文学

青空が輝くとき 昭和・平成最後の母

昭和と平成を生きているひとりの女性の物語です。といっても単なる自叙伝や記録ではありません。その女性は私の母なのですが、日華事変間近の昭和3年にある地方都市で生まれ、人生で一番多感の青春時代を学徒動員で徴用された戦闘機の部品工場で過ごしました。この手記は母親とのほろ苦い昔の思い出探しです。

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母親似のわたし

2012/09/05

母親似のわたし 2月12日(日) 朝、母親のもとへ駆けつけてみると、台所の椅子にちょこんと座って食べ物をつついています。まずは安心しました。 昼過ぎまで話を聞いてやって過ごしました。まあほとんどが同じ事の繰り返しなのですが。年寄りは昔話が趣味ですね。 「法子が当番医の病院を見つけてくれたけん、行って薬をもろうて飲んだら、ようなった。あんたが帰ってからがつらかったで」 と。母親の言葉は方言で記します。理解に苦しむ言葉は括弧内に標準語を入れます。 「美子(よしこ―延子の次女―)が大阪から帰っとる。律(りつ―岸本法子の長男で小学校3年生―)の誕生日の記念に、写真館へ写真を撮りに行ってくれえと言われとる」と、元気なそぶりを見せます。ひ孫のことになると元気が出るのです。まずは安心です。 冨美子のひとりごとは続きます。 「おじいさんとは死ぬ前の一週間手をさすったり揉んだりした。おらんように(いなく)なってしもうた。まだじいさんの呼び声が聞こえる」 などとつぶやきます。 どうか写真を見てください。一番上が私の写真で、その下の写真が母親ですが、病み上がりでぱっとしませんね。普段はもっと美人なのですが。 下の写真で横に並んでいるのが、父親がまだ元気だったころの写真です。2011年9月、延子の二男の康之がお寺の後を継ぐ入退山式の時のものです。 もう一枚私の写真がありますが、どうでしょうか? 私と母親は似ていますか? http://blog.livedoor.jp/suirisyousetsu/archives/6585218.html お詫び:htmlソースから写真を貼り付ける方法がわかりません。写真は上のサイトをご覧ください。

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創刊日:2012-08-19  
最終発行日:  
発行周期:週刊  
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