名言

(日刊)ラッセルの言葉366_カレンダー版

英国の哲学者バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872- 1970)の名言・警句を毎朝お届けするメルマガです。
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効率懇話会という食事/談話会で初めて H. G. Wells と会う

2017/01/06

 この時期(注:1902〜1910)を通して,私は,毎年冬の期間,主として政治問
題に専念していた。ジョセフ・チェンバレン(Joseph Chamberlain,1836-1914
:英国の政治家)が'保護貿易(制度)'を擁護しはじめた時,私は熱烈な自由
貿易論者になっていた。(また)ヘウィンズ(William Albert Samuel Hewins
,1865-1931)が私を帝国主義と帝国主義的関税同盟の方向に向かわせた影響
(力)は,私を'平和主義者'に転向させた1901年の危機(ラッセルの回心)の時
期'の間に消え去っていた。
 それにもかかわらず,私は,1902年に,政治問題を多かれ少なかれ帝国主義者
の見地から検討することを目的にシドニー・ウェッブによって創設された'効
率懇話会(Coefficients)という名の小さな食事会のメンバーになった。私が
初めてH.G.ウェルズと知り合いになったのは,この会においてであり,その時
まで一度も彼のことについて聞いたことはなかった。
 彼の物の見方は,他の会員の誰よりも,私の共鳴できるもの(気に入るもの)
であった。事実,会員の(意見の)大部分が,私に強いショックを与えた。私は
,アメリー(L. S. Amery, 1873-1955)が,「成人男子国民全員,武装させるべ
きである」と狂喜しつつ言った時,アメリカとの戦争を思い,'流血の欲望'で,
彼の眼が爛々と輝いていたのを記憶している。 ある晩(の食事会の席で),
エドワード・グレイ卿(当時まだ公職についていなかった)は,'協商政策'−−
この政策は政府によってまだ採用されていなかった−−を擁護する演説を行な
った(松下注:Tripple Entente 1891〜1907年に,英国,フランス,ロシアが相互
に締結した協定にもとづく三国の協力関係で,1917年のロシア革命まで存続)。
私は,'協商政策'に対する反対意見をきわめて強く主張し,その政策を採用する
ことによって戦争にいたる可能性があると指摘したが,誰も私に賛成するもの
がいなかった。そこで私は,その会から脱退した。このことから,可能な限り最
も早い時期に,私が第一次世界大戦に反対し始めたことがわかるであろう。

Throughout this period my winters were largely occupied with political
 questions. When Joseph Chamberlain began to advocate Protection, 
I found myself to be a passionate Free Trader. The influence which 
Hewins had exerted upon me in the direction of Imperialism and 
Imperialistic Zollverein had evaporated during the moments of crisis 
in 1901 which turned me into a Pacifist. Nevertheless in 1902 I became
 a member of a small dining club called 'The Coefficients', got up by 
Sidney Webb for the purpose of considering political questions from a
 more or less Imperialist point of view. It was in this club that I 
first became acquainted with H. G. Wells, of whom I had never heard 
until then. His point of view was more sympathetic to me than that of
any other member. Most of the members, in fact, shocked me profoundly.
 I remember Amery's eyes gleaming with blood-lust at the thought of a
 war with America, in which, as he said with exultation, we should 
have to arm the whole adult male population. One evening Sir Edward 
Grey (not then in office) made a speech advocating the policy of the
 Entente, which had not yet been adopted by the Government. I stated 
my objections to the policy very forcibly, and pointed out the 
likelihood of its leading to war, but no one agreed with me, so I 
resigned from the club. It will be seen that I began my opposition to
 the first war at the earliest possible moment.
[From: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia
      Mathematica, 1967]
http://russell-j.com/beginner/AB16-160.HTM

 <寸言>
 世界史で習う「三国協商政策」。ラッセルは三国協商政策は世界大戦を導く
と主張し反対。
 第一次世界大戦は、サラエボ事件(オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フラ
ンツ・ヨーゼフ1世の世継であるフランツ・フェルディアンド大公がセルビア
人の民族主義者によって暗殺された事件)によって始まったと世界史の教科書
に書かれているが、もちろんそれはきっかけにすぎない。
 敵対的な「軍事同盟」は戦争に導くという教訓。

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創刊日:2014-12-19  
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