名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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直接利益をうまない学術研究の重要性

2017/05/27

 もしも,純粋な学問を大学の目的の一つとして残しておくべきであるならば
,純粋な学問は,単に少数の暇のある紳士の洗練された喜びと結びつけるだけ
ではなく,社会生活全体と関連を持つようにしなければならない。私は,私心
のない研究を非常に重要なものだと考えており,大学生活の中でその地位が低
くなるのではなく,高まることを望んでいる(高まるのを見たい)。英国におい
て,また米国においても,純粋な学問を減らすおそれのある主な力は,(これま
で)無知な富豪から寄付金を得ようとする欲求であった。これに対する治療法
は,産業界の大物には理解することのできない目的のために公費を使うことを
惜しまない(ような)教育された民主主義(educated democracy 機械的な民
主主義ではなく,民度の高い民主主義)を創りだすことにある。これは決して
不可能ではないが,そのためには知的レベルが一般的に向上する必要がある。
もし,学者たちがもっと頻繁に金持ちの居候的態度(食客的態度)から解放さ
れるならば,それは,ずっと容易になるだろう。そのような態度は,パトロン
が学者の生計の自然な源泉(出所)であった時代から受け継がれたものであっ
た。もちろん,学問と学者との区別がつかない(混同される)こともないわけ
ではない。
(たとえば)まったく架空の例をあげるなら,ある学者が有機化学の代わりに
酒(ウィスキー・ワイン・ビールなど)の醸造を教えることによって自分のふ
ところ具合をよくすることができるかもしれない。彼は利益を得るが,学問は
損害をこうむる。もしも,その学者がもっと本物の学問への愛を抱いているな
らば,酒の醸造の教授ポストを寄付する酒造業者に政治的に味方をするような
ことはしないだろう(注:企業による寄附講座に対する態度)。また,もし,
彼が(特定の権力者や金持ちではなく)民主主義の味方であるならば,民主主
義は進んで彼の学問の価値を認めようとするだろう。
 以上のような理由で,学術の諸団体(注:大学,研究所,学会,その他)は
金持ちによる施しよりも,むしろ,公費に頼ってほしい,と私は思っている。
金持ちに頼る弊害(注:企業から競争的資金を獲得すること,金持ちからの寄
付に頼ること)は,英国よりも米国のほうが大きいが,英国にも見いだされる
し,今後増えていく可能性がある。

If pure learning is to survive as one of the purposes of universities,
 it will have to be brought into relation with the life of the 
community as a whole, not only with the refined delights of a few 
gentlemen of leisure. I regard disinterested learning as a matter of 
great importance, and I should wish to see its place in academic life 
increased, not diminished. Both in England and in America, the main 
force tending to its diminution has been the desire to get endowments 
from ignorant millionaires. The cure lies in the creation of an 
educated democracy, willing to spend public money on objects which our
 captains of industry are unable to appreciate. This is by no means 
impossible, but it demands a general raising of the intellectual 
level. It would be much facilitated if our learned men would more 
frequently emancipate thernselves from the attitude of hangers-on of 
the rich, which they have inherited from a time when patrons were 
their natural source of livelihood. It is, of course, possible to 
confound learning with learned men. To take a purely imaginary 
example, a learned man may improve his financial position by teaching
 brewing instead of organic chemistry ; he gains, but learning 
suffers. If the learned man had a more genuine love of learning, he
 would not be politically on the side of the brewer who endows a 
professorship of brewing. And if he were on the side of democracy, 
democracy would be more ready to see the value of his learning. 
For all these reasons, I should wish to see learned bodies dependent
 upon public money rather than upon the benefactions of rich men. 
This evil is greater in America than in England, but it exists in 
England, and may increase.
 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 3: 
Intellectual education, chap.18:  The University.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE18-040.HTM

 <寸言>
 It is, of course, possible to confound learning with learned men.
(もちろん,学問と学者との区別がつかない(混同される)こともないわけで
はない。)の一文はわかりにくいですが、次のような意味と思われます。ある
学者が防衛省から委託された研究をしたり,企業から委託された紐付きの(し
かし資金が多く支給される)研究をしたりする場合,学者がやっているのだか
ら「学問」であるが,市井の(アマチュア)研究者が自分が知りたいことにつ
いて研究していても,学者ではないのでそれは「学問」とは認められない,と
いうこと。もちろん、以前大学教授をしていたが大学をやめ名誉教授になれば、
その人の研究は引き続き「学問」とされ,市井の人間が何十年と研究しても
(学会で認められない限り)それは「学問」とは考えられない,ということ。
即ち,「学問」=「学者」と考えればであり,「市井の人間の研究」は「非学
問」ということになってしまう。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
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