して,キリスト教が実際においていかに穏やかかつ
合理的なものであるか,と言っているのを聞くことは面白い。今日,世界はキ
リスト降誕以前四〇〇四年に創造されたと信じる者は誰もいない。しかし,つ
い先頃までは,この点を疑うことはいまわしい罪悪とみなされていた(のであ
る)。私のひいひいおじいさんは,エトナ山の傾斜にある溶岩の深さを観測し
た後に,世界は正統派の人々(キリスト教徒)が想像したよりも古いという結
論に達し,この意見を一冊の本にして発表した。この(キリスト教に対する)
違反行為により彼は自分の州(注:ラッセル家が代々ついできたベッドフォー
ド公爵家が治めてきたベッドフォード州のことか?)からは職を解かれ,社会
からは排斥されたのである。彼がもっと低い身分の人間であったら,彼に対す
る罰は必ずやもっと厳しいものであったに違いない。彼らが,150年前に信じ
られていたばかばかしいことを今日信じないからといって,それは決して正統
主義(キリスト教)の正しさを認めることにはならないのである。キリスト教
教義の去勢化(無力化)は,(キリスト教徒からの)この上もなく激しい抵抗
にもかかわらず成し遂げられてきたのであり,もっぱら自由思想家たちの攻撃
の結果によるものなのである。

The intolerance that spread over the world with the advent of 
Christianity is one of the most curious features, due, I think, to the
 Jewish belief in righteousness and in the exclusive reality of the 
Jewish God. Why the Jews should have had these peculiarities I do not 
know. They seem to have developed during the captivity as a reaction 
against the attempt to absorb the Jews into alien populations. However 
that may be, the Jews, and more especially the prophets, invented 
emphasis upon personal righteousness and the idea that it is wicked to
 tolerate any religion except one. These two ideas have had an 
extraordinarily disastrous effect upon Occidental history. The church
 made much of the persecution of Christians by the Roman State before 
the time of Constantine. This persecution, however, was slight and 
intermittent and wholly political. At all times, from the age of 
Constantine to the end of the seventeenth century, Christians were far
 more fiercely persecuted by other Christians than they ever were by 
he Roman emperors. Before the rise of Christianity this persecuting 
attitude was unknown to the ancient world except among the Jews. 
If you read, for example, Herodotus, you find a bland and tolerant 
account of the habits of the foreign nations he visited. Sometimes, it
 is true, a peculiarly barbarous custom may shock him, but in general 
he is hospitable to foreign gods and foreign customs. He is not 
anxious to prove that people who call Zeus by some other name will 
suffer eternal punishment and ought to be put to death in order that
 their punishment may begin as soon as possible. This attitude has 
been reserved for Christians. It is true that the modern Christian is 
less robust, but that is not thanks to Christianity; it is thanks to 
the generations of freethinkers, who from the Renaissance to the 
present day, have made Christians ashamed of many of their traditional
 beliefs. It is amusing to hear the modern Christian telling you how
 mild and rationalistic Christianity really is and ignoring the fact 
that all its mildness and rationalism is due to the teaching of men 
who in their own day were persecuted by all orthodox Christians. 
Nobody nowadays believes that the world was created in 4004 B. C.; but
 not so very long ago skepticism on this point was thought an 
abominable crime. My great-great-grandfather, after observing the 
depth of the lava on the slopes of Etna, came to the conclusion that
 the world must be older than the orthodox supposed and published this
 opinion in a book. For this offense he was cut by the county and 
ostracized from society. Had he been a man in humbler circumstances, 
his punishment would doubtless have been more severe. It is no credit
 to the orthodox that they do not now believe all the absurdities that
 were believed 150 years ago. The gradual emasculation of the 
Christian doctrine has been effected in spite of the most vigorous
 resistance, and solely as the result of the onslaughts of 
freethinkers.
 出典:Has Religion Made Useful Contributions to Civilization? 1930
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0466HRMUC-090.HTM

 <寸言>
(欧米から)各国に派遣されているキリスト教の宣教師たちは,キリスト教の
負の歴史をどれだけ学んでいるのであろうか? 他国民を「教化」する前に、
まず自分たちの先入観や偏見を取り払うべきではないか?

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
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