名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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国家主義者の神学的・階級的神話の源泉

2017/05/17

 仮に,私が年長の少年少女のための学校の校長であれば,現代の諸問題を避
けることも,また,それについて(政治的な)宣伝をすることも,等しく望ま
しくない,と思うだろう。生徒たちが,自分たちが受けている教育は,いま世
間で騒がれている問題にうまく対処できるようにしている,と感じさせること
は良いことである。つまり,そう感じさせることによって,学校教育(学校で
の勉強)は現実の世界からかけ離れたものではないという感覚を(子供に)与
えるのである。
 しかし,私は,私自身の見解を生徒たちに押しつけたくない。私のなすべき
ことは,実際的な問題に対して科学的な態度をとるという理想を,生徒たちの
前に掲げることである。私は,生徒たちが議論は議論,事実は事実として提示
する(produce)ことを期待したい。 特に政治(の世界)においては,この習
慣は貴重であるが,同時にまれである。熱狂的な政党はすべて,神話の繭(ま
ゆ)をつむぎ,政党の精神はその中で太平の眠りをむさぼる。情熱は,あまり
にもしばしば知性を殺してしまう。反対に,知識人においては,知性が情熱を
殺すことも少なくない。私の目的はこういう二つの不幸を避けることにある。
情熱的な感情は,破壊的でないかぎり,望ましいものである。知性も,同じよ
うな条件づきで,望ましいものである。私は,根本的な政治的情熱は建設的で
あってほしいと思っていると同時に,知性をこういう情熱に役立つものにする
ように努力したい。だが,知性は,夢の世界で役立つだけではなく,それらの
情熱に対して,本当に,客観的に,役立たなければならない。現実の世界が十
分に快いものでないときには,我々は皆,空想の世界に逃れがちである。空想
の世界においては,私たちの欲望は大した努力をしなくても満たされる(から
である)。これこそが,ヒステリーの本質である。それはまた,国家主義者の
・神学的・階級的/神話の源泉でもある。それは,今日の世界でほとんど一般
的になっている性格の弱さを示している。
 この性格の弱さと闘うことが,後期の学校教育の目標の一つでなければなら
ない。それと闘う方法は,二つある。どちらも必要であるが,ある意味では正
反対のものである。一つは,私たちは現実世界において何をなし遂げることが
できるのかという感覚を高めることであり,もう一つは,現実は私たちの白日
夢(dreams)を追い払う上で何ができるかということにもっと敏感になること
である。この二つの方法は,主観的に生きるのではなく,客観的に生きるとい
う原理の中に含まれている。

If I were at the head of a school for older boys and girls, I should 
consider it equally undesirable to shirk current questions and to do 
propaganda about them. It is a good thing to make pupils feel that 
their education is fitting them to cope with matters about which the 
world is excited ; it gives them a sense that scholastic teaching is
 not divorced from the practical world. But I should not urge my own 
views upon the pupils. What I should do is to put before them the 
ideal of a scientific attitude to practical questions. I should expect
 them to produce arguments that are arguments, and facts that are 
facts. In politics, especially, this habit is as rare as it is 
valuable. Every vehement political party generates a cocoon of myth, 
within which its mentality peacefully slumbers. Passion too often 
kills intellect ; in intellectuals, on the contrary, intellect not 
infrequently kills passion. My aim would be to avoid both these 
misfortunes. Passionate feeling is desirable, provided it is not 
destructive ; intellect is desirable, with the same proviso. I should
 wish the fundamental political passions to be constructive, and I 
should try to make the intellect serve these passions. But it must 
serve them genuinely, objectively, not only in the world of dreams. 
When the real world is not sufficiently flattering we all tend to take
 refuge in an imaginary world, where our desires are gratified without
 great effort. This is the essence of hysteria. It is also the source
 of nationalist, theological, and class myths. It shows a weakness of
 character which is almost universal in the present world. To combat
 this weakness of character should be one of the aims of later school
 education. There are two ways of combating it, both necessary, though
 in a sense opposites. The one is to increase our sense of what we can
 achieve in the world of reality ; the other is to make us more 
sensitive to what reality can do in the way of dispelling our dreams.
 Both are comprised in the principle of living objectively rather 
than subjectively.
 出典:On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 3: 
Intellectual education, chap.16:  Last school years.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE16-060.HTM

 <寸言>
 日本の政府や保守的か教育関係者は,学校教育においては意見が別れている
ことについては話題にしないことがよいことだと思っているようである。そう
して,客観的な議論ができない、あるいはさけようとする国民を大量に生産し
続けている。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
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