哲学・心理学

心の苦痛を軽くする方法

心に苦しみを抱えて毎日を送る人々へ、その苦痛から解放される方法を考察してお送りいたします。

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操られる〈苦痛〉として

2013/07/22

・操られる〈苦痛〉として

操られることが習慣になった人は、
人を怖がったり、失敗を酷く恐れたり、間違うことを
病的に回避しようとする。
それはそこに生じてしまう、ある苦痛を逃れることでもある。

操られることが習慣になった人は、
ある事実やある出来事に同時に二つの意味を読み取る。
そのうちの一つの意味が大きな苦痛を呼び覚ましてしまう。

例えば、
視線恐怖を持つ人は、視線をそらす人を見て
相手が〈目をそらした〉という事実以外に、
相手は〈自分を拒否した〉と言ったような
もう一つの意味を読み取る。
その感じ方というか記憶というものが沸き起こると
いつまでも自分を責めたり悔やんだり恐れたりという
ことをやめられなくなる。

操られる人は、
常に最悪の事態や境遇を突きつけられることで
動かされる。
家を追い出すぞ…
お前は人間としてダメだ…
だからお前は能力がないんだ…
お前は弱い人間だ…
だらしの無いことだ…
恥ずかしい奴だ…

このような言葉をぶつけられる。または直接言葉に
しなくても、当て付けにため息をついたり、肩を
落として見せたり、あざけったりという態度として
表現される。
そのような言葉や態度を事あるごとに向けられる。

もう一つの意味にはそんな絶望的な立場や境遇に
追い詰められてしまう恐怖としての感じ方や記憶が
込められている。

人に関わる時、何かをする時、ある出来事に見舞われる時、
そんな時に人より、
思い悩むことが多かったり、
傷つくことが多かったり、
悔やむことが多かったり、
自分を責めることが多かったり、
罪の意識が強すぎたり、
そうして意欲を失うことがあるとすれば、
それは今前にしている現実とは別の
もう一つの意味を無意識的にそこに読み取り
その感じ方や記憶が
未だに自分を追い詰めたり追い込んだり
していると考えてみることである。

対人恐怖症は年齢を重ねるごとに自然と
軽減されていくと聞く。
それは自立して行くごとに親や保護者への経済的な
面をはじめとして依存度が減り、
他人の意思によっては絶望的な立場や境遇に
追い込まれることがないことを無意識に
感じ取っているからだといえないだろうか。






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創刊日:2012-01-22  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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