ガーデニング

三浦清恵津の 小品盆栽入門

小品盆栽は盆栽の中でも小さなもので、女性にも人気があります。仙台の盆栽家、三浦清恵津氏が自らの経験を活かし、盆栽を育て、楽しむための様々なノウハウを伝授していきます。初心者でも小品盆栽を楽しむための基礎知識からさまざまなテクニックまでを覚えられます。

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清松園、三浦清恵津の小品盆栽入門

2014/06/06

こんにちは、仙台の盆栽園、清松園園主、三浦清恵津がお届けするメールマガジン、「三浦清恵津の小品盆栽入門」です。このメールマガジンでは、小品盆栽歴60年の経験から培った栽培ノウハウや盆栽に対する考え方などを紹介したいと思います。小品盆栽を楽むしために少しでも役立てばと願い、このメールマガジンをお届けします。

今月のテーマ:ボンサイとは?
■ ボンサイは日本独自の趣味と芸術
■ 繊細で独自の感覚がボンサイのルーツ
■ 細やかな神経と優しい心
■ ボンサイはモノ言わぬ小さな命
■ 盆栽と鉢植えの違い
■ 水石と盆樹を同列にするのは?
■ 道楽とはすべからく金がかかります。
■ 編集後記

ボンサイとは?

ボンサイを漢字でかくと「盆栽」となります。「盆」とは鉢や石などの盆樹を植えるものをいいます「栽」とは鉢に植えられたもの〈植物〉を指します。盆栽という字をそのまま当てはめると「栽盆」となりますが、それでは何かしっくりしない。そこで栽盆を逆さにして「盆栽」となったと私は思っています。それはともかくとして私たち日本に生まれ育ったものは「盆栽」と聞いただけで心の原風景を想起して「奥ゆかしさ」と「気品」を感じる。そして何故か懐かしいのです。

■ボンサイは日本独自の趣味と芸術
歴史に登場する「盆栽」は鎌倉時代以降からですが、実は数千年も前から日本人は盆栽らしきものを愛でてきたはず、というのが私のボンサイのルーツに対する考え方です。数千年も前の日本人は世界中の多くの人々と同じように「狩猟民族」でした。その頃の日本人は、食糧を求めて各地を渡り歩いていました。日本人が定住した最初の痕跡が青森の「三内丸山遺跡」にあります。それは、今から約5-6千年前と言われています。狩猟民族だった頃は、落ち着いて暮らすことができなかった、定住してみると気候や環境が良く見えてきたはずです。春夏秋冬という四季によって変わりゆく風景、そこには信じられないような季節のドラマがあり、その自然美が見る者を魅了して、原始的盆栽へと繋がった、と私は考えております。
そのドラマは、冬から春へと移り行く姿は、枯れ木のようだった木々が緑に変わり、秋には綺麗な紅葉に変わる。はっきりと変化する四季は温帯地方独特の自然現象です。しかし、日本以外の国々には盆栽は生まれませんでした。

■繊細で独自の感覚がボンサイのルーツ

季節ごとに激しく変化する環境は、植物にとって辛い試練だったでしょう。そして「盆栽」はそんな季節の変化を見事に捕らえています。定住しても食糧を得るために、人間は高い山や渓谷、川、海、島などを毎日探し歩いたはずです。そして、小さな岩や石の上に小さな松や紅葉樹などが自生していた。これを持ち帰って家の周りに植えた、或いは石や大木のウロ等の「鉢もどき」に植えて楽しんだ。これが私の考える盆栽のルーツです。
盆栽が歴史に登場するのは「鎌倉時代以降」で、その始まりは「唐(現在の中国)から支那鉢が輸入されたため」と言われていますが、私はその説に異を唱える者です。と言うのは、鉢があったとしても、それを樹木に植える民族は居ません。ましてや手のかかる盆栽を育てることなど考えられなかった、としか思えないのです。
支那鉢の本家である中国も、その隣の韓国(朝鮮)にも「盆栽」は存在しなかった。むしろ、支那鉢とは関係のない欧米で、盆栽が普及しはじめたのが現在の姿で、現実は皮肉にできているようです。

■細やかな神経と優しい心

「世界一器用」とか、「世界一緻密な頭脳」と言われるのが日本人です。そして「他人を思いやる優しい心」も世界一と評されています。なかには悪い者もいますが、そうした「反逆者」はどんな世界にもいます。こうした極悪人はこの際問題にしないことにします。
「盆栽などは嫌いだが、花を見て怒る人はいない」と言われることがあります。花を見て喜ぶのは多機能人間の能力の一つですが、「育てるのは嫌い」とか「盆栽はジジむさいから嫌い」という人も多くいます。こういう人は、横着とか、怠け者と言えるのかもしれません。

2011年3月東日本大震災の影響で大勢の人々は食糧難に直面しました。仙台では、一部のコンビニやスーパーが店を臨時再開させましたが、この店を何重にも取り巻く人の列、ガソリンも同じようにスタンドを何重にも車が取り囲みました。人々は「10時間並んでも買えない」とか「お金は持っているけど、何の役にも立たない」などと嘆きました。しかし、整然とした列を乱す者はありませんでした。災害や緊急事態が起こると、略奪や暴力が起こる国々が多い中で、この日本の光景を世界中のテレビは伝え、海外の人々は「日本人は本当に立派だ」と絶賛しました。このような「相手を思いやる」優しさ持つ事からも、日本人は盆栽を育てるのに適していたと言えるのではないでしょうか。

■ボンサイはモノ言わぬ小さな命

生き物は動物と植物に大別されますが、腹が減ると途端に騒ぎ出すのが動物です。しかし、植物は何も言いません。空腹でも水が無くても病魔に侵されても、栄養不良でも、ただじっと主人殿のなさるままに待ち続ける。全ては主人殿の「意のまま」で、これほど弱く、はかないのが植物(盆栽)なのです。モノ言わぬ小さな生き物(盆栽)を趣味としている方、また、これから盆栽をはじめようとする諸々の主人殿には、盆栽を人々の命と同じように大切にして欲しいと思います。「もし世界中の指導者が盆栽の趣味者だったら、絶対に人殺し(戦争)は起こらない」と私は常々考えています。

■盆栽と鉢植えの違い

「盆栽とはどんなに小さくても大木の様相を成すもの」とあり、「鉢も盆樹に似合ったもの」という言葉があります。私も同感です。盆栽の対局にあるのが「鉢植え」ですが、大手のメディアも新聞も「盆栽と鉢植えの違いの分かる者はいない」ようです。プラ鉢とか駄温鉢に植えられた「鉢植え」も彼らにとってはみな同じボンサイなのですから。。。
 決まり文句は「古木、老木の相を成すもの」だけが盆栽なのです。しかし、若木をプラ鉢に植えたものは決して盆栽とは言いません。

■水石と盆樹を同列にするのは?

趣味の世界は広くて奥が深いものです。なかでも盆栽は「生き続けてナンボ」です。いくら立派な盆栽でも枯らしたらパアです。盆栽と同じような植物の趣味の世界は広いのです。皐月、オモト、斑入り植物、蘭など植物の種類によって趣味の会が多数あります。盆栽と共通するのが「生き続けること」。しかも元気で生き生きとしていることが大切です。
 これらの「生き続けてナンボ」のものは「命のない世界」とはまったくの別ものです。例えば「盆栽」と「水石」は「侘び寂び」が共通する、という理由で同列視する会もありますが、私は反対です。「生き続けてナンボ」の盆栽と「ハナから命のない石」はまったくの別もので、物置に数百年おいても変わらぬのが石で、年中水やりなどの手間のかかる盆栽とを同列視することは「盆栽を本当に愛していないから」だろうと思うのです。「一度手に入れてしまえば変わることはない」のが石、つまり鉱物ですから放っといても姿形が変わることはありません。逆に盆栽は常に「手を入れない」と変わっていってしまうものです。

■道楽とはすべからく金がかかります。

趣味の世界は数えきれないほど多種多様にあります。なかには怪しい会もありますが、ここでは度外視します。趣味を同じくする者が集まるとサークルが作られ、いずれ大勢の者の前で披露したいとなります。私も民謡、歌謡曲、日本舞踊、ダンスパーティーなど多数の披露をしましたが、いずれの趣味も共通するのが「多額のお金」がかかることです。だから「道楽」というのでしょう。
 例外もあります。なんと盆栽の世界が良い例です。定年後の趣味を盆栽と決めるのはご自由ですが、「種子から育てたい」とか「山から採ってくる」つまりは資金ゼロの発想をする熟年世代には困ってしまいます。こうした方々は「実生すると品種が変わってしまうこと」を知らないのです。野山に自生したものの大半が「実がつくまでに数十年を要する」ことを知らないのです。
盆栽を早く、しかも、親の性質を100%継ぐものを作る方法が「接ぎ木」という手法です。次号はこの「接ぎ木」の手法について紹介しましょう。

■ 編集後記
  最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 これからも、ご利用いただいている皆さんに役立つ情報を提供していきます。 
 ご感想・ご意見、またご質問は、お気軽にご連絡ください
では、また次号をお楽しみに  

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創刊日:2014-04-12  
最終発行日:  
発行周期:月刊  
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