名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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外国語は母国語を使う人(native)から習うのがよい,ただし・・・

2017/05/13

(古語ではなく現代における)外国語(注:languages いろいろな国や民族の言
語。従って国家レベルの言語だけをいうのではなく,自分の国や民族以外の言
語のこと。)の問題は,必ずしも容易な問題ではない。幼年期には,外国語を
完璧に話すことを学ぶことが可能である。大きくなってからでは,それは決し
て達成できない。それゆえ,教えるからには(if at all),(複数の)外国語
(languages)を幼年期に教えることを支持する強い根拠が存在している。外
国語をあまり早くから学ぶ(教えると)と母国語の知識が損なわれると心配す
る人びともいるようだが,私はそうは思わない。トルストイやツルゲーネフは
,幼年期に,英語,フランス語,ドイツ語を学んだけれども,ロシア語もまっ
たく堪能であった。ギボンは,フランス語でも英語と同じくらい容易に書くこ
とができたが,そのために彼の英語の文体が損なわれることはなかった。18世
紀を通じて,英国の貴族はみな幼い頃にフランス語を学ぶのを当然のこととし
ていたし,多くの者がさらにイタリア語も学んだ。しかも,彼らの英語は,彼
ら(貴族)の現代の子孫の英語よりもはるかに優れていた(のである)。子供
が二つの国語(言語)をそれぞれ別な人びとに向かって話しているということ
であれば,子供の演劇的本能(dramatic instinct 複数の役を平行して行う能
力)により,二つの言語が混同されることはない。私は,英語と同時にドイツ
語を学び,10歳のときまで,保母や家庭教師にはドイツ語で話した(注:ラッセ
ルの幼児期の家庭教師は主にドイツ人の女性であったため)。その後フランス
語を学び,家庭教師(governesses 女性の家庭教師のこと)や個人教師(tutor 
主として住み込みの家庭教師)にはフランス語で話した。どちらの言語も(ド
イツ語もフランス語も)英語とごちゃまぜになることはまったくなかった。そ
れぞれ,個人的な結びつきが異なっていたからである。(注:ラッセルは,幼
稚園以外,大学に入るまで学校教育を受けることなく,通いや住み込みの多く
の家庭教師に勉強を習っていることに注意) 外国語を教える場合には,その
言語を母国語とする人が教えるべきである,と私は考える。そのほうがうまく
教えられるだけではなく,子供たちは,母語が同じ人に向かって外国語を話す
ときよりも,外国人(その言語を母語とする人)に向かって話すときのほうが
わざとらしさを感じないからである。だから,私見によれば,あらゆる子供の
学校にもフランス人の女性教師(mistress 「愛人」の意味があるが,ここで
は「女教師」のこと)が一人いるのがよいし,可能であれば,ドイツ人の女教
師も一人いるとよい。(注:言うまでもなくこれは英国の場合を言っている。)
彼女たちは,まったくの初歩は別として,子供たちに本格的に自分の母語を教
えるべきではない。だが,子供たちと一緒に遊戯(games)をしたり話しかけた
りして,遊戯がうまくいくかどうかは,子供たちがその言語(外国語)を理解
し答えることにかかっている,というようにするとよい。彼女は,まず「兄弟
のジャック」とか「アヴィニョンの橋の上で」などから始め,しだいに複雑な
遊戯に及ぶようにするとよい。このようにして,(学習対象の)外国語を,精
神的な疲労もなく,お芝居をしているように,まったく楽しく学ぶことができ
るだろう。しかも,その時期ならば,その後のどんな時期よりも,はるかに完
璧に,また貴重な教育上の時間を浪費することもより少なく,その外国語を身
につけることができるのである。

The question of modern languages is one which is not altogether easy.
In childhood it is possible to learn to speak a modern language 
perfectly, which can never be achieved in later years ; there are 
therefore strong grounds for teaching languages at an early age, if 
at all. Some people seem to fear that knowledge of one's own language
 suffers if others are learnt too soon. I do not believe this. Tolstoy
 and Turgenev were quite competent in Russian, though they learnt 
English, French, and German in infancy. Gibbon could write in French 
as easily as in English, but this did not spoil his English style. All
 through the eighteenth century all English aristocrats learnt French 
in early youth as a matter of course, and many also learnt Italian ; 
yet their English was vastly better than that of their modern 
descendants. A child's dramatic instinct prevents it from confusing 
one language with another, provided it speaks them to different 
people. I learnt German at the same time as English, and spoke it to
 nurses and governesses up to the age of ten ; then I learnt French,
 and spoke it to governesses and tutors. Neither language ever 
confused itself with English, because it had different personal 
associations. I think that if a modern language is to be taught it
 should be taught by a person whose native language it is, not only
 because it will be better taught, but because children feel less 
artificiality in talking a foreign language to a foreigner than in 
talking it to a person whose natural language is the same as their 
own. I think, therefore, that every school for children ought to have
 a French mistress, and if possible a German mistress too, who should
 not formally instruct the children in her language, except quite at
 first, but should play games with them and talk to them, and make 
the success of the games depend upon their understanding and 
answering. She could start with Frere Jacques and Sur le pont 
d,Avignon, and go on gradually to more complicated games. In this way
 the language could be acquired without any mental fatigue, and with 
all the pleasure of play-acting. And it can be acquired then far more
 perfectly and with less waste of valuable educational time than at 
any subsequent period.
 出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:
Education of character, chap. 15:  The school curriculum before 
fourteen 
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE15-090.HTM

 <寸言>
 日本人の外国語学習には、ラッセルがここで述べていない問題や課題が多少
あると思われます。

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
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