名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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 禁欲の裏返し(穴埋め)としての迫害

2017/06/08

 ・・・。旧約聖書の中には,征服した民族を完全に絶滅させることが宗教的
義務であり,彼等の(彼らの飼っている)牛や羊でさえ容赦することは神への
不信心(不敬)になる,と書かれている。来世(あの世)における暗い恐怖
(地獄の責め苦)や災難(という考え)は,エジプト人やエトルリア人(注:
イタリア半島中部の先住民族)に圧迫感を与えていたが,そのような考えはキ
リスト教の勝利によって絶頂に達したのである(参考:キリスト教の地獄思想)
。陰うつな聖者たちは,感覚的な快楽をすべてひかえ,砂漠の中に孤独に暮ら
し,肉や酒や女性と接触(交際)することを避けていたが,それにもかかわらず
,あらゆる快楽をひかえることを義務付けられていたわけではなかった。(即
ち)精神の快楽は肉体の快楽よりも優れたものと考えられ,異教徒や異端者に
対し来世(あの世)で加えられる永遠の責め苦を冥想することは精神の快楽の
うちで高い位置を与えられてた。禁欲主義が,感覚的なもの以外の快楽は無害
だととしたのは,禁欲主義の欠点の一つであり,実際のところ,最善の快楽ば
かりではなくまさに最悪の快楽もまた,純粋に精神的なもの(肉体的な要素が
まったくないもの)なのである。ミルトンの描いた悪魔(ミルトン『失楽園』
の中の悪魔)が,人間にどのような害悪を加えうるかを考えている時の悪魔の
快楽を,検討してみよう。ミルトンはその悪魔に,次のように言わせている。

 心にはそれ自身のための場所がある。そして心は自らのうちに
 地獄から天国をつくり,また天国から地獄を作り出す。

 また,この悪魔の心理は,呪われた人々の苦しみを天国から眺められるだろ
うという想いに大喜びしたテルトゥリアヌス(注:Tertullian カルタゴの神
学者)の心理と,それほど異なっているわけではない。感覚的快楽を禁欲主義
的に軽視することは,親切心や寛容な心,あるいは人間性に関する非迷信的な
考え方が我々を望むように導くような,その他のいかなる美徳をも助長したこ
とはこれまでなかった。それとは逆に,人間が自分自身に責め苦を課する場合
には,そのことによって自分は他の人々を苦しませる権利をもつのだと感じ,
その権利を強化させるような教義(

The most obvious case as regards past history is constituted by the 
beliefs which may be called religious or superstitious, according to
 one's personal bias. It was supposed that human sacrifice would 
improve the crops, at first for purely magical reasons, and then 
because the blood of victims was thought pleasing to the gods, who 
certainly were made in the image of their worshippers. We read in the
 Old Testament that it was a religious duty to exterminate conquered 
races completely, and that to spare even their cattle and sheep was 
an impiety. Dark terrors and misfortunes in the life to come oppressed
 the Egyptians and Etruscans, but never reached their full development
 until the victory of Christianity. Gloomy saints who abstained from 
all pleasures of sense, who lived in solitude in the desert, denying 
themselves meat and wine and the society of women, were, nevertheless,
 not obliged to abstain from all pleasures. The pleasures of the mind
 were considered to be superior to those of the body, and a high place
 among the pleasures of the mind was assigned to the contemplation of
 the eternal tortures to which the pagans and heretics would hereafter
 be subjected. It is one of the drawbacks to asceticism that it sees 
no harm in pleasures other than those of sense, and yet, in fact, not
 only the best pleasures, but also the very worst, are purely mental. 
Consider the pleasures of Milton's Satan when he contemplates the harm
 that he could do to man. As Milton makes him say:
The mind is its own place, and in itself
Can make a heav'n of hell, a hell of heav'n.
and his psychology is not so very different from that of Tertullian, 
exulting in the thought that he will be able to look out from heaven 
at the sufferings of the damned. The ascetic depreciation of the 
pleasures of sense has not promoted kindliness or tolerance, or any
 of the other virtues that a non-superstitious outlook on human life
 would lead us to desire. On the contrary, when a man tortures himself
 he feels that it gives him a right to torture others, and inclines 
him to accept any system of dogma by which this right is fortified.
 出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-040.HTM

 <寸言>
 宗教はいかに多くの害悪を及ぼしてきたことか。特定の宗教の信者は,自分
が信じている宗教はよいことをたくさんしてきたが,他の宗教は邪教であり,
改宗させる必要があると考える人が多い。しかしそれは無知からの自己贔屓で
あろう。
 影響力の少ない小規模な宗教は(オウムのような一部の例外を除いて)世の
中に対し大きな害を与える力はないが,信者の多いメジャーな宗教(伝統宗教
や新興宗教の大規模なもの)は,信者が知らない多くの害悪を歴史上ばら撒い
てきている。キリスト教についてはよく知られているが知ろうとしない信者も
少なくない。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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