名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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学びたい学生の入学は容易にし,勉強しない学生は退学or卒業させない

2017/05/31

 大学の授業(教授)において,教育技術はもはや重要ではない。重要なのは,
自分の専門科目についての知識と,この分野で現在行なわれていることを知ろ
うとする熱意である。こういうことは,労働過重で,教えることで神経をすり
へらしている教師には,不可能である。彼の専門科目は,彼にとって不愉快な
ものになりがちであり,彼の知識は,ほぼ確実に,彼が若い時に学んだことに
限られるようになる。
 大学教師は皆,サバティカル休暇(七年に一度の研究のための休暇)を与え
られ,外国の大学へ行ったり,他の方法で海外で行なわれている研究に関する
知識を得るために,この期間を過ごさなければならない。これは,アメリカで
は普通に行なわれているが,ヨーロッパの国々は知的なプライドが過剰であり
,その必要性を認めようとしない。この点,彼らはまったくまちがっている。
・・・。
 大学では,教育に最も意を用いる教師と,研究に最も意を用いる教師との間
に,ある一定の対立が見られる。この対立は,ほとんど全てといってよいほど
,(大学)教育についての誤った観念と,勤勉も能力も大学在学の条件として要
求される水準を下回っている学生が多数いるせいである。旧式の学校教師の観
念が,大学にもまだある程度生き残っている。学生たちによい道徳的な影響を
与えたいという欲求と,旧式な無価値な知識 −そういう知識は,大半は誤り
だとわかっていても,道徳向上にはためになると考えられてる。− を学生た
ちにたたき込みたいという願望があるのである。学生たちに勉強をするように
説き勧めるべきではない(注;自主性が大事ということ)。しかし,怠けるた
めか,能力不足のためか,いずれにせよ時間を浪費していることがわかった時
には,大学に留まることを許して(認めては)はならない。
 強要しても益のあるただ一つの道徳は,勉強するという道徳である。その他
の道徳は,それ以前の時期(注:それ以前に教育が終了しているべきもの)に
属している。そして,勉強するという道徳は,それを身につけていない学生た
ちを追放する(退学させる)することによって,厳しく要求するのがよい。
(注:勉強するように説得するのではなく,勉強しない限り大学から追放) なぜ
なら,そういう学生は,明らかに,就職したほうがよいからである。教師は,
長時間授業をすることを期待されるべきではない。また,研究のための十分な
時間を持つべきである。だが,その余暇を賢明に使うことを期待される。

In university teaching, skill in pedagogy is no longer important ; 
what is important is knowledge of one's subject and keenness about 
what is being done in it. This is impossible for a man who is 
overworked and nervously exhausted by teaching. His subject is likely
 to become distasteful to him, and his knowledge is almost sure to be
 confined to what he learnt in youth. Every university teacher ought 
to have a sabbatical year (one in every seven) to be spent in foreign
universities or in otherwise acquiring knowledge of what is being done
 abroad. This is common in America, but European countries have too 
much intellectual pride to admit that it is necessary. In this they 
are quite mistaken....
There is in universities a certain opposition between those who care 
most for teaching and those who care most for research. This is almost
 entirely due to a wrong conception of teaching, and to the presence 
of a number of students whose industry and capacity are below the 
level which ought to be exacted as a condition of residence. The idea
 of the old-fashioned schoolmaster persists to some extent at 
universities. There is a desire to have a good moral effect on 
students, and a wish to drill them in old-fashioned, worthless 
information, largely known to be false, but supposed to be morally 
elevating. Students ought not to be exhorted to work, but they should
 not be allowed to remain if they are found to be wasting their time,
whether from idleness or from lack of ability. The only morality which
 can be profitably exacted is that of work ;  the rest belongs to 
earlier years. And the morality of work should be exacted by sending
 away those who do not possess it, since evidently they had better be
 otherwise employed. A teacher should not be expected to work long 
hours at teaching, and should have abundant leisure for research ; but
 he should be expected to employ this leisure wisely.
 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 3: 
Intellectual education, chap.18:  The University.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE18-070.HTM

 <寸言>
 学びたい学生はどんどん入学させればよい。しかし、入学後勉強しない学生
は退学させるか、あるいは、(不勉強なために)留年した学生は、たとえ受け
る講義数が少なくても、他の学生と同額の授業料を徴収すべきであろう。そう
すれば、私学でも経営がたちいかなくなることはないであろう。
 ただし、安易に不勉強な学生を卒業させないように、国家試験に合格しなけ
れば大学卒業資格を与えてはいけないと法律で決めるのがよいかも知れない。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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