名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
読者と一緒に育てていきたいと思っています.


全て表示する >

「全能の」神はサディスト? or 神は全能ではない? 

2017/07/24

 このような,ひとつの側面における比較的に細かい異議は別にして置くとし
て,キリスト教の基本的教義(根本教義)は,それが肯定されるには(前に)
非常に多くの倫理的なこじつけ(歪曲)を必要していることは明らかである。
(即ち)世界は善であり,全能である唯一の神(注:絶対神)によって創造され
た,と我々に告げられている。(全能の)神は世界を創造する前に,世界に含
まれるあらゆる苦痛と惨めさを予見された(とされている)。それゆえ,神は
その全てに対して責任がある(ことになる)。この世の中の苦痛は(人間の)
原罪にあると論ずることは無用である。まず第一にそれは真実ではない。河川
が堤防を越えて氾濫したり,火山が噴火することは(人間の)罪(が原因)で
はない。しかし,たとえそれが真実であったとしても,(神に責任があること
には)なんの違いもない。もし,私が将来殺人鬼(殺人狂)になることを知り
ながら自分の子供をもうける(注:beget こしらえる)とするなら,私は,彼
(自分の子供)の罪に対して当然責任がなければならない。神が人間を創造す
ることを決意された時,人間が(将来)犯すであろう罪を事前に知っていたと
するならば,神はそれらの罪のすべての結果に対し,明らかに,責任がある。
普通のキリスト教徒の論拠(argument 言い分)は,この世の苦痛は,罪の浄化
(清め)であるから,善いことである(善である)というものである。もちろん
,この議論はサディズムの合理化(理屈付け)であるにすぎない。しかし,いず
れにせよ,極めて薄弱な論拠(言い分)である。私は,誰でもよいがキリスト
教の信者を病院の子供の病棟(小児病棟)にご招待して,そこで子供が耐えて
いる苦痛を見守ってもらい,そこにいる子供たちは,苦しむに値するほど道徳的
に(神から)見捨てられたのだという主張を固執してもらいたいものである。
こんなことを彼(そのキリスト教徒)に言わせるには,人間は,心のうちにあ
るすべての慈悲や同情の感情を殺さねばならない。要するに彼は,彼が信じて
いる神と同様に残酷にならなければならないのである。こうした苦しみに満ち
た世界に,全て神様の配剤があるのだ(all is for the best)と信じる者は,
誰ひとりとしてその倫理的価値を損なうことなしにいられない。(注:大竹勝
訳『宗教は必要か』では「この苦痛の多い世界で,万事この上なくうまくいっ
ていると信じている人は、彼の倫理的な価値をそこなわずにいることはできな
い」と不適切な訳をされている。一見よさそうに見えるが,'all is for the
 best' というのが,「全ては神のなせるわざ(配剤)だ」という慣用句であ
ることにまず気づかなければいけない。)なぜなら,彼は常に(神が創造したこ
の世の)苦痛と悲惨さに対する言い訳を見つけなければならないからである。

Leaving these comparatively detailed objections on one side, it is 
clear that the fundamental doctrines of Christianity demand a great 
deal of ethical perversion before they can be accepted. The world, we
 are told, was created by a God who is both good and omnipotent. 
Before He created the world He foresaw all the pain and misery that 
it would contain; He is therefore responsible for all of it. It is 
useless to argue that the pain in the world is due to sin. In the 
first place, this is not true; it is not sin that causes rivers to 
overflow their banks or volcanoes to erupt. But even if it were true,
 it would make no difference. If I were going to beget a child knowing
 that the child was going to be a homicidal maniac, I should be 
responsible for his crimes. If God knew in advance the sins of which
 man would be guilty, He was clearly responsible for all the 
consequences of those sins when He decided to create man. The usual
 Christian argument is that the suffering in the world is a 
purification for sin and is therefore a good thing. This argument is,
 of course, only a rationalization of sadism; but in any case it is a
 very poor argument. I would invite any Christian to accompany me to 
the children's ward of a hospital, to watch the suffering that is 
there being endured, and then to persist in the assertion that those 
children are so morally abandoned as to deserve what they are 
suffering. In order to bring himself to say this, a man must destroy
 in himself all feelings of mercy and compassion. He must, in short,
 make himself as cruel as the God in whom he believes. No man who 
believes that all is for the best in this suffering world can keep 
his ethical values unimpaired, since he is always having to find 
excuses for pain and misery.
 出典:Has Religion Made Useful Contributions to Civilization? 1930
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0466HRMUC-040.HTM

 <寸言>
 どの宗教にも迫害を受けてきた歴史と迫害を行ってきた歴史の両面がある。
どの宗教も迫害を与えてきたことについては忘れがちであり,特に他の宗教に
ついては「邪教」ととらえ,そういった宗教に対する迫害には「寛容」である。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。