名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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1907年に Wimbledon 選挙区より,婦人参政権,自由貿易論を主張し立候補

2017/01/07

 この後,私は,自由貿易連合(Free Trade Union)のために'自由貿易'擁護の
演説を始めた。私は以前一度も公開演説を試みたことがなく,最初の時は,自分
を全く無能者にしてしまうほど,'内気'で'神経質'であった。けれども,しだい
に私は,神経質でなくなっていった。
 1906年の選挙が終わり,保護貿易'の問題が一時下火になると,私は婦人参政
権のための活動に着手した。平和主義者としての立場から,私は主戦論者(好
戦的な人間)を嫌い,いつも立憲主義的政党とともに活動した。1907年に私は,
国会議員補欠選挙の時,女性の選挙権を擁護して,立候補さえもした。(注:ラ
ッセルは,1907年に,ロンドン郊外の Wimbledon 選挙区より,婦人参政権,自由
貿易論を主張し,全国婦人参政権協会連合会の推薦を受け,下院議員補欠選挙に
自由党から立候補したが落選した。対立候補は保守党の大物 H. Chaplinであ
った。写真はその時の選挙用写真)ウィンブルドン地区における選挙戦は,
(選挙戦)期間が短く,また困難なものであった。
 いまの若い人々にとって,男女平等に対する当時の反対の激しさを想像する
ことはほとんど不可能であろう。のちに,私は第一次世界大戦反対の運動をお
こなったが,その時の一般大衆の抵抗は,1907年に婦人参政権論者が受けた一般
大衆の抵抗の激しさに比べれば,比較にならないほど,より穏やかなものであっ
た。婦人参政権に関する全ての問題は,大多数の民衆からは,単なる'お祭り騒
ぎ'のための話題として扱われていた。群衆は,婦人(大人の女性)に向かって
は,「家ヘ帰って赤ん坊の世話をしなさい!」と,また,男性に向かっては,その
年齢に関係なく,「君がこうして外に出ていることを,お母さんは知っているか
い?」というように,嘲笑的な言葉を大声で叫んだものである。腐った卵が私
をねらって投げつけられ,それが妻に命中した。私が参加した最初の集会の時,
女性たちを驚かせるため鼠が放たれ,そうしてその謀略に加わっていた女性た
ちは,自分達の'性'を辱めるために故意に恐怖をよそおって叫び声をあげた。

 <寸言> 
 「女性の敵は女性である」とよく言われますが、次のように、『ラッセル自
伝』によれば、夫婦が仲睦まじかったことで有名なビクトリア女王が男女同権
に反対していたそうです。
 自民党の右翼的な女性政治家連中はその見本です。
 http://russell-j.com/beginner/AB16-180.HTM

 「女性に対する支配権を失うことに脅威を感じた男性の野蛮性(脅威を感
じた男性がそのような騒動をひきおこしたこと)については理解できるもので
あった。しかし,女性蔑視(女としての性の蔑視)を長びかせようという多数
の女性(婦人)たちの決意(態度)は,奇妙であった。自分たちの解放に対し
抵抗し乱暴な煽動を行った黒人やロシア人農奴の例を,私は思い出すことがで
きない。女性への政治上の諸権利を与えることに対する最も有名な反対者は,
ヴィクトリア女王(Alexandra Victoria Wettin, 1819-1901/在位:1837年
6月20日-1901年1月22日)であった。・・・。」

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創刊日:2014-12-19  
最終発行日:  
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